私は結構前からインドネシアという国に興味があった。ASEANの中でも一番遠い国、しかも人口は2.5億もあり、タイの4倍以上。また多くの島があり、探検したくなるようなワクワクさもある。
そのためジャカルタやバンドンに数週間滞在したり、スラバヤに2か月ほどコンドを借りてインドネシア語を勉強したりもした。
※インドネシア語は外国語が苦手でも、すんなり入っていける言語だよん(';')
「インドネシア語・マレー語を勉強するメリット、需要、重要性」
で、インドネシアに来る前まではネットの情報や映像を通じて、おおよそのイメージがついていた。けれども、来てみると結構違って見えるものだ。
その一つが、インドネシアに住む中華系インドネシア人と、中国大陸から働きにやってきている中国人の存在。
これは以下の記事にも書いたのだけど、旅行じゃ分からない部分で住んで数週間経たないと実感できない部分であると思う。
「ヒエラルキーの頂点?差別され、虐殺され、インドネシアで怯えながら暮らす華人・華僑「中華系インドネシア人」に関する疑問 TOP10」
スラバヤに日本人なんてほとんどいないので、私も周りから日本人というよりは中華系インドネシア人と思われ、中華系インドネシア人からは、どこの国の人?みたいな顔でみられ、不思議な感覚を味わった。
情報があふれる時代においても実際に体験しないと分からない感覚も多く、この体験により中国人がなぜ嫌われているのか(皆じゃないよ)ということを纏めていきたいと思う('ω')ノ
①オランダが、現在のインドネシアを作った
まず、現在のような多くの島々で構成されたインドネシアという国が昔からあったのではないだろうか。と漠然に思っている人は意外に多いかもしれない。
まず、現在のインドネシアは、1945年8月17日に独立宣言をし、1949年12月27日に国として承認されている。
さて、この国ができるまで、現在のインドネシア一帯は、オランダ領東インド(1800年–1949年)としてオランダの植民地であった。
ちなみに、1942年–1945年の間に、一旦、日本はインドネシアからオランダ人を追い払い、統治または占領(occupation)をしている。
オランダ統治下、オランダ人は、アメリカにおける白人が黒人を奴隷化していたように、インドネシア人を奴隷化していたのは有名な話だ。
Did the Dutch enslave the people in the East Indies (Indonesia)?
オーストラリアでは白人がアボリジニを迫害していた時代。いわゆる多くの国で有色人種は白人の奴隷のような状況だった時代だ。
中でも、アフリカや東南アジア、インディアンなどがその対象だった。(以下、参考として、これらの国々は肌の黒い人が多いというのも特徴)
「黒人には10種類ある?ネグロイドと、オーストラロイドの違いと、世界に散らばる黒人」
という事情もあってか、内心オランダに良いイメージをもつインドネシア人は多くはないだろう。という一方、今の若い世代は、過去に執着することよりも、オランダという最先端の国からもっと学びたいという気持ちのほうが強いと感じた。
何よりも、ジャワ人を中心としたインドネシア人は、今ではもともと同じ国ではなかったパプア系の住民を見下しているという事実もある…。
「独立する可能性も。インドネシアで差別されている「パプア人」がついにキレ始めた理由は「サル」や「ブタ」が原因?」
②インドネシアが日本に感謝する理由
さて、当時の日本は、萬邦共栄(大東亜共和圏)を目指していたとされている。そのときに、日本がインドネシアにしたことは、以下のようなことがあげられる。(日本会議より)
①祖国防衛義勇軍(PETA)を創設。インドネシア人に軍事訓練を与え、インドネシア人による初めての軍隊を作った。
②インドネシア語(マレー語をもとにつくったもの)に統一し普及させたことにより、インドネシア民族の行動の統一、感情の統一が図られた。
③100万人の青年団、150万人の警防団、婦人隊、学徒隊、隣組などを作りインドネシア住民の組織化を図り、インドネシア民族の団結心を涵養した。
④イスラム教を重視した。とりわけ、当時分裂していたイスラム教の団体を統合(マシュミ)、さらに初等教育や軍隊教育でもイスラム教を重視した。
⑤6年間の初等教育を実施し、校庭も作り体育を重視。あわせてインドネシア人の教師養成のための師範学校も設置した。
けれども、ここには問題点もあったということを認識するべきである。たとえば、当時の日本兵の態度が粗暴であったこと。その理由は、イスラム教徒は彼らが信じるアッラー(神)にしかお辞儀はしないのに対して、日本式のお辞儀を強制した点。
また、タイ・ビルマ(ミャンマー)間の鉄道敷設のため、10万人に上る労務者をタイに送り、2万人近い犠牲者を出したことなど。
Reference Site
https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/856
③ムルデカ広場にある「皇紀」が書かれた文章の意味
一方で、1945年(昭和20年)8月15日に、NHKから放送された、昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)の玉音放送によって、世界中に日本が降伏したということが知れ渡った。
すると、インドネシアは、またオランダ軍がインドネシアを植民地化するに違いない!!と察し、その二日後の1945年8月17日にすぐスカルノが、独立宣言!
何百年もオランダに植民地支配されていたインドネシアが、その後、日本に統治され、けれども日本は戦争に負けてしまったため、もう独立するしかない!!という状況になってしまったということである。
以下のインドネシア語で書かれた原稿は1945年8月17日、スカルノが、ハッタの立ち会いのもとで、中央ジャカルタ東ペガンサアン通56番地(スカルノ邸)で読み上げた、インドネシアが独立したことを宣言する文言である。
この原稿は現在、ジャカルタ市内のムルデカ広場の中にあるモナス(国立記念碑)にあるという。ちなみに、この独立宣言の原稿の真ん中の日付。
Djakarta, hari 17 bulan 8 tahun 05
これはとても有名な話でもあるのだけど、上に赤くした部分。これが、当時インドネシアが日本だったことを示す、皇紀2605年の意味なのだ。ということもあり、何百年もオランダに植民地されたインドネシアに、現在のインドネシア共和国の基礎を作り上げるお手伝いをしたのが日本。というのは、間違ってはいないと思う。
※この独立宣言をしたスカルノは、1959年にデヴィ夫人と結婚している(第3夫人として)。
一方、上にも書いた通り、問題点もあったのだから、そこは申し訳なく思う部分でもあるし、インドネシア人がこの皇紀2605年のことを知っているのかは、また別の話であることも付け加えておく。
で、スカルノが独立宣言をした途端、案の定、オランダがまたもやインドネシアを植民地化しようとした。当時、どう考えてもオランダ軍のほうが戦力が強かった。つまり強い武器を持っている国が、農業国のような国を簡単に支配できてしまう時代だったのだ。
けれども、日本統治時代に、日本人がインドネシアにPETA(祖国防衛義勇軍)というものを創設していたため、戦争が終わってもインドネシアに残っていた日本軍とその PETA で力を合わせてオランダ軍を打ち負かしたと言われている。
これが、1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる戦争だったというから、オランダは何百年も植民地支配し続けてきたインドネシアを日本に奪われて、悔しかったのだろう。
また、オランダにとってこのインドネシアという土地は、当然のように俺らのモノ。という認識があったのかもしれない。このような映像が今も残っている。
で、約4年5ヶ月も続いたこの戦争が終わり、インドネシアは本当の意味で普通の独立国になる。
ちなみに、スカルノといえば、このインドネシアを独立宣言してから、10年以上インドネシアの大統領であった。(1945年8月18日 – 1967年3月12日)
④マラリ事件と、田中角栄の関係
で、スカルノの次に、大統領になったのが、名前がものすごく似ているのだけど、スハルト(1967年3月12日~1998年5月21日)だ。スハルトは、任期がものすごく長い。なんと、31年間…。あり得ないくらい長い!!
で、面白いのが、スハルトが大統領だった時に、日本の田名角栄がインドネシアを訪れている。このとき、マラリ事件と言うものが起きた。
マラリ事件とは、インドネシア語で、Malapetaka Limabelas Januari = 1月15日の災難の頭文字からつけた名前である。
1974年1月、田中角栄首相がインドネシアを訪問した際、首都ジャカルタで発生した暴動。
なぜこの事件が起きたのか?それは、日系企業がインドネシアのスハルト大統領側近の将校たちや華人系財閥と癒着してビジネスを拡大している!と主張する人が現れて、暴動が始まったとされている。
華人系・日系の代理店や事務所・日本車などが焼き討ちにあった反日暴動であった。
一方で、スハルト政権の新秩序体制というもの対する不満が爆発した反政府暴動的な側面、さらには事件を利用したスハルト政権内部の権力闘争の側面をも持ち合わせていた。
インドネシアにも、日本人に対するこのような暴動が過去にあったことは、インドネシア語を学んでいる私にとって知る必要がある。
個人的には日本人に対する暴動というよりも、中国で日本車が燃やされたときと同じように自国内の政府に対する暴動の側面のほうが強いのではないか?とも思う。
※上の動画のコメントをみても、日本に対してのコメントよりも新秩序体制に対してのコメントのほうが多かった
また、この事件は、日本人のインドネシアに対する見方や文化交流、外交の考え方を変えたとも言われている。それまで日本では、インドネシアを商売の対象として見る考えが強く、インドネシアの文化を学ぶ事には消極的だった。
当時、スハルトも日本人を「インドネシア文化を理解することに消極的だ」と評していた。
この事件以降、日本は、自国文化を紹介すると同時に、相手国の文化も学ぶという文化交流に力を入れ始めるようになる。
外務省は、この事件を期に文化交流事業を推進するようになった。この流れは、のちの福田ドクトリンとして結実し、現在のインドネシアの良好な対日感情にも繋がることとなった。と紹介されている。
で、日本とインドネシアの歴史をこのように紹介してみた。ここまで日本とインドネシアの現在に至るまでの歴史が分かれば、なぜ日本はインドネシアを占領したのに日本人のことをそれほど嫌っていないのか。ということが分かると思う。
実際に日本に対する信用は数字にも出ているくらいだ。
「日本は何位?ロシア、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア、インド、中韓が信用・信頼できる国 TOP5」
⑤中国人(中華系)が嫌われる理由
もちろんすべての中国人が嫌われているというわけではない。今インドネシアでは中国企業もかなり進出していて、そのもとでインドネシア人が雇われているケースも多い。
また中国語に勤しむインドネシア人もかなり多いのが現状だ。なんといってもインドネシアでは、日本、韓国、中国と東アジアの国々を見習っている人も多く、中国人が決して嫌われているわけではない。
けれども、歴史上、宗教も民族も大きく違う中華系インドネシア人がインドネシアで財を成し、数パーセントにも満たないこの中華系インドネシア人だけで、インドネシア全体の富の90%ほど握っているとも言われている。
ここに嫌悪感を感じるのではないだろうか。過去に何百年も植民地支配したけれども現在はインドネシアにいなくなっているオランダ人よりもね…。
中華系インドネシア人は戦後の一時期、インドネシア政府によって中国語を学ぶことを禁止されていたが、今はそれが解除され、中華系インドネシア人の中には、またいつ暴動が起こるか分からないので、財を成し、逃げられる状態にしておきたいと思っている人も多いと聞く。
また何よりも日々の生活で感じたのは、ムスリムを中心としたインドネシアにおいて、中華系インドネシア人などの服装、特に女子の場合、白肌を露出して派手に遊んでいるように見えるものも、嫉妬の対象になるのだと思う。
高級デパート、そこそこの良いホテルなど、お金がかかる場所に行くと必ず中華系インドネシア人の割合が高くなり、インドネシア社会でひっそりと暮らしている印象のある中華系インドネシア人は、まるでこの国の頂点に君臨する民族のようにも見えるのが非常に不思議だった。
実際にスマホ販売していた20代の男子と友達になってカフェでこの話題について話したとき、中華系インドネシア人や中国人はジャワ人などを見下しているとも言っていた。
けれども経済的な恩恵もあり、必ずしも嫌いではないけど、嫌な部分もある。と言っていたのが印象的だった。
⑥以下、この話題に対する反応
■中華系インドネシア人
インドネシアでは、1970年代、日本や中国がインドネシアに投資することに対してネガティブな感情があったのは事実。当時、暴動が起きたくらい日本に対してネガティブな感情で溢れてたんだよ。
俺はバンドンのチャイナタウンで生まれたけど、特別インドネシアで中国人が嫌われているとは思えない。寧ろ俺の住んでいるバンドン地区では、マドゥラ族に対するネガティブな感情のほうが多い気がする。
■ノーザン・バージニア・コミュニティ・カレッジの歴史学者
私はインドネシアで生活をしたことがあるのですが、中国人が嫌いなインドネシア人は、少ししかいなかったですよ。
ほとんどのインドネシア人はそのような感情はないと思います。多くのインドネシア人が中国のアクション映画やドラマを見たり、中国の曲を聴いたりしていますし、中国系インドネシア人の友達も多く、デートや結婚相手の対象ともされていましたよ。
あと多くのインドネシア人は中華系インドネシア人の白い肌を羨ましがっていたもしていましたね。
けれども、中華系インドネシア人にはビジネスで成功した人も多く、そういう人たちに対しては、嫉妬的な感情が強いと思います。
■インドネシア人
いい質問だけど、特別インドネシア人が日本のことを好きっていうことはないと思う。どちらかというと中立的な立場じゃない?スハルトが大統領だったときの過去30年間、当時日本が一番アジアで進んでいた国だったから、インドネシア政府と日本は協力関係にあったというだけ。日本はインドネシアに自動車の工場を作ったりしていたよね。最近は中国も強い国になったから、インドネシアでは中国に対してネガティブな感情はないよ。
■インドネシア人
1965年に起きた、9月30日事件が原因じゃないかな?あれで、インドネシア人が中国人のことが大っ嫌いになったと思うんだよね。あと、もっというと、18世紀にまでさかのぼるんだけどね、1740年に起きた華僑虐殺事件 (バタヴィア)というのもある。
オランダ人と中華系の住民による衝突だけど、それが引き金になってジャワ戦争 (1741-1743年)になったし。このことからもわかるように、当時オランダ人は、インドネシア人と中華系の住民を別の場所に住ませていたんだよ。っていうのも、インドネシア人と中華系が団結してオランダ人と戦うことを恐れたからね。だから、インドネシアには中華街がたくさんある。彼らはあそこで住まなければならなかったんだ。
■インドネシア人
2014年に行われたBBCの調査では、インドネシアでは70%もの人たちが日本をポジティブに捉えているのに対して、中国に対しては52%に留まっている。おそらく、この数字が意味するところは、南シナ海に海洋進出する中国に対する蔑視だろうと思うよ。
downloads.bbc.co.uk/mediacentre/country-rating-poll.pdf
以下、FBのコメント
品川さん
仕事でよくインドネシアに行きますが、そんな事は無いように感じます。嘘の歴史がここでも幅を利かせ、インドネシアの独立記念日は日本からの独立記念日だと思っているインドネシア人多いですよ。
高橋さん
私の母方祖母の弟は、太平洋戦争でインドネシアに出兵して終戦を迎え、そのまま現地の女性と結婚しました。
今では、その孫(私とは「またいとこ」)がジャカルタに居ます。農園経営だと聞いたことがあります。
日本から農業技術指導や工業技術、漁業技術指導などでインドネシア経済が発展した一面が関わっています。
ミイズウグさん
私の家内は中華系シンガポーリアンで、親戚に中華系マレーシア人もいたりしますが、皆中国人が嫌いとの事で驚きました。また、仕事でタイに10年弱住んでおりますが、ここでも中国人は嫌われているようです。あくまで私の身の回りの小さな次元の話ですがご参考まで
田中さん
インドネシアの独立の為に残留日本兵が軍事訓練などで協力したことは有名ですね。独立前インドネシアだけでなく、東南アジアでは欧米の植民地とされ、現地人は人として扱われなかったことも日本贔屓の要因の1つのようです。中国華僑が東南アジアの財政を握る切っ掛けは欧米の植民地支配に協力したことや狡い商売をやった結果だと考える人が多いようで中国人は嫌われるようです。逆に東南アジア華僑に日本人が嫌われる要因の1つは占領時彼らの利権を取り上げたからのようです。
吾妻さん
以前 インドネシア人に直接お礼を言われた事がありました。先祖のやった事に誇りを感じた瞬間でした。戦争には反対ですが、この時は、太平洋戦争の残した遺産ってあったのだと確信しました。多くの犠牲があってアジア全体の独立気運が高まったのでしょうね。👍
Totoさん
バリ島では、よく中国大好きという話が聞かされますよ。
坂本さん
糞つまらん記事やな。日本ばんざーい、てゆうこと自体が謙譲の美徳を重んじる日本文化と相容れんわ┐(-。-;)┌
佐藤さん
何時だったか、或るガソリンスタンドでインドネシアの女の子と話した事が有って、昔、私が東カリマンタンに行った事が有ると言うと近親感を持ってくれた様でした。あ、いい言葉を知ってるよ、向こうで教えて貰ったんだよ。と、私が言うと、彼女:どんな言葉?私:サヤ・チンタ・パドム。すると女の子はボーっとしてましたw。これ、英語で I love you.なんです。女の子の目が違ってましたw。
菅原さん
植民地で家畜並みの扱い…それを日本が植民地解放させる切っ掛けを作り手伝ったからでは?
植民地って経済援助やライフライン整備や学校を作って教育するの?
日本の隣の国は侵略されて植民地にされた~って頑張ってるけど┐(´д`)┌
インドネシアは酷い植民地支配されてたのを日本が行ってから解放されたのよね
洞さん
オランダの植民地時代、悲しいことに農民はコーヒーを汗水たらして生産しながらにコーヒーを飲んだことがなかった。コショーの利益もすべてオランダの利益だった。現地人はコーヒーの味を知らなかったが、コーヒー豆を食べて脱糞した野生のジャコウネコの糞の中に消化されなかったコーヒー豆が残っていたのできれいに洗ってローストして飲んだらこれが発酵が進んでいて最高にうまかった。今ではジャコウネコの糞から作ったコーヒーが最高級のコーヒー(100gで10000円)としてインドネシアの特産物になています。コピ・ルアックという銘柄のコーヒーです。是非一度お試しあれ。
大久保さん
東南アジア諸国をイギリスやオランダから独立させ、大東亜圏の発展を目指して、当時の拓務省管轄の大東和練成院(通称 拓南塾)と言う教育機関があります。
軍とは違う方法、つまり経済の発展による南方諸国の独立を手伝ったのが拓南塾の卒業生達です。
拓南塾の歴史はGHQにより葬られたので日本ではその存在さえ知られて無いですが、インドネシアをはじめとした南方諸国の人たちはそうそう歴史が語り継がれているので親日なんです。
山下さん
まぁ旧日本軍は、色々活動資金を得るために、植民地にしていた場所で、あまり良いことではない商売して繋いできたと言う経緯がありますからね。金がなかったから、色々と利用できるものは何でも利用してきたのです。
綺麗事など無かったでしょう。
戦争とは、勝者が物語をつくるものです。敗戦すれば、資料のほとんどが焼却される。後の人たちは、不確かな情報でも真実だと思い込んで今に至るケースが圧倒的。昔、インドネシア人の知り合いがいましたが、複雑だと言っていました。それでいて、仕事の事で日本にお世話になる事も多いと…本音は、アメリカやオーストラリアなどで成功して故郷に帰りたい!と言っていました。現在も、色々と歴史背景から経済面まで、複雑にさせてる事は間違いないでしょう。
戦争になったら、犠牲者に責任とる者など、この世に存在しません。時間が経つほどに、理屈は1人歩きして雪だるま化し複雑にさせていく。敗戦した国々や植民地にされたところは、真実を歪められてしまう。場合によっては、自分たちの国に裏切られる事だってある。もちろん、我が国だってそれは言えること。
武田さん
インドネシア独立に関して云えば、現地には日本の敗戦後も留まって、PETAと共に「Merdeka! 」(独立!) 「Sampai mati!」(死ぬまで闘う)を合言葉に、オランダからの独立の為に戦い亡くなった旧日本兵が多数、カリバタやその他の英雄墓地に眠っています。
国が国民に、そういう歴史をちゃんと教えているからだと思います。
井原さん
もしインドネシア人が中国を嫌いならば、単に反共産の思想が強いだけだと思いますよ?よって、私の予想では、カンボジアやベトナム人も嫌いだと思います。インドネシアって、大虐殺が起きますが、一番ひどかったのが赤狩りだと思いますよ。華僑がいなければ東南アジアの国々の経済はおそらく成り立たないと思います。
ジャワの極楽
ビルマの地獄
死んでも帰れぬニューギニア
似た者同士(勝手にそう思ってる)ですから、好きだろうと予想しました。
戦前戦時中の言葉です。
Mikohidariさん
目的は日本の為だったが、プロセスの中で、非常に有益だった。しかしもしも大東亜共栄圏・秩序が完成していたら?今の親日では無いだろうね。独善的な計画だったのだから。成就せず、良かった。
松枝さん
知らんかったわ。勉強になったッス!
Mikohidariさん
もともと昔から日本人は、貿易相手だし、良好な関係。しかも、独立運動隆盛時に、日本特務から物心人のサポートを受けている。
反日になる理由が無いからでは?
Matsutakeさん
インドネシアの建国は日本と共にありその名残は紙幣に残っています。皇紀で記載されています。日本は占領して植民地にしたのではありません。大東亜戦争は植民地解放の戦いでした。感謝されるのはそんな歴史からです。
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