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日本史では語られない「日本人女性の性奴隷」がポルトガル人の間で売買されていた史実と「弥助」や、豊臣秀吉との関係

2018年2月25日

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日本史では語られない「日本人女性の性奴隷」がポルトガル人の間で売買されていた史実と「弥助」や、豊臣秀吉との関係

2018年2月25日


日本史を勉強しているとあの都市伝説的に薄っすらと聞いたことのあった日本人女性が中東のどこだかの国に拉致され、競りにかけられる。といったようなストーリーに少しだけ近い史実があることが分かった。

学校教育で学ぶ歴史の中には薄っすらっすらとしか触れられていないけれども、よく掘り下げるといろんなことに繋がることは結構ある。

そういう日本の黒歴史は以下の記事にまとめた。日本にも他国には言いたくないような、変な奇習、またこの記事でも紹介するような、奴隷として海外に輸出されていた。という歴史が結構あるのだな。と改めて感じたわけである。

「日本史ではフォーカスされない、タブーな日本の黒歴史、奇習 TOP17」

この内容は英語圏でも結構書かれており、そういう意味では少し驚いた。というのも私が知らなかった歴史が、英語圏の一部の日本好きには知られているのだから。

で、この日本人女性の奴隷貿易について、以下分かりやすくまとめていきたいと思う('ω')ノ

 

①当時、最強だった「ポルトガル」




上の地図は、当時、ポルトガル海上帝国とよばれるエリア。この名残もあり、アフリカで今後人口が爆発的に伸びる両国で6000万人の人口を抱えるアンゴラとモザンビーク、そして人口2億人のブラジルで今もなおポルトガル語が使用されている。

「ポルトガル語を勉強するメリット、需要、重要性」

さて、ここでは、このタイトルにもある日本人女性の奴隷や、弥助、豊臣秀吉など、これからストーリーを紹介するにあたって、この時代の簡単な流れを書いていきたいと思う。

当時(1543年)海商で倭寇でもある王直(中国の明代の貿易商人)の船が種子島に漂着し、ポルトガル人も乗船していたことが南蛮貿易のきっかけとなった。

これをきっかけに、フランシスコ・ザビエル(イエズス会の創設メンバーの1人)が1549年8月15日(天文18年)日本にやってくることになる。

南蛮貿易とは学校でも習うように、日本とポルトガルとの貿易である。

※南蛮→中国がベトナム人を指すときと同じように見下す言い方を日本人はポルトガル人にも使った

ちなみに、これから100年もしないうちに、日本人の一部がポルトガルの隣にあるスペインに移住することとなり、その子孫が今でも残っている。

「1614年にスペインに渡った日本の末裔【ハポン姓】に皇太子殿下が面会する理由と、南アメリカに皇族がよく訪れる理由」

 

②ザビエルが感じた当時の日本の印象

日本人の印象について、

この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。

と評価している。との記述が日本語のウィキペディアには書かれていたもの、英語版にはそのような記述はもちろんなく、そのソースとなっている『聖フランシスコ・ザビエル全書簡 3』p96の原本を私は直接読んでみたいと思ってしまう…。

いずれにしても、日本の印象に対してポジティブに語っている人のほうがほとんどであるということは、以下のイザベラ・バードの感じたことを見ても分かる。

「日本人は醜くて、朝鮮人は立派な顔立ち。日本と李氏朝鮮を旅行したイギリスの「イザベラ・バード」がみた両国民の顔立ちや体格の違いとは?」

また、ポルトガル人は日本で大きく活動することになる。その流れを簡単にまとめると以下のようになる。

1563年(永禄6年)→ルイス・フロイスが、31歳で横瀬浦(現在の長崎県西海市北部の港)に上陸して念願だった日本での布教活動を開始。

1573年8月25日織田信長の台頭(15代将軍足利義昭が宇治槇島城を明け渡して降伏し織田信長に追放される、室町幕府の事実上の滅亡)

1581年3月27日→アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れていた弥助という黒人の奴隷は結構、日本でも知られているようですね。

1587年7月24日→豊臣秀吉がバテレン追放令

1590年8月9日→豊臣秀吉が天下を統一

1603年3月24日→徳川家康に将軍宣下

というふうに、この時代の流れをざっくりわかりやすく書いてみました。

 

③「弥助」が海外で有名になった理由

https://tokdehistoria.com.br/2015/07/23/um-samurai-negro-na-corte-do-mais-poderoso-senhor-do-japao/

さて、私がこの記事でまずフォーカスしたいのは「弥助」の存在である。こちらの絵画は狩野派によって描かれたもので、当時の状況をはっきりと描き出したものである。(1593年と1600年の間に、南蛮貿易の様子として描かれたものらしい)

ポルトガル語の記事によると、これは、ポルトガル人の貿易商が黒人の奴隷を引き連れて日本にやってきたときのものらしい。上のポルトガル語の内容を訳していたら何時間もかかってしまうので、以下で軽くまとめたいと思う。

ウィキペディアで弥助。と検索すると、この写真がでてきた。日本語だけでなく、英語、ポルトガル語、フランス語においてもこれと同じ写真。ちなみに、この写真の真ん中の人が、弥助なのかは不明。(弥助の可能性が大ですが…)

この写真は、南蛮人(ポルトガル人)を描いたものとして書かれている。それにしても、この写真では、真ん中の奴隷が、他の南蛮と同じように着飾っているところが印象的だ。

弥助の話は、海外でもかなり有名であり、ユーチューブ動画もたくさん作成されている。→Yasuke - First Black Japanese Samurai (1500s)

特に私が思うに、有色人種の間でのヒーローのように扱われている部分があるのではないかとさえ思ったりする。

弥助は黒人初のサムライだけでなく、外国人として初の侍として、誇り高きものとされている印象すらある。また、最近はポルトガル語を使用するブラジル人にも、Yasuke と名乗る、黒人らしきものもでている。

Emicida - Yasuke (Bendito, Louvado Seja) - Áudio Oficial

というように、日本人は知らなくても黒人の間では、案外、弥助という存在が、知られているのかもしれない。

④日本人女性の奴隷貿易と鎖国の関連性

で、私がこの記事でもう一つ書きたいことは、南蛮貿易(1543年)が始まってから、日本人の奴隷が世界中に売られていたということだ。

南蛮貿易(日本語版)
Nanban trade (English version)


ウィキペディアのみならず、

The rarely, if ever, told story of Japanese sold as slaves by Portuguese traders


また、英語版で本まで出ている。
Porutogaru no shokuminchi keisei to Nihonjin dorei = Portuguese colonialism and Japanese slaves (Japanese) Hardcover – February 1, 2013

多くの人はアメリカ大陸に黒人の奴隷が売られた歴史は知っているが、この日本人が奴隷として売られていたことは知らない。

また、日本人がブラジルなどに移民したっていう話しは知っていても、当時の黒人奴隷(一番上の写真)のように日本人が、白人に仕える奴隷として、売られていたということは知らない。

Enslavement of Japanese People (English verison)

日本における奴隷の歴史を英語版でみてみると、確かに南蛮貿易のときに、ポルトガルが日本人女性などを買い付け、当時、海外に勢力を増していたため、いろんな国に、その奴隷を売っていたということが書かれている。

しかも、その多くは、性の対象としての奴隷として売られていたとも英語版には書いていた。

で、この奴隷を知った豊臣秀吉は、バテレン追放令というものを出したとされている。バテレンというのは、ポルトガル語で、神父の意味。

秀吉がこの追放令を出した理由については諸説ある。

①キリスト教が拡大し、一向一揆のように反乱を起こすことを恐れたため。
②キリスト教徒が神道・仏教を迫害をしたため。
③ポルトガル人が日本人を奴隷として売買していたのをやめさせるため。
④秀吉が有馬の女性を連れてくるように命令した際、女性たちがキリシタンであることを理由に拒否したため。

と言われており、奴隷は存在していたと思われる。

日本人女性の奴隷 50万人は、本当ですか?(ヤフー知恵袋)

も参考になるかもしれない。

つまり、このとき、豊臣秀吉が日本人の奴隷貿易をやめていなかったら、どんなことになっていたのか?

ということを考えるだけでもゾクっとする。ちなみに、このときにキリスト教が入ってきたとされているが、お金の流れが変わる時代でもあったと思うのだよね。

なので、私自身もこの時代(外国人が入ってきた)部分、を勉強できている!と思いながら、この記事を書いていて、とても楽しんでいますわー。(^^;)

ちなみにこの当時の歴史には、フロイス日本史(ルイス・フロイスが書いたもの)が、色々関わってくるみたいだけど、今の私の力じゃまとめ切れませんので、この辺で…。

以下、FBのコメント

斎藤さん
秀吉の伴天連追放令の最後の条文は日本人を奴隷として売買することを禁じたものです。授業で追放令を資料として使えば教えることになります。ただ追放令の趣旨は日本の安全保障です。奴隷問題はサブテーマですね。
注意しなければいけないのは、ポルトガル人に日本人を売ったのは日本人だということです。ポルトガル人が日本で奴隷狩りをしたとい史料はありません。


Takedaさん
火縄銃と硝石の対価ですね。当時の日本は、火薬を作る硝石の産出無く、産出方法がわかるまで、全て輸入に頼っていた為。因みに、天正遣欧使節団の千々石ミゲルは、キリスト教圏における奴隷の存在を目にし、後の転び伴天連(棄教)になっている。


中村さん
近代民主主義やヒューマニズムと叫ばれるようになったのは、つい最近のことですね、それ以前は強者の横行がまかり通る時代なので、歴史書を読むと残酷なことが平気で行われていることが描かれています。


三谷さん
いやはやまさに闇歴史ですね。驚きました。教科書感覚では、大友宗麟が悲劇のヒーロー的な扱いで、逆にキリシタン追放の秀吉が悪役、というイメージでした。教えていただきありがとうございました。

賢永さん
右翼でもなく左翼でもなく仲良くの横井さんから史実が明らかになるのは説得力がありますよ。😁もっともっと調べて明らかにしてほしい 外国語理解出来るのがうらまやしい


山崎さん
近代史でもばんばん出てきます。従軍慰安婦という存在ですが、これは日本人婦女子も多くいらっしゃいました。南方などで働くのですが、実際にはどこに行きようもないので半ば奴隷だったようです。また戦後GHQが進駐した際に婦女子の強姦が相次いだため、これを防ぐべく半ば公娼というべき俗称パンパンガールが巷にあふれました。後者、これは奴隷とは言えないかもしれませんがかわいそうですね

野々瀬さん
当時は国内でも人身売買があったようですから、外国への輸出があっても不思議ではないですね。たしかに、日本史の授業ではほとんど触れられないね。なんでだろ?アメリカの歴史としての奴隷制度なら、誰でも知ってることなのに。おかしいね。


山本さん
キリスト教弾圧だけを熱心に教えるが当時布教された国は殆ど植民地にされ日本でもキリシタン大名の大友宗麟は神社やお寺を焼き討ち。

福原さん
宣教師の派遣は植民地化への第一段階。キリスト教を美化しすぎだ。偽善の宣教師が、日本の庶民を騙したということ。キリスト教禁止令がだされて当然だ。


牧原さん
明治維新のヨーロッパの文化を入れた時にカモフラージュしたのかも。宣教師が来たところは総て奴隷売買が行われています


打矢さん
黒色火薬一樽を手に入れるためにキリシタン大名が娘50人と交換していた!バチカンは奴隷売買で巨利を稼いでいた。

 



中村さん
これは結構有名な話なのにGHQのせいで教科書には載せられなかったと思う。焚書みたいなもの!


野伏さん
この事実はローマへの少年使節団によっても語られています。


大神さん
「宣教師は奴隷商人の、そして侵略者の尖兵」という認識が秀吉にあったかどうかは別として、毅然とした態度が日本人女性が奴隷となるのを防ぎ、ポルトガルやスペインの植民地となることを阻止したことは間違いないようですね。


Mikohidariさん
大航海時代の航路・版図に沿い、日本人男女がかなり連れ出されているそうです。近年まで、当時の教会権力とイエズス会、東インド会社の秘録とされてきたようですね。


河野さん
まさか黒人がアメリカ大統領になるは、ポルトガル代表対北朝鮮でエウゼビオが黒人選手でポルトガルに勝利をもたらすとは思わなかったであろう


深川さん
キリシタン大名・天草四郎も戦費の為イエズス会に売ってたと日本人は認知しています。


能登谷さん
これは、結構良く知られているのでは??  テレビや映画の時代劇でも、たびたび取り扱われていたし・・。  秀吉が鎖国政策を取ろうとしたことは、これが原因だったし、徳川幕府のキリシタン禁止令も、キリスト教の教義の禁止以上に、『信仰の名のもとに、日本人女性を連れ去る手段と見破ったから』だとも言われていますヨ!!  まぁ、高校までの歴史の教科書では、そのような見解を表面に出すわけに行かなかったのは、外交上当然かもしれないが・・・。


渡邊さん
スペイン、ポルトガルには、移民でもないのにその地に暮らす日系人が多いんですよね。言葉も消えて証明することは既に不可能でしょうけど、仰るように秀吉が居なければどうなっていたか、、、

今井さん
中学の日本史の先生が「何故、日本は鎖国を行ったか」というレポートを提出させました。教科書に書かれていないことでしたが…人身売買が理由の1つだと書いたことを覚えています。物事を多方面から見なくてはいけないと教えてくださった、その先生に今も感謝しています。


三宅さん
キリスト教の普及だけで宣教師が、こんな遠くの国に来たのが昔は不思議でしたが、先人の行いは何かを見抜いていたのか、実際被害が多かったのかも知れない。白人達のやることは信用できません。


渡辺さん
宣教師の船が来て1年2年したら軍艦が来て植民地にするっていうのが定番だったらしいようですけど、日本人は今までの所よりも頭良かったから植民地に出来なかったらしいんですけど、奴隷は持ってったらしいです。
その日本人奴隷を返せって秀吉がポルトガルだかスペインの王様に手紙を出したけど聞いて貰えなかったからキリシタン弾圧からの禁止になったとか?ちゃんとした文献読んだ訳でもないんで聞きかじりですけどね(((^_^;)


三宅さん
私も聞きかじりでですが、あの蛮人がただ単に来たのでは無いと思います、アジア人もアフリカと同じように奴隷にと思ったのは間違いないと思います。


秋永さん
以前本で読んだことがあります。その時、バテレン追放令の意味がわかりました。悲しいかな、日本人は真面目であるがゆえに、奴隷として売られていたんですね。史実として知らなければなりませんね


今井さん
10万人以上も海外に連れ去られたという文献を読んだことがあります。

Hanukeさん
宣教師らは布教が目的としながら 本当(裏)の目的は縄張りの拡大と奴隷の確保と民族浄化で こいつらに正義などない。








前田さん
因みに、日本の女性を捕らえて、ポルトガル人に売り渡していた日本人は、キリシタン大名の大友宗麟達だ。だからこそ、全面的にキリシタンの布教を、豊臣秀吉や徳川家康は禁止した。

佐藤さん
秀吉が世界ではじめて、奴隷を禁止したんですよね。大戦中の諸国には奴隷が禁止されておらず性奴隷も日本以外にはいたんです。半島にもそう言う文化があったんですよね。


斎藤さん
男も動力源等 奴隷として南米で売られたそうです


コザワさん
イスパニアに対しても、人身売買等あり、秀吉による朝鮮出兵の要因であったとも…
朝鮮へ出兵し、明を牽制して、イスパニアに対峙するか?もしくは、フィリピンに出兵して、直接イスパニアと対峙するか?だった説あり。


黒沢さん
奴隷 というか人身売買は時代劇を見れば一般的に有りましたね。 韓国人の慰安婦の本質は飢えによる親族同意の人の売り買いという側面も有りました。韓国人に限らず日本人も同様です。戦時中は皆飢えてました。「義母によって私は売られた」という韓国人慰安婦の聞き取り証言も実際に有ります。

Bansukeさん

この当時って人身売買当たり前じゃん!現代と一緒に考えるなよ


小黒さん
徳川幕府では、鎖国令政策が行われた!これもその関係がある。


平田さん
掘り下げが、もうひとつな記事。九州キリシタン大名の多くが、火薬欲しさの改宗で、その代金として、領民、特に高く売れる若い女性を、キリシタンがらみの奴隷商人に積極的に売っていたのが、事実でしょう。
同時代に、ローマ法皇を訪れた、天正少年施設団によると、道中インドや東南アジア、ヨーロッパ各国に、あまりに日本人の奴隷にあふれ、虐げられている事実に驚愕したとあります。
その数一説には、数十万人とも言われ、メキシコや、アルゼンチンにも達したと言われています。
とすると、九州でのキリシタン狩りの、通常日本人ではありえない残酷な拷問などの弾圧も、奴隷売買=キリシタンの、民衆の深い憎悪がベースにあるとすると、自然です。秀吉による禁教は、むろんこのためでしょう。明治維新の西欧化政策に加え、GHQのウォーギルティプログラムにより、キリスト教による東洋の植民地支配の事実を封じるため、こうした史実はタブー視され、原資料、二次文献も、焚書されているのが、実情かと思います。


伊東さん
キリスト教とか植え付けて、外国に売り飛ばしてた事実を秀吉が知り、強制排除に乗り出したんだね。☝️やり方はどうアレ歴史教育で、この事には触れてないのが不思議?私、個人的発言。最古の胡散臭第一人者の教団なだけです。


井上さん
長崎の限定貿易が、なぜオランダに限定されたのか、その経緯を調べると、時々の政治指導者たる将軍と政治機構たる幕府に「国家安全保障」の認識があり、国民を守る国家観がしっかりしていた事がよくわかります。英仏米露の植民地にされなかった理由の一つですね。


吉川さん
日本だって身分制度があったからね。


今井さん
イエズズ会、キリスト教は台湾でも結局貧しい地域に物で釣る方法で布教しますからね。信者にして、あとは・・。


井上さん
日本の身分制度を、西洋的価値観で判断するのは特に戦後、日教組が広めた危うい考え方です。伝統的に、我が国には皇臣民の三種で、代々の陛下が「民が大御宝」と示されてましたので、民たる平民、臣下たる役人という価値観が現代に至るも(だいぶ廃れましたが)続いています。これを基調に、時代時代で統治形体が適した形に変化してきた。と、認識すると理解が早い。
江戸時代に士農工商穢多非人の身分制度がシナを模して形式上導入されましたが、内容は日本人的に習合され、その実態は非人(罪人)を除き、ほぼ貧乏順です。
 

特に江戸期の武士階級は年俸が固定された公務員そのもので、なにせ武勲を挙げる機会が260年無く、年俸だけでは生活が立ち行かない家庭も多かったのです。


平田さん
イエスズは、イスパニアのカソリックの本流ではない、清貧と自己犠牲を厭わずの布教を、旨としパリで形成されたグループ。本来は、質素なボロを、まとうのが決まりだが、日本では、偉い坊さんは、豪華な法衣を身に付けてるので、百姓にも相手にしてもらえないので、豪華な衣装を、身につけるようになった。
日本で奴隷売買に手を染めたのは、カソリック本流の宣教師たち。政教一体だから当然か。
因みに、サンフランシスコ ザビエルは、日本の守護聖人筆頭で、インドとか数国の守護聖人である、バスク人。日本の、イエスズ会大学は、上智大学。アメリカなら、ボストンカレッジ(CollageだがBoston Universityの数倍の規模)

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