北朝鮮と言えばなぜか、テレビで映る部分はそのほとんどが平壌である。平壌だけをみれば、中国人観光客が平壌に行っても驚くというように、結構整然とした都市である。一方、平壌から一歩外を出てしまえば、そこはアフリカの多くの国と同様、東アジアとは思えないほど、貧困、レイプなどが蔓延している。
そんな都市が、日本海沿岸都市の向こうにあると思うだけでもゾクっとする。けれども、こういう裏の部分、つまり平壌以外の都市を見ようとする日本人もまたいない。そもそも日本人が北朝鮮に興味を示すなんていうことはほとんどないけれども、やはり核の脅威や、拉致問題などがある限り、日本人ももっと北朝鮮のことを理解し、それが今後の問題解決のきっかけになればいいのではないかとも思う。
そういう意味で、やはり韓国語の学習は捨てたもんではないと思うこともある。( ´艸`)
さて、この記事では、平壌以外の都市に見出しをつけ、どのような都市があるのか、またそれぞれの都市がどのような機能を担っているのか、また外国語のサイトで写真をたくさん載せたものや、ユーチューブ動画などもリンクして、北朝鮮の平壌以外の都市に少しでも詳しくなれるように、私自身も頑張って書いていきたいと思う。
ちなみに人口は、2008年のものである。→データが古いものしかないということは、人口統計を最近はとっていないのだろうか…。(;^_^A
①咸興市=70万人
咸鏡南道の咸興市(ハムン)は、平壌以外では北朝鮮最大の都市で、日本海側に位置する。日本海側に北朝鮮の都市があるというイメージはあまりないのは、テレビで平壌ばかり映し出されているからであろう。
こちらのリンク(사진으로 보는 북한-함흥냉면으로 유명한 함흥지방 사람들의 생활모습들)では、咸興市民の生活を垣間見ることができる。普段テレビで見る平壌の発展している部分ではなく、川をみんなで渡ったり、タバコを吸いながら自転車に乗ったり、子どもたちが笑顔で集まっていたり、牛?動物を使った車(めっちゃ可愛そう。重たそう…)
ちなみに写真をみていると、どす黒い人が多い。これは外で働いている時間が多かったりすることが原因だろう。
このような過酷な環境下でも、やはり女性は口紅くらいはつけるものである。また、子供は楽しそうに見えるけれども、やはり大人は社会人ということもあり、かなり生活が大変そうに見えた。
もう一つブログを紹介しよう。(Hamhung a gallery curated by sgomag)
なぜか、広場みたいなところに多くの人民が集まるこの雰囲気。中国の田舎にそっくり。
こちらのブログでは、
ボロボロになったピアノを弾いて子どもたちに教える授業の風景。1990年代後半に日本で売られていたような、大きなテレビ型のパソコンを触る女性たち。
李氏朝鮮時代のように、頭の上に荷物を置きながら歩く女性たち(手で押さえていないのが凄い)。自分の奥さんを二輪車に載せて運ぶおじちゃん。など、興味深い写真が多く掲載されている。
最後に、こちらのブログ(북한 함흥시의 모습)を紹介して、咸興市の状況については終わりにしよう。こちらのブログにあって、上の二つのブログにない光景と言えば、宣化堂の写真があることだ。
宣化堂とは、日本語のウィキペディアでも説明がなかったのだけれども、観察使(国王直属の機関で、地方行政監察のための官職)が業務を行うところで、朝鮮半島にはここを含め、4つしかない。その4つが、以下である。
・公州市(百済の古都)
・大邱市
・原州市
つまり、この咸興市が、李氏朝鮮時代から地方都市として重要な場所であったとも見ることができる。
けれども、私のブログではその歴史ある宣化堂の写真よりも、上の瓦の屋根でできた北朝鮮の一般市民が住んでいる光景を採用した。
韓国にある韓屋(ハノク)よりもお粗末な感じな印象を受けた。いずれにしても、上の3つのブログを見ていると感じるのは、普段北朝鮮が海外のテレビ局関係者を呼び込んで、演技しているニセの姿とは違う。
ちなみに、この都市には、日本人の墓もたくさんあり、実際に2014年に、畔田八恵子さんなどが墓参りに行っている。
北朝鮮の咸鏡南道・咸興市で日本遺族が慰霊(当局が日本人埋葬地への立ち入りを新たに許可)
②清津市=61万人
で、上の動画は、2013年に撮影されたもののようなのだけれども、人々の笑顔、特に若い人たちの笑顔が印象的だった。
ローラースケートで遊ぶ子供たちや、自転車の二人乗りをする人たち。なんだか、北海道のような長閑な雰囲気があるようにも見える。
私がイメージしていたどん底のネガティブな空気とは違ってちょっと安心した。ちなみに、金正恩夫人、李雪主(1989年生まれ)は、清津市である。
③新義州市=33万人
平安北道の新義州市(シニジュ)は、メディアにもたまに出てくる。というのも、中国と国境を接する街であり、結構重要な場所だからだ。(日本海側の都市とは違い、重要視されている都市なのだろう…)
ちなみに、この写真の高層ビルは中国の丹東市である。そして、その上に野原っぽくなっているのが、新義州市である…。
その野原の向こうに見える摩天楼が、丹東市の新区であり、北朝鮮の新義州市が、中国の丹東市に囲まれるような形で存在しているのが分かるだろう。
④元山市=32万人
江原道 (北)の元山市は韓国からも近い。そもそも韓国でも、江原道があり、これまたややこしい。( ´艸`)元山市も、日本海側の都市なので、北朝鮮の日本海側には中級クラスの都市がいくつもあるということになる。
ちなみに、韓国の江原道も、日本人旅行者もかなり少なく、本当の韓国を堪能できるかもしれない。( ´艸`)→日本人が訪れる韓国と言えば、ソウルと釜山がほとんどなので、韓国の地方都市も、かなり発見があって面白いと思う。
⑤南浦特別市=31万人
⑥沙里院市=27万人
黄海北道にある沙里院市(サリウォンし)は、平壌から南に50km くらいいったところにある都市。この動画はかなり貴重で、この都市の現状を隅々まで映し出しているのが印象的だった。
予想以上に、人々の生活をかなり細かく撮影している。けれども貧困的な映像がほとんどないのでやはり表部分の動画ではないかと思った。
とはいっても、沙里院市なんていう日本人が一度も聞いたことのないような動画を見つけることができて良かった。上辺の部分だったとしても、平壌以外の都市の様子を見れるのは非常に嬉しいことだ。
⑦開城市=26万人
黄海北道にある開城市は、よくメディアにも登場する都市だ。ここは歴史的に言えば、高麗の王都として、また商業の中心として栄えた古都である。
この都市は、もともと韓国側の都市であったけれども、北朝鮮が朝鮮戦争(1950年)で韓国側から奪ってしまった。
メディアで登場する開城市といえば、開城工業地区のようなイメージが強いが、本来は上にも書いたように、高麗の王都でもあったので、北朝鮮にとっては欲しくてたまらなかったのかもしれない…。( ´艸`)
にしても、開城市のこの風景は有名だが、道路の横幅が広くて、なんちゃってシャンゼリゼにも見えてしまう…。
⑧江界市=25万人
慈江道にある江界市は、このTOP10の中でも、一番人目につかない都市かもしれない。よく北朝鮮人が、中国に向けて脱北するのが、このあたりだと言える。北朝鮮北部をずっと行ったようなところで、中国の奥地にある国境へと繋がる部分に一番近い都市。
つまり、中国吉林省にあるハングルの使用が認められているエリア、吉林省の延吉にものすごく近いのだ。
「韓国でも北朝鮮でもない?ロシア国境にある、中国の【延吉】には、なぜハングルばかり?」
⑨順川市=25万人
平安南道にある順川市は、平壌から北に50km以上行ったところにある。つまり、平壌の衛星としてあまり存在感はない。
⑩平壌直轄市=251万人
https://www.38north.org/2017/07/hferon071817/
最後に。やはり平壌を載せることにした。大阪市の人口、272万人(2018年)にも近い数字だけれども、大阪の場合、225 km2 であり、平壌の 2629 km2 の10分の1である。つまり、平壌は、広い範囲に、たった251万人しかいない。とも言うことができる。
なので人口だけを見れば、大阪と同格の都市なのかなぁ。とも思えるかもしれないが、全体の人口で言えば、大阪の10の1程度に思えるのかもしれない。
事実、大阪を中心とした近畿圏は、世界でも有数の大都市圏を形成しているので…。
「東京、大阪、上海、香港。ソウル、北京、シンガポール。どれが東アジアで1番の大都市圏?」
ま、平壌の中心部はそこそこ栄えているんだろうけどね…。
FBでお友達にシェアしたところ、以下のコメントをいただきました!
上海在住
うーむ。 北朝鮮さんだけは全くわからない国ですね。
しもじもの人は毎日生きるのがぎりぎりみたいだし、偉い人は、北朝鮮労働党委員長さまに目をかけていただければもっと偉くなれるけど、会議中に居眠りしたとか、(意見を言ったら)口答えしたとかで処刑されてしまう緊張の毎日。
そんなイメージしかありません。
でもちゃんと生きている人はたくさん居て、若い人や子供たちもおおぜい居るということは、孤独死間違いなしな私よりは北朝鮮の人民のほうが幸せなのは間違いないわけで、あちらから私を見たら「気の毒だなあ。あわれな老人だ」と思うでしょう。
よくわかんないけど。
榊原さん
戦時中のアメリカから見た日本みたいなもんでは。
加藤さん
数年前に観た隠しカメラで撮影されたドキュメンタリーではストリートチルドレンの子友達は笑っていなかったな。 どちらが正しいのかよくわからない???
山形さん
北朝鮮に生(=生きてる証)を見たという印象ですね。貧しい方が幸せなのかも、集会も唯一の娯楽なのかも。。。
しかし、韓国経由とは言えどうやってこんな生の写真手に入れた???
Sahoriさん
子供達が生まれてきて良かったと思える日はどの位あるんだろう?と考えてしまいます。どこの国にいても幸せの尺度はそれぞれですが。。。少なくとも飢えと暴力だけは本当に本当にどの国からも消えて欲しいと思うのみです
前田さん
子供はどこの国でも無邪気で罪がありませんね。
毎晩踊るで思い出しましたが、北京では以前は朝早く大きな公園で女性を中心に大きな音楽を鳴らして踊ってましたが、最近は日差しを避けて夜の公園で踊る人たちも増えてきてますね。中には統率の取れたチアリーダー顔負けのおばちゃん達のチームだったり。
それとチーム名等を染め上げた横断幕を公園の木に結んで踊ったりしてますね。
城さん
民主化出来ない限り明るい未来は来ないでしょうね。でもこのような国を生み出した責任はロシアやアメリカにあるのではないでしょうか?朝鮮半島を戦場にした大国に。
戸谷澤さん
第2の都市のハムンですらこうですか…。田舎の生活レベルは想像を絶する世界だなこれは。ところで、北には住民が外国人とせっするとスパイとみなす法律があります。だからブログ書かれた方はコメントを抑え気味にされているのかな?と思いました。地元のコーディネーターに何かあったら大変ですね。
関本さん
僕は小説はあまり読まないのですが、世界のあらゆる歴史や情勢の本は昔からたくさん読んでいました。
北朝鮮に関する本も10冊近くは読んだかな。
想像を絶する国でした。
疑心暗鬼に満ち、人権意識の薄い国と言う印象です。
Yasushiさん
この写真を見ると、冷戦時代のロシアの風景を思い出します。
もう30年以上前の話ですが、私が旧ソビエト連邦(ハバロフスク)の街を歩いたとき、街を歩く人々には笑顔もなく暗いイメージがあったことを思い出しました。
これは私が住む上越市が姉妹都市であるハバロフスク市との交流を深めようと企画したツアーでした。
撮影場所も行動範囲も制限され、一般の旅行ではなかなか行ける場所ではなかったと思います。
その時、シベリア鉄道にも乗りましたが、その列車に乗っていた車掌さんは、何と日本人でした。
少しお話しすることができましたが、その方は大分県出身で、終戦後日本に引き上げることができず、現地で家庭を持ち、シベリア鉄道で勤務されていたようです。