この記事は、2016年に書いたものに少し編集を加え、より内容を分かりやすくしたものだ。なので、2016年に私が書いた痕跡を感じることができるかもしれない。
私はこのたび母と韓国に旅行に行った。(2016年の秋)当初、済州島に行くという計画はなく、ソウルで少しブラブラして韓国の田舎に行こうと思っていたのだけれども、全く韓国のことを知らないであろう母が成田空港で、突然、「済州島にも行ってみない?」と聞いていた。「え!?」とビックリしてしまったが…。
そもそも私は韓国に何度も行っているのに、済州島のことなんて眼中にもなかったので…。→母は初めての海外旅行なのにもかかわらず、韓国のガイドブックで色々調べていたようだ。
で、私は、ソウルからどのくらい距離あるのか知っているの?って言いたかったけれども、3泊4日の旅だし、船とかバスとか使えばとりあえず済州島には行けるか。。と思いながら、ソウルの瑞草区にあるソウル高速バスターミナルからバスで5時間以上かけて、朝鮮半島南部の町、珍島(チンド)という町に行った。
ちなみに、普通の人はさすがに飛行機で行くようだ。→なので移動中に出会った韓国人からは、バスとフェリーで済州島に向かうおかしな日本人に映ったのかもしれない…。
現在、ソウルー済州島間の航空便数が国内線の移動で世界一になったというのも頷ける。(かつては日本の羽田ー千歳間がドル箱便なんて呼ばれていたけれども)
高速バスを降りて、高速バスの運転手が電話で手配してくれた個人タクシーに乗る。(日本人が、こんな珍島みたいな町にくることはかなり珍しいのだそう)
で、そのタクシーで、出発30分前のフェリー?(小さな船)に乗る。高速バスを降りてから、30分後にフェリーが出発するということで、そのタクシーもかなり飛ばしていた。
ちなみにここはかなり田舎なのでソウルでは通じる私の韓国語が通じにくかったということを実感。個人タクシーで急遽手配してもらったり、荷物を持ってもらったこともあり、たぶん、10kmくらいの距離だったけれども、2000円かかったかな?これは安いのか高いのかはわからないが、個人的には安かった。
そしてまた3時間ほど、船酔いしそうなくらい飛ばしている船に乗って済州島へ。また、そのフェリーが面白くてね、
私の母が、韓国人のアジュンマに日本語で話しかけられた上に、インスタントコーヒーをもらっていたという…。なんでも、昔、東京の港区でアルバイトしていたことがあったんだって。
私の母は海外が初めてだったので、言葉も通じない異国の韓国人に親切にされて大変ご機嫌だった。
また船に乗って思ったんだけど、済州島に向かっている韓国南部出身の人たちが、ソウルの都会人の人達よりも、マナーが悪すぎ!おそらく、まともな義務教育を受けられなかった世代(40代以上)の人が多かったからということと、田舎の人達なので、北海道に帰るフェリーのときに感じるようなものとオーバーラップしてしまった。
私は正直、今まで済州島に関心を持ったことすらなかった。
東京に住んでいる私が沖縄にあまり関心を持っていないのと同じで、実際に訪れたことがない沖縄にはやはり興味がない。そんな感覚だろうか。
済州島なんて人口少ないし、一生行くつもりもなく、考えることすらない。つまり、済州島って、日本人からは忘れられたも同然の島。
ちなみに、今回の旅行では、済州島の済州市しか回っていない。済州市は旧市街地と新市街地を回ってきたくらい。なので、この1日半くらいの旅で本当の済州島を知ったとは言えない。
けれども、ひとつとても疑問に思ったことがある。それは、フェリーターミナルにいる人たちを見渡すと、「私が今まで見てきた韓国人とは顔の種類が違う」ということだった。
少し濃いような、でも日本の濃さとは違う。
そこで私はこの記事を書くことを決めたのだ。以下、いくつかの見出しとともに、済州人の人たちの顔が平均的に、半島とは違う理由や、かつての歴史を紐解いて、なぜ済州島には親日の人が多いのかを探っていきたいと思う。
①かつて済州島が貿易していた国々と、独立国「耽羅」
で、帰国後、色々気になったことがあったので、済州島に関することを色々調べていたら、このような地図を発見。
この写真は、済州島がこれらの国と貿易をしていたというものだそう。この地図を見る限り、なにやら東南アジアの仲間じゃん?とも思えたりする…。(;^_^A
※ちなみに、タミル語と朝鮮語は500単語以上が類似していることが世界では話題になっている。
済州島の人たちが、外見において本土(朝鮮半島)→ソウル周辺の平均顔と違うという点を簡単に表現するなら、韓流スターのような種類の顔の人があまりいなかったということである。つまり、美白パックを一生懸命したり、化粧水たっぷりつけて、日焼け止めいっぱい塗りまくりみたいな感じではなかったということ。
私が見た人たちがたまたま船関係の人たちだったからかもしれないが、北海道に帰ったときに冬なのに顔が赤っぽく焼けている人たちに近い感覚も覚えた。
一方、私が韓国の大学に留学していた時は、大田(テジョン)という地方都市にいたのだけど、この大学には韓流スターのような種類の顔の人は多かった気がする。
もしかしたら、収入によって外見にかけられるお金も変わってくるからではないだろうか。また済州島の人たちはオシャレには全く気にしていないような印象だった。
また、チェジュ語(Jeju Language)というものもあるらしく、絶滅寸前の言語として危惧されているらしい。
言葉では表せないのだけど、明らかに半島とは違った空気があり、同じハングルを話しているのにも関わらず、私にはやはりここ済州島が韓国には見えなかったのだ…。
ちなみに、15世紀初め李氏朝鮮に完全併合されるまで、この済州島には、「耽羅」(たんら)という独立国があったというふうにも言われている。
②済州人の顔を簡単に表すと…
こんな感じに近いかもしれない。といっても、この写真は、以下のURLからお借りしたもので、済州島の人たちだ。これらの写真を見ていて思うのは、何か日本人に近いものを感じることだ。少し南方系(特にマレー系的なにおいもする)のような感じもする。
上の貿易地図を見ると、もしかしたら済州人と半島人は全く別物なのではないか。とも思ったりする。それでも、済州島には半島人のような顔の人たちもたくさん住んでいる。
それは沖縄に、弥生系の人たちも住んでいる、そういう感覚と同じなのかもしれない。
ちなみに韓国全体を旅行して回っていると、やはりこういうちょっと濃い南方系の韓国人は少ない気がする。日本の場合、九州や関東、北海道・東北などに、南方系の顔の人は結構多いのだけれども、韓国の場合は、北方系の顔の人が断然多い。
それは、チムジルバン(韓国の健康ランド)で、入浴中の顔を眺めていても感じることだ。私の顔はどちらかというと韓国では濃いので、すぐに目立ってしまう。
日本に何度も旅行に行ったことのある韓国人には、初対面でも日本人?と聞かれることもある。
つまり、以下のような濃い顔イケメンは韓国では、かなりレアだということも知っておこう。
③済州市は、意外と都会だった件
ちなみに、済州島の済州市は結構都会であった。観光地は海を別にすればグアムみたいな雰囲気であり、韓国本土の雰囲気とは明らかに違っていた。済州市は何もないと思ったけど、例えるならば、四国の高松市とか松山市くらいの規模はあるのではないか?
ウィキペディアでは人口、43万人ほどとされているが、東アジア有数の大都市ソウルと済州島が国内線において世界1のドル箱路線ということを考えても、ここに訪れる韓国人も多く、日本の四国にある42万人都市、高松市よりも国際的な雰囲気が楽しめると思う。(中国人も多い・・)
また私は、英語でチェジュ人(あえてカタカナにしてみたw)に、明日船で本土に帰りたいんだけどっていうのを、
I want to go back to Korea tomorrow. (韓国に帰りたいって言ったということ)と言ってしまった。チェジュも一応韓国なのに(笑)→相手の反応はちょっとビックリした感じだったけど…。
つまり済州人からしたら、「ウチら済州人と半島は全く別だもぉーん!」って思っている人もいると思う。
「北朝鮮と南朝鮮まだ争ってるのか…。」みたいな。
沖縄人が沖縄と言う場所を、日本と別にされるのが嬉しいのと同じように、もしかしたらチェジュ人も済州島と韓国(朝鮮半島)を別にされるのが嬉しいのではないか?と私はひそかに思っていたり。
北海道人の私は、北海道と日本を別にされると少し嬉しかったりする。例えば、
中国人が Are you from Japan? と聞いてくるよりも、 Are you from Hokkaido? と聞いてくるほうが・・。なぜなら、それだけ北海道って注目されてるんだ?って思うからだ。( ´艸`)
④済州島四・三事件を知ることが鍵
日本人は基本、韓国の歴史には無頓着(一部ネットでめっちゃ詳しい人も結構いるけど)なので、こういう事件があったことすら知らない人は多いと思うのだけど、簡単に言うならば、日本が大東亜戦争に負けた後、つまり戦後、多くの済州人が、半島からきた韓国人に虐殺されたという、事件が起きた。
これが、済州島四・三事件だ。この写真は、処刑前の人たちの写真とされている。この当時(1948年4月3日~1954年9月21日)、朝鮮は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にあり、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。というウィキペディアの記述もあるが、この辺の数字は、信ぴょう性が薄いので、軽く読むくらいにしてほしい。
で、なぜこのような虐殺が行われた。のかというと、はっきりとした歴史的背景がある。
日本が連合国に降伏(1945年9月2日)後、朝鮮半島はアメリカ軍とソ連軍によって北緯38度線で南北分割占領され軍政が敷かれる。
1947年3月1日、「済州市内で、南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民に対して警察が発砲し、島民6名が殺害される事件が起きた」ことがきっかけに、3月10日、抗議の全島ゼネストが決行される。
その後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は警察官や北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体「西北青年会」を済州島に送り込み、白色テロが行われるようになった。
つまり、米国がここに関与しているのだ。アメリカからすれば、北朝鮮と南朝鮮が統一してしまっては困るのだから。
この事件は、長い間、語ることがタブー視されてきたため、こういう戦後韓国国内で起きた虐殺などを逸らすために、反日教育が利用されているのは、誰もが知るところであると思うのだけど、インターネットの普及と、ユーチューバーなど、発信者が増えたことにより、韓国でも徐々にではあるが、
참혹했던 '제주 4·3사건'의 모든 것 [심용환의 근현대사 똑바로 보기](2017年作成)
など、詳しく当時の虐殺に関して解説する人も現れている。これらの動画のコメントなどを見ても、「虐殺した韓国国民は、左翼右翼関係なく、処刑されるべきだ!」に、いいね!がたくさんつけられるなどと、済州人を擁護したコメントが目に付く。
こちらの動画「널브러진 시신, 겁에 질린 사람들…70년 전 그날의 비극 '제주 4.3 사건' / SBS」も、2018年に公開されたものであり、ほんと最近になって、済州島でのこの虐殺問題が知られるようになってきているような気がする。SBSのこの動画には、当時の映像が残っており、大変、貴重な動画かもしれない。
また、文在寅大統領(2017年5月10日に就任)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に、2006年の盧武鉉以来、大統領として12年ぶりに出席した。ことは、結構話題になった。
それまで、李明博も、朴槿恵もこの追悼式には出席しておらず、済州島人からすれば、この2人が追悼式に来ないのはなぜ?という思いがあるのかもしれない。
このように、済州人と韓国本土の人の間には、大きな溝が未だにあるのは間違いないと私は思う。
⑤済州人が親日な理由と、在日韓国人との関係性
現在、在日朝鮮人・韓国人と呼ばれている人たちの多くが済州島出身者だということは、以下の記事でも明らかにした。
実際に在日韓国人の中で、済州島出身者は一握りではあるが、明らかに比率的には済州島出身者、ひいては韓国南部の出身者が多い。
で、在日韓国人の中でも済州島出身者は大きく分けて二つある。それが、日本統治時代(1910年~1945年)と、済州島四・三事件(1948年4月3日~1954年9月21日)後だと言われている。
ウィキペディアの記述によると、
1922年に島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」が就航すると多くの島民が労働のため日本内地へ渡航し、彼らが集住した猪飼野周辺には後の生野コリアタウンの原型が形作られていった。
また、虐殺によって、今度は自分が殺されてしまうのではないか。という恐れから逃げたものもいるようだ。
そのため、やはりソウルを中心とした半島人と、光州事件などの革命が起きた「全羅道」や、またその奥に存在する「済州島」には確執のようなものがあるのではないかと思えてくる。
こちらの記事でも書いたのだけどね、やはり釜山や大邱出身の韓国人に、全羅南道に位置する光州人の印象を聞いても、タブーとされているけど、とか、長くなるけど、とか、かなり感情的に話してくれる人が多いので…。(;^_^A
「韓国人同士でも差別はある?全羅道や済州出身だと見下されるワケ」
そもそも韓国は国土が狭いながらにも、昔はいくつかの国に分かれていたわけだし、やはり地域ごとに主張が違っていて、結局、日本のように和を持って融合できないでいる。部分が、こういうところから見えるのかもしれないね。
⑥済州島旅行の続き
最近の済州島について語ると、2017年3月6日、在韓米軍烏山空軍基地にTHAADミサイルが到着して以来、中国人観光客は減ったが、それまでは済州島は中国人によるバカンスの地であった。私が行ったときも中国人だらけで、かなりウザがられていたのを覚えている。
たとえば、深夜のコンビニで、中国からきた10代のチャラそうな女二人組が、つたない英語で韓国人女性の店員に、話しかけようとすると、「ハァ?意味わかんねぇんだけど!」みたいな態度で中国人女二人を見下していたのは印象的だった。
そう。韓国人って白人と日本人以外は、たいていこんな態度なのでね…。
「なぜ、多くの韓国人は東南アジア人や黒人、イスラム教徒(ムスリム)を見下すのか」
おめえら中国人のくせして済州島で英語使って調子に乗ってんじゃねぇよ。っていう感じの態度。少なくても私にはわかってしまったわ…。
ホテルにチェックインした後、済州島の海沿いに集中しているお刺身などのお店に行ってきた。その時に、母と一緒に、お店の雰囲気などを外から見ていたら、なにやらそこの店長だろうか、(60歳以上だと思う)が、私と母に日本語で話しかけてきた。
なんだろう、好きなんだろうね。日本語話すの。韓国にいて感じるけど、彼らが日本語を話すときはすごく楽しそう。
「最近中国人ばかりで日本人を見かけなくなった。」とボヤいていた。「一昔前までは観光客と言えば日本人だったんだけどね。」って。
しかも済州島のタクシーの運転手も同じことを言っていたの。
済州島のホテルでは、フロントの男性がすごく複雑な手続き、つまり済州島からソウルまでの飛行機の予約をやってくれたりもした。二時間以上もかけて…。→めちゃくちゃ親切で、おおらかなイメージだった。
私は韓国に行くたびに、いつも親切にされているのだけれど、その中でも済州島の親切さ、というか雰囲気?はなんか半島の韓国人とは別に感じた。
もしかしたら、やはり私が上に書いたように、済州島人は自分たちのことを韓国人とは思っていないのでは?という風に思ってしまうほど、自分たちはチェジュ人だぜ。という風なオーラを感じた。
これって上海の友達の家で彼女の誕生日パーティーをやったときに来ていた沖縄人が、
I'm Okinawan とか言っていた感覚に似ているのかも?あのとき、同じく日本人だった私は、なぜか沖縄が遠い国のように思えたものだわ…。