イタリアのブログに、日本のサムライなどがリスト化されていた。イタリア人と日本人は、阿部寛のイタリア人顔からもわかるように、似ていると言われることがあるが、そういう意味でも、イタリア人の中には日本人に親近感を持つものも多いのかもしれない。「なぜイタリア人は南北で顔が違うの?南イタリア人は、日本の縄文人との共通点はある?」
ということをこの記事で書きたいわけではない。
とある一つのブログに載っているリストとはいっても、少しでもイタリア人女性からの目線で日本の先人はどのように映っているのかみてみたく、記事化してみた。
最初の感想は、イタリア目線からだと、濃い顔男子の日本人しかでてこないのが、ウケる・・。というものだったけれども、白黒写真が多いせいか、濃く見えるだけなのかもしれない。
確かに、イケメンとされている日本人の中には九州出身の熊本バンド系の人も多いよね…。最近では、10代の間で韓流顔が流行っているみたいだけど?('ω')ノ
さてこれから紹介するイタリアのブログの著者によると、好みの男性を順位付けさせた。と書いてはあるが、真相は定かではない。(どこかのサイトの順位付けをコピーした可能性もあるし…)
とはいっても、政治的に活躍した人から歌舞伎系まで色々出てくるので楽しめると思う(';')
ちなみに、イタリア人でも日本に住むと以下のように、日本は好きだけど日本の生活が嫌いになってしまうパターンもあるので、こういうのも何かしらイタリア人を理解するヒントになるかもしれない('ω')ノ
「お前ら、夢の国だって勘違いしてない?日本に住まないほうがいい10の理由【イタリアの反応】」
1位 山内堤雲
生年月日 1838年11月3日
没年月日 1923年2月5日(85歳没)
本名は、山内堤雲(やまのうち ていうん)であり、別名は、山内六三郎で、
・江戸時代の幕臣(征夷大将軍を直接の主君として仕える武士)
・明治時代の官僚
であった。
1863年、遣仏使節・池田長発(09位にいる)に随行。1867年、パリ万国博覧会に派遣された徳川昭武(あきたけ)の通訳として随行する。
このとき、昭武は、将軍慶喜(第15代征夷大将軍)の名代としてパリ万国博覧会にヨーロッパ派遣を命じられていた。
通訳として、昭武に随行した堤雲であるが、彼は佐倉の母方叔父である佐藤泰然(順天堂大学の基礎を作った人物)に学僕として入門し、洋学者の道を歩むこととなる。→このときに外国語を覚えたと思われる。
山内堤雲のプロフィール(ウィキペディア)は、日本語版しかないにもかかわらず、このイタリアのブログで、彼の名前が一番上にあったことには何か意味があるのだろうか。
また、日本人離れした顔立ちということもあって、イタリア人からみると、ハンサムなのかもしれない。
また最初に書いておくが、このイタリアのブログの順位付け?がランキングかどうかも不明なものの、私のブログでは順位として解釈しようと思う(;^_^A
https://ja.wikipedia.org/wiki/山内堤雲
2位 土方 歳三(ひじかた としぞう)
生年月日 1835年5月31日
没年月日 1869年6月20日(34歳没)
幕末期の幕臣、新選組副長。新選組時代には、近藤勇(局長)の右腕として数々の事件を解明。蝦夷共和国では、軍事治安部門の責任者に任命される。戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死してしまう。34歳というかなりの若さであった。
「世界に存在していた国 TOP10に、日本の「蝦夷共和国」がランクインしていたことと、東北の蝦夷とアイヌの関係」
この写真の写り方。現代の日本人がみても、イケメン!と言いそうな雰囲気を持っている。若くして新選組副長とか、軍事治安部門の責任者とか、現在に置き換えて考えてもかなりすごいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/土方歳三
3位 渋沢平九郎
youzantei.la.coocan.jp/mitisirube/heikurou.html
渋沢平九郎(へいくろう)と言えば、この記事に出ている人物の中でも珍しく、ウィキペディアにプロフィールが載っていない。けれども、誰か?ということを簡単に説明すると、渋沢栄一の養子である。
渋沢栄一(1840年3月16日~1931年11月11日)といえば、日本の武士(幕臣)、官僚、実業家であり、
・第一国立銀行
・東京証券取引所
などの設立経営に関り、また、
・理化学研究所
の創設者でもある。そのため、日本では、「日本資本主義の父」とも呼ばれている。そんな栄一の養子が、平九郎というわけだ。
で、平九郎に関して言えば、ウィキペディアには載っていなく、以下の記事に彼について詳しく書いてある。
で、イケメンチェックに入りましょう。平九郎の顔を観察してみると、眉毛と目の間が狭く、また眉毛と眉毛の間も狭く見える。つまり、これはイケメンの条件をクリアしている。
ま、写真写りだから、本当はどんな感じなんだろう?とも思ってしまうのだけどね…(;^_^A
4位 福沢諭吉
生年月日 1835年1月10日
没年月日 1901年2月3日(66歳没)
福澤諭吉の写真は、私の別のブログ記事にもありますので、以下ご覧ください。若いころ?はかなりイケメンです。
5位 勝海舟
生年月日 1823年3月12日
没年月日 1899年1月19日(76歳没)
・江戸時代末期(幕末)→武士(幕臣)
・明治時代初期→政治家
・位階勲等爵位→正二位勲一等伯爵
山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。→覚えやすいかも。
この写真は、サンフランシスコで撮影されたもの。勝海舟に関して面白い話があるとすれば、9歳の頃に、狂犬に睾丸を噛まれて50日間~70日間生死の境をさまよっていて、それがトラウマになっていたという過去があることなどかもしれない。
また、勝海舟は、万延元年遣米使節(1860年)のメンバーでもあった。このメンバーは以下である。(上の写真がそのときのもの)
・新見正興(正使)
・村垣範正(副使)
・岡田井蔵(教授方手伝)
・浜口興右衛門(教授方)
・肥田浜五郎(教授方)
・ジョン万次郎(通訳)
・玉虫左太夫(記録係)
・小栗忠順(監察)
・勝海舟(軍艦操練所教授)
・小永井五八郎(勤番下役)
・塚原昌義(外国奉行支配両番格調役)
・木村喜毅(咸臨丸の司令官)
・福澤諭吉(木村の従者)
・ジョン・ブルック(米国の海軍軍人)
この中に外国人(ジョン・ブルック)が一人いるのは、当時日本からアメリカに船で行くには、日本人だけの技術だけでは不安であったことから、ジョン・ブルックを乗せたと言われている。
ちなみに、上の全体集合写真があるけれども、当時刀を持ち歩いてアメリカに行ってたと思うと凄いと思った。これは、アメリカ人が拳銃を常に持ち歩いている感じと同じなのだろうなぁと…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/勝海舟
6位 木戸孝允
生年月日 1833年8月11日
没年月日 1877年5月26日(43歳没)
本名は、桂小五郎 (かつら こごろう)、明治維新後に改名。明治維新に貢献し、維新の三傑の一人に挙げられたまさに偉人だ。
なんでしょう、何かを訴えかけているような目にも見える。渋いですね。なんというかベートーベン?
https://ja.wikipedia.org/wiki/木戸孝允
7位 中岡 慎太郎
生年月日 1838年5月6日
没年月日 1867年12月12日(29歳没)
https://ja.wikipedia.org/wiki/中岡慎太郎
オトコらしい眉毛。坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋に尽力するも近江屋事件で横死した。と、言われているように、坂本龍馬さんと深い関係があるようだ。
8位 織田信福
https://anngle.org/th/j-culture/history/odanobuyoshi.html
生年月日 1860年3月1日
没年月日 1926年1月13日(66歳没)
織田信福といえば、東京歯科大学の前身高山歯科医学院を設立した高山紀齋に師事したことで知られている。その後、25歳で歯科医籍として登録された。
もともと幕末から明治時代の医師であった山崎立生の門下生であったが、山崎立生が死没してしまったため高山紀齋に師事したという経緯もあり、結婚相手は、山崎立生の娘さん竹である。結婚後、竹は、自由民権運動に目覚める。高知県婦人会を発足するなど、当時では画期的な女性だったという。
上の写真は、なんとタイのホームページから引っ張ってきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/織田信福
なんでも、インターネットで織田信福さんのことを調べてみると、現代版のオダギリジョーらしい(´艸`)
9位 池田長発(いけだ ながおき)
生年月日 1837年8月23日
没年月日 1879年9月12日 (42歳没)
結構有名な写真。どこかで必ず見たことがある写真ではないだろうか?
そもそも家柄をまず見ていこう。
備中松山藩(現在の岡山県の一部を領有した藩)で、初代藩主・池田長幸の三男・池田長信を初代とする井原領主の井原池田家の10代目にあたる。
長発がやったことと言えば、
元治元年(1864年)にかけて遣欧使節団を率いてフランスを訪問した。(01位 山内堤雲でも書いた)ことではないだろうか?(長発は当時27歳)
上海、インド等を経由し、スエズからは陸路でカイロへ向かい、途中ギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学し写真を撮っている。
ヨーロッパ訪問を終えた後、日本で開国論(鎖国に対する)を唱えて蟄居処遇(家の中に閉じ込められること)となるが、その後、慶応3年(1867年)には軍艦奉行となった。
それにしても、こう、上から目線でみられると、ドキっとしてしまうわ…( *´艸`)
10位 益田孝
生年月日 1848年11月12日
没年月日 1938年12月28日(90歳没)
日本の実業家。草創期の日本経済を動かし、三井財閥を支えた実業家である。また、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊した。ということから、日本経済新聞の生みの親ともいえる存在だ。
また三井物産の歴史を調べてみると、
1874年(明治7年)3月 - 井上馨、益田孝らとともに先収会社を設立。が、一番上に来ていることから、草創期の日本経済を動かした数少ないうちの一人だということがわかる。
きっと、こういう人たちのことを勉強していると、今の政治家とか、今の大企業の歴史などに全部結びついてくるのでしょうね…。
11位 秋山真之
生年月日 1868年4月12日
没年月日 1918年2月4日(49歳没)
秋山真之とは、日本の海軍軍人である。
12位 東郷平八郎
生年月日 1848年1月27日
没年月日 1934年5月30日(満86歳没)
東郷平八郎とは、日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り、英雄扱いされている人物である。
なんでも、東洋のネルソンと呼ばれたほどで、世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎)の1人とされているそうだ。
また、華族の爵位も凄い。侯爵(上から二番目)という、日本でも有数の貴族であった。
「世界の王室(皇室)と、貴族における階級(爵位)と、天皇、国王(女王)、王子(皇太子)、大公、公爵、侯爵、 伯爵、子爵、男爵の違い」
13位 清河純一
生年月日 1878年1月7日
没年月日 1935年3月1日
清河純一とは、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将だ。ちなみにウィキペディアに写真は掲載されていなく、グーグル画像検索でもあまり写真が見つからない。
14位 野津 道貫
生年月日 1841年12月17日
没年月日 1908年10月18日(66歳没)
野津道貫は、
・薩摩藩士(幕末)
・陸軍軍人(明治)
・貴族院議員
・東部都督
・教育総監
・第4軍司令官
など、激動の時代で色々やってきた人物だ。爵位は侯爵…。すごい。
15位 白洲 次郎
https://www.pinterest.jp/pin/538532067918861780/
生年月日 1902年2月17日
没年月日 1985年11月28日(83歳没)
兵庫県芦屋市出身で、実業家だった白洲次郎は、今でも日本で人気。ということは多くの人が知っているところであろう。
もともと白洲家とは、摂津国三田藩(現・兵庫県三田市を中心とした地域)の儒学者の家柄で、
白洲文平(父)はハーバード大学卒業であり、その後も、三井銀行、鐘淵紡績(カネボウ、現・クラシエ)を経て、綿貿易で巨万の富を築いたり、次郎だけでなく、経済的に成功している家系とも言える。
16位 芥川 龍之介
生年月日 1892年3月1日
没年月日 1927年7月24日(35歳没)
芥川龍之介は、小説家である。また、田端の自室で服毒自殺を行ったことにより、社会に衝撃を与えている。また死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けた。というのが、現在の芥川賞の始まりだとされている。
顔が小さく、面長なのが、イケメンっぽさを引き立てているのかもしれない。
17位 有島武郎
生年月日 1878年3月4日
没年月日 1923年6月9日(45歳没)
有島武郎は、長野県出身の小説家である。当時ものすごくモテたんじゃない?というような、顔をしている。
波多野秋子(中央公論社の『婦人公論』記者)と、軽井沢の別荘で、心中したのが有名である。
18位 太宰 治
生年月日 1909年6月19日
没年月日 1948年6月19日(39歳没)
太宰治は、青森県北津軽郡金木村出身の小説家。当時、東大英文科や国文科などには入試があったが、仏文科は不人気で無試験であったという説明があった。
私は当時フランス語が人気だと思っていたのだけれども、違ったようだ。( *´艸`)
と思いきや、それを狙って東大に入ろうとしたが、結局試験があったようで、けれども、試験官の辰野隆に事情を話し、格別の配慮で入学を認められた。とされている。
ちなみにその後、東京帝国大学仏文科を中退している。
私的に、青森っていうのが、惹かれるねぇ…。青森人がフランス語とか、そのギャップがヤバすぎ( ´艸`)
19位 萩原 朔太郎
https://kappabunko.com/2015/04/19/cancion-del-vagabundo/
生年月日 1886年11月1日
没年月日 1942年5月11日(55歳没)
「日本近代詩の父」と称される萩原朔太郎。日本の詩に興味のある人なら、知っている人もいるかもしれない。
20位 水上 勉
写真は、河出書房新社『文藝』第2巻第10号(1963)より
生年月日 1919年3月8日
没年月日 2004年9月8日(85歳没)
水上勉は、小説家である。このイケメンリスト、小説家が多すぎる?と思ったのは私だけだろうか?そもそも小説家になるような人にはイケメンが多い?のかもしれない。
21位 夏目漱石
生年月日 1867年2月9日
没年月日 1916年12月9日(49歳没)
夏目漱石に関しては、千円札に出てくるような人物なので、ここで写真は掲載しないでおく。
22位 市川雷蔵 (8代目)
生年月日 1931年8月29日
没年月日 1969年7月17日(37歳没)
市川雷蔵とは、市川海老蔵 (11代目)のもっと前の世代ということかぁ。市川海老蔵みたいに遊びまくっていたのかなぁ?とちょっと想像してしまった(;^_^A
ま、ちょっと遊んでいる感じの男子のほうが、実はモテるっていう、そういう感じなのかもしれない。→意味わからない…。
23位 岡田 時彦
生年月日 1903年2月18日
没年月日 1934年1月16日(30歳没)
岡田時彦とは、本名は高橋英一で、大正・昭和初期の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。とされている。彼の顔は外国人っぽいので、この時代から、欧米チックな濃い系の顔が流行り出していたのかもしれない。
おそらく、今よりももっと大正時代とかのほうが、濃い系の顔がモテはやされていたのではないだろうか?
24位 岡田 英次
生年月日 1920年6月13日
没年月日 1995年9月14日
岡田英次とは,身長166cmで、千葉県銚子市生まれの俳優。
25位 佐田啓二
生年月日 1926年12月9日
没年月日 1964年8月17日(37歳没)
若くして亡くなってしまった俳優である。俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴惠は実子。俳優の中井貴一を知らない人はいないと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐田啓二
以下、25位以降は、名前だけ。おそらく、25位以降はかなり最近の人になっているので、幕末時代とは重ならないかもしれませんが(;^_^A
26位 長谷川一夫
27位 上原謙
28位 加山雄三
29位 三國連太郎
30位 阪東妻三郎(1901年12月14日~1953年7月7日)
31位 田村正和
32位 高倉健
33位 三船敏郎
34位 鶴田浩二
35位 大川橋蔵 (2代目)
36位 池部良
37位 田宮二郎
38位 赤木圭一郎
39位 渡哲也
40位 高橋英樹
41位 加藤剛
42位 竹脇無我
43位 北大路欣也
44位 岡田眞澄
45位 仲代達矢
46位 片岡仁左衛門 (15代目)
47位 栗塚旭
48位 三田明
49位 津川雅彦
50位 菅原文太
マルチリンガールのコメント
このイタリアのブログから、しかもイタリア人から?日本人の私が日本の先人を学ぶという形になってしまいました…。
やはり、海外の人が知っているのに日本人である自分が知らないとなると、余計に覚えたくなりますよね…。
たまに外国人が流暢な日本語で私がでてこないような日本語の語彙を普通に使っているのを聞いて悔しく感じる感覚に似ているかもしれまへん。( ´艸`)
また、ランキングに載っているかたたちの名前をローマ字でグーグル検索してみたところ、アニメ化されている人もいて、
もしや、アニメを通して日本の先人たちが海外で知れ渡っているのではないか?とも思い始めてきた。
またイタリアは世界でも有数の日本アニメ人気大国でもあるので、そういう意味からしても、イタリア人から日本のことを学ぶことは今後私自身も多くなってくるかもしれない…。
フェイスブックのコメント
Watanabeさん
近藤長次郎は元々お饅頭屋さんだったの。侍になってからは、坂本龍馬と亀山社中で一緒だった。でも、外国船で海外に行きたくて密航企て失敗。切腹。
Takedaさん
イケメン度でいくと、古来より日本人離れした顔立ちが多いので、北東北の日本海側だと、より多いと思います
井原さん
サムライじゃない人も含まれていますが、日本でも新撰組がサムライの代表の様に思われているので仕方がないでしょう。話は変わりますが、戦国時代に数々の大名がしのぎを削って最後に天下を大平したのが農民(秀吉)ってのが、意外と私的には面白いのに、この面白さをわかってくれる人が少ないのです笑
法子さん
山之内六三郎さん確かにイケメンですな〜!
森川さん
土方歳三は確かにイケメンだよなあ……そりゃ新撰組物が世に沢山出ますわ。
Benjaminさん
一位ゾマホンやがな
Reference Site
https://grandebanzai.blogspot.jp/2011/10/