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お魚も食べれるベジタリアン?私が【ペスクタリアン】に拘る理由

2014年12月4日

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お魚も食べれるベジタリアン?私が【ペスクタリアン】に拘る理由

2014年12月4日


なぜか、日本では広まらないペスクタリアン。この記事を最初に書いた2014年11月から5年以上経つが、少しばかり日本でもそういう意識は増えたみたいだけど。(';')

ためしに、ペスクタリアンというキーワードを英語で検索してみると、日本の10倍以上はあった。また以下のランキングのように、ペスクタリアンを含むベジタリアンという概念で、人口が多い国は結構ある。

「ベジタリアンを推奨する国、国民に占める割合が高い国 TOP20」

さて、そもそもペスクタリアンって何なの?とお思いの方が多いはず。と思いこの記事を作成した次第。私自身、ペスクタリアンになってもう約10年目。

その間、色々なことがあったわけ。けれども、健康診断でも何も異常もなく、栄養学の知識もつき、食べるものに拘るようになってから、身の回りのことに変化が起きたりしたのも、20代の初めにビーガンになろうと決心したことからだった。

結局ビーガン→ペスクタリアンとなるわけだけれども、このように一度食べ物を制限するビーガンという時期があったからこそ、食に対して強く意識するようになったし、食べ物がどこから誰の手によって作り出され、食卓に運ばれてくるのかも意識するようになった。

ちなみにこの記事で最初に一つだけ言っておきたいのは、ペスクタリアンである私の信念みたいなものを押し付けるつもりはないということ。

また、私が現在ペスクタリアンでい続けているのは、強い信念というよりは、ペスクタリアンになったことで結果的に幸福を手に入れたからである。

幸福の感じ方は人それぞれ違うので、私のようなペスクタリアンのスタイルが合う人もいれば、合わない人もいるだろう。

なので、一個人の体験として読んでいただければ幸いである。

 

①ペスクタリアンの定義

いわゆる、ベジタリアン菜食主義者)というのはおおまかな概念で、一番最初に生まれた言葉であるがゆえに、定義が定まっていない。
 
ビーガン絶対菜食主義→完全に動物性製品を買わない)や、ペスクタリアン(魚や卵はOK)というものも、すべてひっくるめてベジタリアンということができる。
 
全てに共通するのは、鳥以外陸生動物(Terrestrial animal)を食べないことだろうか。
 
つまり、ベジタリアンは豚肉や牛肉を食べない人たち。とも言えるかもしれない。→ベジタリアンのサブカテゴリになるペスクタリアンは、魚や卵が食べられるし、ポロタリアン (Pollotarian)は、赤い肉(レッドミート)系の豚肉・牛肉を避け、鶏肉や魚はOKとされているので…。
 
ちなみに現在、西洋ではベジタリアンが急速に広がっているが、その多くは、ラクト・オボ・ベジタリアンと言われ、ペスクタリアンとは違い魚は食べてはいけない。
 
その代わり、乳、チーズ、ヨーグルト、ケフィア、及び卵などの動物由来の製品を消費する。つまり、この意味では動物の体を傷付けていないということになる。
 
けれども、これから私が紹介するのは、ペスクタリアンであり島国の日本人が長い間食してきた魚も食べるスタイルである。
 
それに加えて、上にあるような乳、チーズ、ヨーグルト、ケフィア、及び卵などの動物性由来の製品もOKなので、栄養面で特別不足するものは何一つないということになる。

②私が、中国でビーガンになった理由

私は2010年6月から約1年3ヶ月、お肉、および動物性製品の摂取を辞めた。つまり、牛革のカバンを持ち歩いていなければ、ほぼほぼビーガンに近い生活をしていたわけだ。とはいえ、卵などは食べていたけれどね…。(;^ω^)全然ビーガンに近い生活じゃなかったかも!?と思いながらも、私は真剣に自分がビーガンであると思っていた。


「韓国人と中国人に、「オマエ老けたな!」と言われて【ビーガン】を辞めて正解だった理由」


そもそもなぜ、そのように動物性製品の摂取をやめたかといえば、ビーガンに近い生活を始めることで、当時何でも中途半端な自分にとって何か続けられるものが欲しかったからである。つまり、今後の人生においての柱となるものが欲しかったのだ。そのため、インド大陸の伝統的医学であるアーユルヴェーダの本を買ってみたり、昔の自分とお別れするような感覚で、新しい自分を手に入れたかったのだ。

私がビーガンに近い生活を決意したのは、その年、ニューヨークの恋人に会いに行った後だった。今後、どこでも暮らせるようになるには、自分が食べるものにより気を付けられる人間になりたい。という思いもあり、食べ物というものをよく知る上でも、食についてもっと見直そうと思ったというのもある。

また、今まで与えられてきた食事を何の意識もなく食べていたけれども、ビーガン・ダイエットを始めることで一つ一つを意識するきっかけになると確信していたので、このビーガンになるということは、すべての意味で当時の自分には正しい選択だった。

その後、約1年3ヶ月後、中国・韓国から北海道へ帰国(私にとっては北海道は国)したとき、両親と一緒に回転寿司を食べたのをきっかけに、また魚を食べる生活に戻ったのだ。

それ以降、私はビーガンではなく、厳密に言うとペスクタリアンである。

 

③なぜベジタリアンになったの?と聞く、変な日本人たち

日本人の中には、なぜベジタリアンになったの?宗教的な問題?とか、ちょっとおかしなめで見る人たちが意外にも結構多い。

これは現代の日本人が非常に恵まれた環境(日本列島という平和島)にいるからであり、普通ならベジタリアンになった人に対して、このように質問するのはおかしい。

世界を見渡すと、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、キリスト教など、さまざまな宗教があり、無宗教よりも、何かしらの宗教に属している人のほうが多い。

ヒンズー教のように牛(神シヴァの乗り物)を食べない国(実際には食べている人も多い)から、イスラム教のように豚肉を食べない国など、これらの人口だけでも、数十億になる。

つまり、現代の日本人はスーパーマーケットに行っても、それらの動物性食品がどこからやってきたのか考えたりすらしないのである。

例えば、屠殺業に従事しているものを差別しているくせに、自分は肉を食べているなど、矛盾した状態に陥っているのだ。

本来であれば自分がいつも食べている肉を食品にしてくれている屠殺業者は尊敬されるべきであるのに、動物の屠殺業者は差別され、漁師は差別されない。

韓国でも李氏朝鮮時代に、人間扱いされない下層のものが、屠殺業者であったけれども、

「李氏朝鮮時代の身分制度。両班、中人、常人、賤民と、人間扱いされなかった「白丁」(ペッチョ)との格差」

いつの時代もこの職に就くものは人間扱いされないような地位に置かれていたことからもわかるように、人間の心理の中で、動物(特に牛や豚)を殺すことと、魚を殺すことはやはり違うのだと思うのである。

つまり、個人的な意見だけれども、肉を食べる人は屠殺業に従事する者に対して尊敬の念を抱かなければならないだろう。

なぜなら彼らなしで、お肉が食べられる状態で食卓に並ぶことはないからだ。彼らの存在なしでは、自分で捌かなければならない。

けれども発展途上国を旅していると分かるのだけれども、若い子どもたちがニワトリを捌いていたり、モンゴルの放牧業では自分が大切に育てた家畜の腹を切り感謝して食べる(大切に育てたので本当は殺したくないのだろう)。

このように、動物に感謝して食べているわけである。

しかし、今の日本人にそれは全くない。大概は料理になったものを当たり前のように食べているだけなのである。

そういうこともあって、私は海外を放浪した後、あらゆる背景を考えられるような人になりたいと思い、ビーガンになった。

で、今は、なぜペスクタリアンになったの?と聞かれた以下のように答えるようにしている。

④植物だって生きているんだから、同じじゃないと言う人に対して

私は、植物だって生きているんだから、同じじゃない。と言われたことが何回かある。そしていつも何も言い返すことすらできなかった。自分でも、よく理解していないままペスクタリアンを続けていたわけ。


そして、よく自分に問いかけた結果、自分に納得のいく答えがでてきた。私が決めたルールは、”自分で殺傷(さっしょう)/殺生(せっしょう)できないものは食べない!” というものだった。

①植物

みかんや、リンゴ。そしてバナナなど、私が大好きな果物に包丁を入れることは簡単にできる。言うまでもなく、みかんの皮をむいて食べることには抵抗がない。

 

②動物(水生動物

私は小さいころよく、潮干狩りに行った。そこでは昆布やウニ、アサリ、カニなどたくさんの 水生動物(aquatic animals)がいた。あったのではなく、いたのである。
つまり生きているものなので、英語とは違い日本語では、陸で生活する 陸生動物(terrestrial animals)のように、いたと表現するわけだ。
けれども、私は滅多に魚をさばいたりすることはないものの、必要に応じて捌くことに抵抗はない。できれば、あまり捌きたくないものの…。
一方、お寿司を食べたり、魚料理を食べることは人生において私の唯一の楽しみの一つでもある。こんな魚が豊富な日本で、新鮮な魚を食べて暮らしていけるのなら、肉なんて別に食べなくていいと思えるのだ。

③動物(陸生動物

私には、自分の手で、皮を剥いたり、包丁で切ったりできないものがある。それが、陸生動物(Terrestrial animal)なのだ。
 
このゴマフアザラシの写真をわざわざつけたのは、何もカナダで多くのアザラシの赤ちゃんの毛が剥がれているからではない。ゴマフアザラシが私の大好きな動物だからだ…。
おそらく私だけでなく、目の前に魚と動物が生きたまま置かれていたら、どちらに包丁を刺すだろうか。
このように考えると、理屈ではなく、本能的に自分が何を食べたいのか。というのが分かってくると思う。
また、あまり知識のない幼稚園児くらいの子どもたちが、花をハサミで切るのと、猫の首をハサミで切るのを見せられたら、猫のほうがかわいそうだと思うはずである。これは人間の本能であると思うのだ。

⑤環境が変われば、また動物を食べるかもしれない

とは言いつつも、現在私が住んでいるこの平和島(日本列島)から離れることになれば、また肉を食べ始めるかもしれない。たとえばアフリカで自給自足の生活をしなければならなかった場合や、サバイバル的な環境に移ってしまったら、確実に生きていくために、動物を食べるだろう。

けれども日本列島で暮らしている今、日本の先祖と同じように牛肉や豚肉よりは魚を多く食べ、その土地で旬なものを中心に栄養のバランスをとった食事に心がける。ということは続けていきたい。

また、私は完全に肉を食べないという訳でもない。というのも、たまに気づかないうちに肉を食べてしまっていることがよくあるからだ。小さい肉のかけらが入っていることはよくある。

また2018年の治験参加で食べたものに、お肉が入っていた。その時は、自分でこの肉をさばいたのだという強いイメージのもと食べた。(もうずっと食べていないので、後で気持ち悪くなった)

それに最近は、鶏肉は食べていいかな。とも思っている。鶏肉は、牛肉や豚肉などのレッドミートとは違い、ホワイトミートだということがわかったこともあるし、ニワトリなら自分でさばけるかな。とも思うようになってきたからだ。けれども相変わらず食べていない。なぜなら、魚で栄養は全然足りるからだ。

⑥ペスクタリアンになってから起きた変化

ビーガンを経て、ペスクタリアンになってから私にはたくさんの変化が起きた。例えば、今まで食べた動物がどのようなプロセスでこの世に誕生したのかを調べるきっかけになった。犬と豚の違いや、豚の食用がいつから始まったかなど。また、犬を食べる国の存在なども。
何度も言うけれども、私はこの記事で、ペスクタリアンになって!!こんなメリットがあったよ!なんて言うつもりはない。
ただ実践して年齢を重ねるたびに、私は本来、食べなくても良いものを食べていた時期があったのだなと感じたりするのだ。
なぜなら、魚介類、卵や牛乳といった本来の日本食(明治維新までは日本は長らくお肉を食べることを禁止していた→実際は一部で食べられていたけど)で、きちんと動物性のものは摂取でき、あえてお肉を食べる必要がないからだ。
お肉を食べない生活を続けていると、不要なものをますます取りたくなくなる。たとえば、お菓子や、戦後急激に増えた糖類が多く含まれた食品はほとんど食べなくなった。
ご飯を毎日食べているので敢えて糖類を取る必要はないのだから。
ビーガンになってペスクタリアンになる前までは、スーパーの食品コーナーに入ったとき、すべての食品が選択の対象だったけれども、今は自分の栄養に必要なものだけしか視野に入らない。たとえば昔はお菓子も結構食べてたけど今は全くといっていいほど食べない。その代わり、ちょっと高くて良いものを買う習慣になった。
つまり、そうしていると、自ずと良いものだけを体のために取り入れようという習慣に変わってくる。そしてたまにカップラーメンなどを食べると、お腹に違和感を感じるようになる。
ちょっとでも砂糖の入った豆乳を飲むと、なんかこれは変な人工的な味だと思うようになる。
ということもあり、私なりにメリットのほうが多い。なので、今の私にはペスクタリアンを辞める理由がないのだ。栄養に関しても、卵・牛乳などの乳製品をとっているので、特別お肉からしか摂れないものなどもないので。
栄養以外の理由、つまり味覚の快楽のために肉を食べて、屠殺業者を見下すような多くの日本人のようにもなりたくないしね…。( ´艸`)
余談だけど、最近韓国でポンテギ(カイコの蛹)を食べられるようにもなった…。(陸生動物だけど、自分で殺せるので…)

⑦お肉→大豆製品に変えることによるメリット

ビーガンになってから、豆乳をかなり飲むようになった。肉の代わりに大豆製品を取るようになってから、肌が滑らかになり、髪の毛が少しサラサラになったような気がする。
とにかく顔が丸くなったというか、女顔になったね。と言われるようになった…。以下の記事でも書いたのだけれども。
動物性たんぱく質から植物性たんぱく質に変えたことで私の外見は骨レベルではあまり変わっていないけれども、皮膚レベルでは変わった。これは確実。
特に、以前よりも男子が寄ってくるようになったのはものすごく不思議…。( ´艸`)

⑧肉→魚に変えることによるメリット

日本史の中ではたびたび、肉が禁止されていた時期があるように、もともと日本の宗教観では肉を食べることは悪とされてきた。日本にも蝦夷など、朝廷に逆らう勢力もいたので、そういう勢力や山で暮らしていた民族は別。
私の故郷でもある北海道のアイヌ民族の場合は、稲作文化がなかったので、熊や鮭などを食べていたわけなのだけど、現代日本人の多くは、先祖が肉よりは、魚をたくさん食べてきたと考えられる。
そして日本人が肉を大量に消費するようになったのが、明治にはいってからだと考えると、日本の長い歴史の中で、まだたった200年ちょっとだということになる。
また戦後の欧米化により、生活習慣病が増えてしまった。(食品売り場にいけば、砂糖しか売っていないんじゃないか。というくらい、どの食品にも砂糖だらけ)
ご飯にも糖分は入っているので、特別砂糖を取る必要はないのではないか。と思う。
肉より魚を食べるようになると、魚の種類に詳しくなるし、なんといっても EPADHAなどの、身体にとっても良いものが含まれているので、大豆製品と一緒にとれば、美容の効果も抜群だということだ。
また魚にもっと詳しくなることができれば、将来貧乏になっても釣を趣味に変えられる可能性もある。

 

⑨ペスクタリアンと平均寿命の関係

私は専門家でもなんでもないので、薄っぺらいことしか語れないが、ブログを書き続けていて気付いたことがある。それはヨーロッパでも一番平均寿命が高いのが、スペインやイタリアだという点だ。→意外に思った人も多いかもしれない。
つまり和食は体にいいけれども、和食だけが世界一ヘルシーな料理ではないということがわかる。(日本ではなんでもかんでも日本が長寿国と喧伝しているので…)→イタリアとスペインは日本よりも、1人当たりの購買力が低いのにもかかわらず、平均寿命は約1歳しか変わらなく、ヨーロッパでもトップクラス。
特に長寿の研究(センテナリアン→100歳まで生きる人たちのこと)で、イタリアのある地区が研究対象になることがあるが、ここでは豚肉や牛肉はほとんど食べなく、その地域でとれる新鮮な魚や、野菜、そして肉を食べたとしても鶏肉や兎肉などのホワイトミートを食するようだ。
 
つまり、現代日本人の中にもし豚肉や牛肉を食べることを辞めたら寿命が縮まってしまうのではないか…?と不安に思っている人がいれば、それは単なる迷信である。(私もビーガンを始めるころ、そんなことが頭をよぎったので…)
またアジアでは韓国や香港なども平均寿命が高いが、これらの多くは海が近いことであり魚をよく食べる国であるという点。
けれども、肉を食べないことが平均寿命を延ばすことになるとは限らない。一番重要なのは、血管の内部に炎症を起こさないように、ヘルシーなものを食べつつ、運動も怠らないという姿勢かもしれない。

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