貴族という言葉を聞いたことはあっても、よく知らないという人は多いのではないだろうか。貴族とは、辞書の言葉を借りると、
貴族(きぞく)とは、特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団を指す。
となっている。
日本にも、貴族ではないけれども、約70年ちょっとの間、華族というものがあった。
華族(かぞく)は、明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家の堂上家に由来する華族を堂上華族、江戸時代の大名家に由来する華族を大名華族、国家への勲功により華族に加えられたものを新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族と区別することがある。
と、ウィキペディアに書かれている説明の通り、簡単に言うと、昔から財を成していた人たちの子孫ということだ。
今誰もが知る日本人の中で、旧華族の子孫といえば、
安倍晋三首相が大島義昌(おおしま よしまさ)の玄孫であったり、麻生太郎や寛仁親王妃信子が、牧野伸顕(まきの のぶあき)のひ孫だったりすることはとても広く知られている。
余談だけれども、上の二人は華族といっても、華族のランクでは決して高い人とは言えない。華族の頂点である公爵になれたのは、たった19名程度だったのだから…。
「日本の旧華族(貴族)階級の頂点「公爵」リスト TOP19」
ちなみに、貴族のことを知りたいのであれば、以下の5つのランクは覚えておくべきであると思う。
「世界の王室(皇室)と、貴族における階級(爵位)と、天皇、国王(女王)、王子(皇太子)、大公、公爵、侯爵、 伯爵、子爵、男爵の違い」
これを知るだけで、王室系、貴族系の書物を読むときに、すぐにランクがイメージできるので非常に便利。
このようなランクも知らずに、たとえば、「黒い瞳の伯爵夫人」で知られるクーデンホーフ光子が、凄い!!貴族の一番偉い人と結婚!!と、イメージしてしまう日本人は結構多いと思う。
「当時の日本人には珍しい八頭身の美女で、EUの母「クーデンホーフ光子」は本当にヨーロッパで有名なのか?」
確かにすごいことなのだけれども、やはり伯爵のランクは第3位なので、公爵に比べれば、格はかなり下がるのだ…。
ところで、この記事では、ヨーロッパ(ロシア含む)で今も続く貴族の名門家を5つを紹介したいと思う。
またわかりやすいように、誰もが知っている王室関係者などの写真もつけておいた。
これを知ることで、ヨーロッパにいくつかある王室が、どういう仕組みになっているのか少しでも理解していけたらと思う。
①ザクセン=コーブルク=ゴータ家
・エリザベス女王2世
・フィリップ(ベルギー王)
第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。
と、ウィキペディアにも書かれているとおり、改称しただけ。
イギリス女王で有名なあのヴィクトリア(1819年~1901年)も、アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)と結婚しているしね。
ま、これはよく知られた話なので…。そんなの知ってたよ~。という人も多かったかもしれない。
ところで、イギリス王室の関係者は、王族であるとともに貴族でもあるという二重構造になっている。これがまた、日本の現在の皇室で考えると、ちょっとわかりにくいのかもしれないのだけど、たとえば、エリザベス女王は、イギリスの君主であると同時に、1351年3月6日から続いているランカスター公の公爵という肩書もある。
同じように、エリザベス女王の息子、チャールズも、コーンウォール公の公爵である。イギリス王室の重要人物の多くが、イギリスがずっと守ってきている~公を引き継ぐ形となっているのが、特徴的。
以下、かなり長い記事だけれども、日本語圏ではほとんど見ることのできないイギリスの貴族たちを写真付きでまとめた。
「現存する英国(イングランド・アイルランド・スコットランド)貴族の頂点、公爵 TOP30」
またベルギーも同様に、もともと現在のベルギーがある場所に、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国があったことからもわかるように、現在も、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国が、ドイツ風の名前からベルギーの国名に近いものに変え、ベルジック家と名乗りながら、ベルギーの王室を継続している。
②ブルボン家
・アンリ (ルクセンブルク大公)
・フェリペ6世 (スペイン王)
ブルボン家っておそらく、歴史の授業でも聞いたことがあるはず。フランスの歴史に詳しい人であれば、
1589年~1792年と、1814年~1830年、この2つの期間にフランスに存在した王朝であるということは知っているかもしれない。
歴史の授業で、ルイ16世とか、聞いたけど、そういう人たちの子孫だということ。
日本は、天皇家を中心にずっと回ってきたので感覚がわからないかもしれないが、ヨーロッパでは、王族が変わるごとに、~朝というものが変わるので、上のように、期間が空いてしまうわけだ。
フランスではシャンボール伯アンリ(1844年 - 1883年)で途絶えてしまったのだけれども、なんと現在はスペインの王室が、このブルボン家を受け継いでいる。
けれども、現在スペインがブルボン朝を受け継いでいるのにはきちんとした理由があって、そもそも、数百年前のスペインでは、フェリペ5世(1700年11月16日~1724年1月14日)からブルボン朝が始まっている。(日本史では、フランスのブルボン朝と区別するために、ボルボン朝と表現)
で、そのフェリペ5世というのは、フランス国王ルイ14世とスペイン・ハプスブルク家(アブスブルゴ家)出身の王妃マリー・テレーズの長男ルイ(グラン・ドーファン)の次男。
となっており、このときからフランスの王朝から分岐するような形でスペインに入ってきている。
その後もスペインでは、ボナパルテ朝(1808年 - 1813年)や、サボヤ朝(1870年 - 1873年)なんていう王朝ができたりもしたけれども、結局これ以外はほぼ、ブルボン家が王座についている。
そういう意味で、フランスに王室はなくなったけど、それが現在スペインという国でも続いている。というふうに見る人もいるかもしれない。
また、現在のルクセンブルク大公家も、ブルボン=パルマ家の分家にあたる。
③ハプスブルク家
・カール・ハプスブルク=ロートリンゲン
ハプスブルク家といえば、名門中の名門と言われているので聞いたことのない人はまずいないだろう。神聖ローマ皇帝から続いている貴族で、オーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの孫にあたるカール・ハプスブルク=ロートリンゲンが、現在オーストリア大公を名乗っている。
ちなみに、第一次世界大戦が引きおこるきっかけになった事件でもある、サラエヴォでセルビア人民族主義者によって暗殺されたフランツ・フェルディナントも、ハプスブルク家だ。
また、鰐淵 晴子(わにぶち はるこ)さんという日本人が現在このハプスブルク家の末裔だと言われている。
ハプスブルク家については有名すぎるので私がここで、あーだこうだ言うことは避けようと思うけれども、つまり現在オーストリアには王室はないけれど、オーストリアが王室を望んだとき、このカール・ハプスブルク=ロートリンゲンが、オーストリア大公になるとうことなのだろう。
ちなみに、このオーストリア大公(非公式)は、英語で表記するとき、二つの名前があり、
・Archduke of Austria
・Royal Prince of Hungary, Bohemia and Croatia
となっている。
つまり、オーストリアと、ハンガリー、ボヘミア(チェコ西部の地方で、元王国、中心地プラハ)、クロアチアの大公ということになる…。
つまり、これらの国の国民が望めば、公式的に、これらの国々の大公になるということなのだろう…。
ちなみに、Arckduke という英語表記も、ルクセンブルグなどの国の大公よりも、称号的に上であるのも、気になる。
「世界の王室(皇室)と、貴族における階級(爵位)と、天皇、国王(女王)、王子(皇太子)、大公、公爵、侯爵、 伯爵、子爵、男爵の違い」
④ロマノフ家
carlosmundy.com
ロマノフ家のプリンセス Princess Olga Andreevna Romanoff は、日本に来ていたと最近知ったけれども、
ロシア最後の王朝「ロマノフ家」末裔を特別ゲストにチャリティー・ガラ・パーティー2月16日開催
ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフの存在は最近知った。その母、マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ(写真の女性)は、ロシアの帝位請求者である。マリヤは現在ロシア人ではなくスペイン人(スペイン国籍)である。
そもそも、イギリスのTOPエリザベス女王と、潜在的にロシアのTOPになり得るマリヤが笑顔で対面しているこの写真には私は驚いてしまった。
この写真を選んだ私、結構やるぅ~!?と自分でも思ってしまったほどだ…。というのも歴史的にイギリスとロシアはいつもお互いに敵と考えているので、こういう写真はかなり貴重だろう。
また面白いことに、イギリス紙によると、プーチン大統領はロシアにロマノフ朝を復活させたい。というようなことも書いている。
Vladimir Putin 'wants' to reinstate Russia's royal family and bring back the Tsars
これは非常に興味深い。確かにロシアの王室が復活すれば、ロシアのイメージアップに貢献するだろう。やはり、ローマ法王と対等の立場ともされているモスクワ総主教のキリル1世では、なにか物足りない。
キリル1世は天皇陛下に会いに皇居に何度か来ているけれども、全く報道されず、逆にロマノフ家の王室がロシアで復活した場合、日本に来日するようなことがあれば、必ず代々的に報道されるだろう。
それだけ王室がある。というのは、かなり国のイメージにもインパクトを与えると思うのだ。
ま、ロマノフ家がロシアで王室として復活するのかは現実的ではないにしても、プーチンが本気で王室を復活させたいと決めた場合、マリアが女王になる可能性も否定できない。とだけは、言っておこう。
⑤ホーエンツォレルン家
ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)の玄孫であるゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセンは、現在ホーエンツォレルン家の当主であり、プロイセン王子の称号を持っている。
ちなみに、ウィキペディアに書いてあった情報だけれども、以下の引用は興味深い。
「ドイツ人は、祖国を君主制に戻すことについて考えるべきです。私はそれが起こるだろうと確信しています。」と発言するなど、ドイツに君主制を復活させようという趣旨の主張をしている。自身がドイツにおいて政治的な役割を持とうとはしておらず、あくまで立憲君主制の樹立を目指している。
プロイセン王国が復活するのはありえないけれど、ドイツに王室が復活するのかは、先にならないとわからない。移民を大量に受け入れていたドイツでさえ、最近は日本を見習い、称賛するようになってきたし、
「親愛なる日本の友人よ。君たちの移民政策は非常に優秀だ。ドイツが日本を称賛する理由【ドイツの反応】」
その時代のパワーバランスによって、ドイツももしかしたら王政復古するかもしれない。というのはやはり否定できない…。
⑥オルレアン家
オルレアン家とは、王家ではなく、公爵であるオルレアン公(duc d'Orléans)の家系。オルレアン公は王太子(ドーファン)に次ぐ国王の男子、あるいは国王の弟に授けられる、フランスの公爵位のうちでも特に格式の高いものであったとされる。
思い返してほしい。7月王政というものを歴史で勉強したと思うのだけど、これをもう一度復習してみよう。
7月王政とは、1830年7月29日にフランスで勃発した7月革命の後、オルレアン家のルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政。
そのルイ・フィリップ国王から今までずっと続くのが、ジャン・ドルレアン (1965-)なのである。というのも、2月革命(1848年革命)によりルイ・フィリップが退位(ブルボン=オルレアン家)した後も、その支持者であるオルレアニスト(オルレアン派)の間で、王位請求者として、ジャン・ドルレアンが支持されているからだ。
以下、貴族以外に存在感のあるファミリー
ちなみに、このような貴族とは別に、現在、もっと存在感があるのは、やはりロスチャイルド家だろう。
もともと、ヘッセン=カッセル方伯(ヘッセン選帝侯)のヴィルヘルム9世(後のヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世)の御用商人の銀行家となったことで成功のきっかけを掴んだとされていることからもわかるように、一般人だったロスチャイルドが、いくつもの分岐し、現在でも、ロンドン、パリが残っており、存在感が強い。
「ロスチャイルドの五家(フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリ)と、その末裔たちの現在」
ちなみに、ロックフェラーとロスチャイルドがよく比較されるけれども、一つはっきりとした違いは、ロスチャイルドの現在の当主(ロンドン家)、ジェイコブ・ロスチャイルド は、第4代ロスチャイルド男爵であり、一応、イギリス貴族の男爵を持っている。
これは、1885年にヴィクトリア女王により授与されたもので、その理由が、1882年にイギリス軍がオラービー革命を鎮圧してエジプトを占領した際にはエジプトの財政再建のために850万ポンドの借款を提供したためだと言われている。
同じく、パリ家のロチルド当主、ダヴィド・ド・ロチルドも、ライオネル・ド・ロスチャイルド(1808年11月22日~1879年6月3日)の代から、1838年6月にオーストリアから授与されている男爵の称号を帯びる勅許を得ており、男爵を名乗っている。
とはいっても、ロックフェラー系も現在もアメリカの経済を動かすほどの強い力を持っており、アメリカでは王室扱いされることもある。
いずれにしても、色々と書きたいことはあるが、この記事ではこのくらいにしておこう。( ´艸`)
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