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ソウル南部のコシウォンに住んでいたとき、80歳の韓国人に聞いた日本統治時代の真実

2012年4月24日

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ソウル南部のコシウォンに住んでいたとき、80歳の韓国人に聞いた日本統治時代の真実

2012年4月24日

 

この記事では、2012年、私が韓国ソウルの高麗大学校の語学堂で韓国語を勉強していた時に住んでいた考試院(コシウォン)での体験を書いていきたいと思う。
日本では、「韓国人は日本人が嫌い。」と思っている人も多いと思うのだけど、実際に私が韓国に住んで感じたのは、韓国人は日本人に対してとても親切である。ということ。
以下の記事にも書いたが、基本的に外国人に対する差別が多い韓国では、日本人が日本で白人にいい顔をするように、英語の話せる白人には愛想を振舞い、東南アジア人や黒人、中東のどこから来たかわからないような人たちには冷たい人が多い。
けれども、台湾で、最初は東南アジア人だと思われていた私に対して、日本人と言った途端、いきなり態度が変わって優しくなるように、韓国人も、私が日本人だということが分かると、ものすごく親切にしてくれる。
これは、普段日本からメディアを通してみる韓国とはかなり違っており、ソウルに3泊くらい旅行に行ったくらいでは分かりにくいことでもある。
けれども、韓国という半島南部で韓国語を勉強しながら多くの韓国人と接し、生活していると旅行では訪れることのないようなシチュエーションに遭遇するものだ。
この記事では、そんな私の韓国での老人とのストーリーを書いていきたいと思う。

①新大方サムゴリ駅のコシウォンに引っ越す

※上の写真は、実際に住んでいたコシウォンをグーグルビューで切り取ってみたもの。
当時、2011年12月~2012年3月まで高麗大学校の語学堂に通っていた。当初2学期分レッスンを受ける予定だったが、韓国人の女性教師があまりにも高圧的な態度で私に接してきたので、私は校長に抗議して、前払いしていた二学期分の学費を全て取り戻し、高麗大学校から遠い、ソウル南部の新大方サムゴリ駅付近に引っ越した。

学校に通わないのだからもう日本に帰国すればよい話なのだけれど、私には、2012年9月から、地方都市「大田」にある韓国の国立大学に入学する目標があったので、中途半端な韓国語をもう少し頑張る必要があったし、大学への準備も必要だった。

「韓国、大田(テジョン)の忠南大学校で過ごした約1年間と、大田が住みやすい理由 TOP10」

この新大方サムゴリ駅のコシウォンを選んだのは、その格安さからである。高麗大学校付近で借りていたコシウォンは4万円くらいだったのにたいして、こちらは2.5万円。
同じソウルでも、1.5万円節約できた。また、2.5万円に含まれるものは、

 

・炊飯器のご飯
キムチ(たまに冷蔵庫に入ってた)
シャワー(もちろん)
となっており、生活していく上では十分。上の写真を見る限り、そんなにめちゃくちゃボロいというイメージはないのだけれど、内部はもっとお粗末。特にシャワーをしていると、ガラス張りの窓から首から上あたりは見られるので、しゃがんでシャワーを浴びたりしていた。

シャワー室の窓ガラスから見える部分は、この写真に映っている部分ではなく裏側なのでほとんど人に見られるような場所ではなかったが、(裏側は駐車場とか)少なくとも、リラックスしてシャワーを浴びれるような環境ではなかったことは間違いない。

 

②韓国の老人と、貴重な体験ができた

お粗末なコシウォンで不満だらけだったか。と言えばそうではない。このボロいコシウォンに住んで良かったのは、まさにあまり表に出てこない韓国の老人と交流できるという点で、凄くいい体験だったのだから。

私が以前まで住んでいた学生だらけの清潔でなコシウォンとは違い、ここは定年退職者が多く集まるような、老人だらけのコシウォンだった。

なので、普段の韓国とはまた違う環境で過ごすことができたのだ。

同じ韓国で生活していても、つい最近まで学校へ通って、韓国人の若者に囲まれていた私と老人に囲まれている私はちょっと違う感じ。

全く別の国に来たようなそんな感覚。というのも、韓国では戦後、日本統治時代から解放された後、大韓民国という国のもと、TOPが一気に変わってしったことや、当時、朝鮮戦争がすぐに起き、貧しくなり、教育どころではなかったこともあり、教育を受けていない層は、現代の西洋化された韓国人とは全く違うからである。

特に、1964年(東京オリンピック)以降に義務教育を受ける年齢だった層は、日本人がイメージする中国人の田舎もののマナーの悪さのような、非常に現代の韓国人の若者とはかけ離れたイメージがある。

特に地方へ行けば行くほど…。済州島ではものすごくそれを感じた(;^ω^)

「済州島と、朝鮮半島の人の顔が全然違っていた件(また、なぜ韓国の中でも、済州島の人々は親日なのか? )」

上の図は1人当たりのGDPを日米韓で比較したものだけれども、1985年から一気に日本の1人当たりのGDPが上がっているのは、プラザ合意で円の価値が一気に上がったことも影響している。

 

③コシウォンの管理人が持っていたボロボロの日本語辞書

私がこのコシウォンに住んで驚いたことが二つある。それはこの管理人が日本語教育を受けた世代であり、日本の統治を経験した人であり、当時70歳くらいだった。つまり、1940年くらいに生まれたということであり、幼かった頃、日本の統治時代を経験していたことになる。

その管理人(男性)の奥さん(60歳くらいに見えた)は、日本の統治時代を経験したのか、そうなのかはよく分からないが、大学時代日本語を専攻していたといい、割と流暢な日本語で、思い出しながらも私と会話していた。

また驚いたのは管理人室にあった日本語の国語辞典。かなり古いもので昔からずっと漢字を勉強している管理人が印象的過ぎた。ボロボロな上に、辞書の上に印なども沢山ついており、使い古した感があった。

余談だけれども、新大方サムゴリ駅ではなく、ソウル北東部のノウォン駅付近のコシウォンに住んでいた時も、40代くらいの男性管理人が、私がコシウォンに入って1ヶ月くらいしてから、自身が学んだ日本語の本で私に挨拶してきたりしていた。→韓国では本当に日本語が人気すぎる…。

で、本題に入ろう。

 

④味噌汁の匂いに誘われてやってきた80歳くらいの老人

コシウォンの共同キッチンで料理をしていた私は、近くのスーパーで購入した(ちょっと高かったけど)日本から輸入したお味噌で、お味噌汁を作っていた。

すると、80歳くらいのおじいちゃんが匂いにつられてやってきた。 (受付のおじさんじゃなくて、私と同じようにここの住人)

私のことを日本人だと知って近づいてきたのかな??真相は分からない。けれども、日本の味噌は韓国の味噌と違うので、あの匂いを嗅いだだけで、私が韓国人ではないことは分かるはずである。

話を戻して、そのおじいちゃんは韓国語でこう言った。「もっと味噌入れなきゃダメだ」どうやら私の薄味にケチをつけたかったようだった。

そして、私がつたない韓国語で言い返すと、彼はようやく私が日本人であることを知ったかのような顔になった。

そして日本語を話し出したのである。私はこの状況をずっと待っていた。韓国に来て、本当の日本統治時代を体験した年齢の韓国人に会いたかったからである。そして私の韓国語よりも、彼の日本語のほうが上手だったので、私たちは日本語で話し出した。

私はもともと韓国に来る前、日本の朝鮮統治の真実をきちんと勉強していたので、良い面も悪い面も両方知っているつもりだった。(真実については実際に経験していないし、現代と同じように当時、色々な境遇の人がいたと思うので、人によって状況が違ったのは明白なわけで、何とも言えないけど)


そして、韓国に来るたびに、韓国人の若者から言われる日本の歴史の悪口にはうんざりしていた。

で、彼の日本語は、最初はたどたどしかったのだけれども、5分もするうちに、まるで別人かのように日本人並みの話し方になった。これは本当に不思議だったね…。

どうやら聞くところによると、何十年も日本語を使用していなかったよう。私は夢中になりすぎて、本来色々と聞こうと思っていることすら忘れてしまっていた。

なんだろう、頭が真っ白になるくらい想定していない状況が訪れたので、ただただビックリして瞳孔が開きっぱなしのような感覚…。

でも、一つだけ聞くことができた。

幼少期に日本人の友達はいたの?私は、敬語を使わず、まるで老人ホームにいるおじいちゃんに介護士が話しかけるように、馴れ馴れしい態度で、このように言った。そしたら、彼は答えた。

いたけど、みんな別れてしまったよ。

さびしげな顔と仕草で…。その表情から、本当に友達がいて、今は連絡が取れない状況が何十年も続いているのだということが分かった。

以下の記事にもあるように、当時、日本人と朝鮮人は仲良くくらしていた。(もちろん、全てがそうではなかっただろうが、現代の韓国人が持っている日帝強占期というような、暗黒をイメージさせるものではなかったということなのである。

「外国人によって撮影された、日本統治時代の韓国ソウルの光景が凄まじい件【韓国の反応】」

話は戻って、彼が日本語で日本の話をする顔は楽しそうでイキイキしていた。まるで、昔(子供のころ)に戻ったかのように。

すると、その共同キッチンに、60歳くらいと思われるちょっと小太りなおばあちゃんもやってきた。(こんな人今まで見たことなかったよ。って人が2人もキッチンにいるのでビックリ…)

なぜか、私たちはとてもいい雰囲気に包まれていた。

 

⑤日本人を尊敬しますの意味

※写真は、ソウルを上空からみた写真。私の住んでいた地区は、この東西に流れる川の南側で江南からも近いが、地価が安そうな場所だった。

そして、その小太りなおばあちゃんが、なぜか私に向かってこう言った。


일본인 존경=日本人尊敬

これが私がこのページで言いたい最大のこと、マスメディアからは決して見ることのできない韓国人の本音である。

その小太りなおばちゃんは日本語は上手ではないのだけど、カタコトで話せるレベルだった。おそらく幼児期の教育で日本語を勉強したのではないだろうか。私は何がなんだか分からなくなり、隣にいた彼(おじいちゃん)に、あの小太りのおばあちゃんは今、何て言いましたか?と、問いただした。

でも、彼もあまりそれを説明したがらない感じだった…。

私はその小太りなおばあちゃんが、日本人・尊敬と言ったときの申し訳なさそうな表情と、手を合わせていたような仕草を今でも覚えている。

何が尊敬?私はその1日ずっと考えていた。私には日本語が流暢な韓国人の親友がいて、彼にこのことを伝えると、ウソでしょ。みたいな感じで鼻で笑われた。

日本人っていつも、日本スゲーと思ってるから、みたいな感じで思われたのかもしれない。

彼も、日本人の統治時代についての良い面も悪い面も知っている人なのだけど、私がいつも日本の自慢ばかりしているからだろうか。(;^_^A

おそらく、そのおばあちゃんが貧乏生活を長くしていたこと。これは韓国という国への不満につながっていたのではないかと思う。また日本語が少し話せるということから、幼児期に両親から日本のいい面について聞いたのかもしれない。

韓国に住む多くの老人は、日本のことをよく言うだけで、批判されてしまうので、口を塞いでいるのだと思う。なぜなら、彼らはお金がない。経験したことがない人には、分からない感覚かもしれないが、人間誰でも、生活が脅かされることになれば、自分を守るために自分の意見と違ったことを言うことだってある。

その小太りのおばあちゃんは、きっと日本人の精神を尊敬していると言ったのだと思う。

というのも、私が韓国語しか話せない韓国の田舎に住む韓国人の若者に、「日本(政治家)は好きじゃないけど、人々のメンタリティ(精神)には感心するね」と言われたことがあるからだ。

韓国では以下のような時代があったので、

「李氏朝鮮時代の身分制度。両班、中人、常人、賤民と、人間扱いされなかった「白丁」(ペッチョン)との格差」

日本の職人技術みたいなものは底辺のやる仕事だと思う風潮がある。けれども、日本人は韓国よりもこういう人たちを尊敬し、また職人系の仕事をしている人たちもそれに誇りをもって臨んでいる。これが、まさに彼らが尊敬する日本人精神だろう。

 

⑥若い人の前では口をふさぐ韓国の高齢者

で、ちょっと話は戻ってしまうのだけど、共同のキッチンで、おじいちゃん、おばあちゃんと、とても良い雰囲気で話していたとき、驚く出来事があった。

私たち3人が楽しそうに会話しているときに、私と同年代(25歳)くらいの韓国人の兄さんがキッチンの冷蔵庫に何かを取りにきたのだ。


すると、今まで楽しそうだったおじいちゃんが突然、日本語をパっとやめてしまった。

そしてその楽しそうな空気も一瞬にして、どこかに行ってしまったのである。私はギョッとしてしまった。なんとなく、何故こうなったかっていうのは分かるのだけどね‥。

⑦韓国に20回以上来て、今は南部に住んでいる

これらの出来事は2012年のことではあるが、2019年現在も私は韓国南部の都市を転々として暮らしている。やはり大邱や釜山に住んでいても、日本好きの人たちに多く出会い、非常に居心地が良いからである。

韓国人は今変わろうとしている。インターネットと外国語教育の普及により、外の情報を吸収しやすくなったからであろう。日本人が思っているほど、韓国人の考え方は多様だということが、住んでみると分かる。

日本に興味のない人もいれば、興味のある人もいるし、西洋にしか興味のない人もいれば、外国に全く興味のない人もいる。

けど、こちら側から韓国語を学んで話しかけようと誠意を見せれば、ほとんどの場合、皆親切に対応してくれるはずである。

 

⑧韓国人の大学教授が語る日本統治時代

他の人が出来ないような体験をした私の記事に、幸福の科学(Happy Science)がスポンサーになっているTHE FACTの動画を張り付けたくはなかったのだけれども、この動画に出ている韓国の老人が語っていることはまさに、私がそのお爺ちゃんと話していた時の、優しい顔に似ている。

昔を思い出しながら日本語を話していたあの柔らかい笑顔。そして私自身も韓国に2019年現在住んでいるのだけれども、老若男女問わず、日本が好きだよ。とコッソリ言ってくれる人が多く、いかに日本列島に住んでいる日本人が、メディアという媒体に翻弄されているのかが分かってくるのである。

確かに現在の日韓対立(慰安婦、徴用工、竹島、天皇謝罪)などは、政治としては日本人の立場として断固として反対するべきである。

けれども韓国に行けば、民間同士の交流になり、そういうことは関係なくなるのだ。少なくとも、西洋に行くと日本人と韓国人は一緒に固まって住んだりつるんだりするが、そんなものなのであり、非常によく似ていて相性が良いのである。(他の国に比べれば)

「生活目線だから分かる、日本と韓国が共通している部分 TOP10」

 

ここで誤解していただきたくないのは、韓国が好きで韓国にやってくる日本人に対しては、とても親切という点だ。色々なニュース記事を見ても、やはり日本人が嫌な目にあったということも聞くし、女性への嫌がらせなどの話もよく、聞く。
けど、私は20回以上、人よりも結構多く行動しているがそういう目には遭ったことがない。また、昔、警察官に「お前、インド人か?」と言われたことがあるけど、英語でまくし立ててやったからねぇ~( ´艸`)

フェイスブックの反応

Yoshikoさん
韓国のご年配の方たちとお話しする機会は、得られませんでしたが、紹介されている感じというのは、わかるように思います。

反日教育を含む教育を受けていたとしても、煽動されることなく、実際の人となりで判断し、対等に付き合ってくれる若い人たちも居ました。フランスに下宿していたときのルームメイト3人が韓国人でした。
一人はソウル出身、親は教師をしており、日本でもブライダルのモードの分野で働いた経験がある、日本語達者な女性で、彼女は祖父母から、日本人と良い交流もあったことを聞いていました。
もう一人は、韓国でも地方出身の、やはりモードの勉強をしに来た女性、あと一人は、博士(韓国では、経済的にも安定した女史という地位につけるらしい)を目指して日夜勉強に励む女性と、バックボーンは様々でしたが、一様に良い関係を築くことが出来ました。

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