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当時の日本人には珍しい八頭身の美女で、EUの母「クーデンホーフ光子」は本当にヨーロッパで有名なのか?

2018年6月16日

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当時の日本人には珍しい八頭身の美女で、EUの母「クーデンホーフ光子」は本当にヨーロッパで有名なのか?

2018年6月16日


今までずっと気になっていたクーデンホーフ光子について書こうと思う。クーデンホーフ光子については知っている人も多いのではないか?特に王室や貴族が好きな人で知らない人はいないかもしれない。それだけ有名な女性である。その理由に以下が挙げられるかもしれない。

クーデンホーフ光子と言えば、

・日本政府に届け出された正式な国際結婚の第一号
・王室御用達のブランド、ゲラン社の香水名「MITSUKO」になっている人物
・EUの母
・ヨーロッパで一番有名な日本人(光子の美貌は、ジャポニズムの象徴とされた)



・当時ウィーン社交界で人々の注目を集めた「黒い瞳の伯爵夫人」
・ヨーロッパの貴族と結婚(当時の日本は貧乏で未開な小国と思われていたことや、平民出身、人種差別などで不思議がられていた)

・日本人でただ1人、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と会話した人物
・息子リヒャルト(栄次郎)がアメリカ映画「カサブランカ」の題材になる
・当時の日本人には珍しい八頭身の東洋美人
・ミュージカルにもなる「MITSUKO」~愛は国境を越えて~

などなど、色々なブログで騒がれている日本人女性である。(光子に関する本もたくさんある)正直ここまで、色々なことを書かれると、凄いと思ってしまう。

 

先に結論を言ってしまうと、ここに書かれていることは、事実に基づかないものも少しだけあるものの、ほとんどが事実である。

けれども、日本でただ盛り上がっているだけで、その当事国のオーストリアやドイツでは本当に知られているのか?ということを知る必要があると思う。

もちろん、ロマンがあっていい話だとは思うのだけどね…。

で、私がこの記事でフォーカスしたいのは果たして日本でこれほど騒がれているEUの母クーデンホーフ光子はヨーロッパ、特に当事国のドイツ語圏では知られているそんざいなのか?ということだ。

もちろん私の手元には当時のヨーロッパの新聞はないので、ドイツ語で光子についてインターネットで検索するという方法しかない。

なので、正しくは現代のヨーロッパのインターネット世代は光子の存在を知っているのか?と言ったほうが正しいかもしれない。

その前に、まず、彼女の簡単な歴史を書いていこうと思う。

 

①クーデンホーフ光子とハインリッヒの簡単な歴史

1874年 東京市牛込納屋町に生まれる
1892年 ハインリッヒが日本に赴任(後に夫になるオーストリア・ハンガリー帝国からの外交官ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵)
1893年 光子とハインリッヒが入籍

・長男ハンス(光太郎)を東京で出産
・次男リヒャルト(栄次郎)を東京で出産

1896年 欧州に到達(現在チェコのボヘミア地方にあるロンスペルク城)
1905年 日露戦争の勝利(オーストリア=ハンガリー帝国でも日本人であり貴族と結婚した光子も注目を浴びる)
1906年 夫ハインリッヒが急死(財産を受け継ぐ)
1909年 日露戦争を題材にした「ラ・バタイユ」が出版→ゲラン社の香水「MITSUKO」の名前の由来になる
1914年 第一次世界大戦開始(日本の敵国となり光子も赤十字に奉仕する一方、差別も受ける)

1923年 光子の次男リヒャルト(栄次郎)が「パン・ヨーロッパ思想」を出版し、提唱(EUの母と呼ばれる理由になっている)

1925年 脳溢血で倒れる(右半身が不随となる)
1941年 光子永眠

1953年 光子の息子、カレルギー(栄次郎)が、明仁親王(今上天皇)と面会(英国エリザベス女王の戴冠式に出席する外遊先のスイスで)
1967年 創価学会の池田大作と対話(世界平和について語り合う)
1972年 リヒャルト永眠

これを見るだけでも、どれだけ彼女が波乱万丈な人生を送ってきたのかがわかるだろう。まず、一般の日本人がヨーロッパの貴族と結婚できることすら、ある意味シンデレラストーリーであり、普通の人にはできないことだ。

また、光子はハインリッヒと結婚した後も、7人の子どもを育て上げている。その上、光子自身も8人目の子どものようになり、ヨーロッパの貴族作法やら、一般教養やら、勉学に勤しんだということだそうだ。

また光子よりも、その息子リヒャルトの存在が大きく、今上天皇とも面会している。今上天皇というと分かりづらいけれども現在の日本の天皇のことだ。

②彼女の人生は華やかだったのか?

(光子も合せて、8人の子どもと言われていたようだ。光子が生涯勉学に勤しんでいたため)

Reference Site
https://www.lidovky.cz/z-gejsi-slechticnou-japonka-matkou-evropy-fj1-/kultura.aspx?c=A160923_160307_ln_kultura_hep

彼女について薄っすらとしか知識がない人は、あの外見から、きっとクーデンホーフ光子は当時のオーストラリアで華やかな生活を送っていたんだろうなぁ。と考えるはずである。

ウィーンの社交界とか聞くと、あたかも光子が、マリー・アントワネットのように豪華な生活をしていたのか。というものを連想させる。

まず、彼女は当初ヨーロッパにあれほど長く暮らすということは想定していなかった点や、夫の突然死によって、7人の子どもヨーロッパ人として育てたものの、その子どもの多くが光子の厳しさを嫌い離れていったことがあったことや、財産をめぐる対立などで、ドイツ語もわからない環境で勉学に明け暮れたことや、恵まれていたけれども、その中には多くの苦悩が隠されている。


(遠い異国の地で、母語日本語で話せる相手もいなく、絵を描くことでその気持ちを紛らわしていたと言われている)


Reference Site
https://orf.at/stories/2163688/2163696/

で、話は光子がヨーロッパ、特にドイツ語圏で本当に知られている存在なのか?ということを私は知りたくて、クーデンホーフ光子というキーワードで英語やドイツ語で情報を調べていたら、日本で話題になっているほど、彼女の存在はほとんど知られていないのではないか?とまで思ってしまう感じであった。

けれども、日本語でクーデンホーフ光子と検索すると、彼女を称える、まるでヨーロッパでものすごく有名で今も尊敬されていて、EUの母と言われている…。(上記に書いてあったような華やかな内容が沢山出てくる…)

なので、私も何が本当なのか?わからなくなっていた。

 

③息子リヒャルト(栄次郎)がEUの父になり、映画「カサブランカ」の題材にもなる?

これは、光子の息子、青山栄次郎(リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー)の写真
この男性は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーという難しそうな名前だけれども実際は、日本名、青山栄次郎である。
いわゆる栄次郎が、現在のEU連合の一番最初の発想的なものを言い出したとされている。それが、1920年代から栄次郎が提起した汎ヨーロッパ主義だ。
これは、英語版にもきちんと栄次郎(Richard von Coudenhove-Kalergi)の名前が載っている。
また、彼の名前をウィキペディアで検索しても、
文字数がかなり多いため、歴史的に重要人物だったことも推察できる。光子と違い、ウィキペディアの翻訳言語数は、45言語だ。
つまり、光子のことを EUの母だと言っているのは日本人だけであり、多くの人はそこまで話を誇張していないということになる。(当時の新聞がそう称えていのかは私にはわからない)
で、色々英語で、EUの母(Mother of European Union)的なキーワードで検索をしてみたが、やはりそこに光子の名前はなかった。最近はユーチューブで日本凄い系などの動画を、みな同じような論調で語っているものがあり、そういうものには外国人からの視点をソース付きで提示しないことも多い。またそういう情報を何気なくみている視聴者も、自ずとそういう情報を信じて、あたかも当たり前かのように、

光子?あ、EUの母だよね?と本当のことと勝手に思い込んで、マジ顔で話してしまう。( ´艸`)

 

で、そうやって日本語圏で知り得た知識を、外国人に、言いふらすと、彼らはそういうことを知らない場合も結構多い。(ブログを4年も書いていると、わかってくることなのだけれども、いかに英語で書かれた情報をその人の個人の感情?で翻訳している人が多いためかもしれない)
また、リヒャルトの人生の一部があの有名なハリウッド映画「カサブランカ」の題材になっているという噂は、日本語のウィキペディアでは噂レベルで触れられていたもののの、これを英語のウィキペディアに切り替えてみると、クーデンホーフの名前すらない。
けれども、リヒャルトの英語版をみると、

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_von_Coudenhove-Kalergi

カサブランカのことが書かれていた。けれども、カサブランカという映画のページにクーデンホーフという文字がないということは、信ぴょう性はないのではないか、やはり噂レベルなのではないか。とも思ってしまう。→今後検証する必要あり。
けど、そんな現在のEUに繋がる発想を提唱したことや、あの有名な映画カサブランカの題材になっているという噂があるリヒャルトの母が日本人女性だということに気づいている人は多くないかもしれない。

https://en.wikipedia.org/wiki/Casablanca_(film)

 

 

 

④ゲラン社の香水「MITSUKO」は、クーデンホーフ光子から名付けたは、ウソだった?

私がクーデンホーフ光子に関してのブログを色々読んでいて気付いたのは、あのフランスのパリに本店があることや、王室御用達で有名なゲラン社の香水「MITSUKO」が、クーデンホーフ光子の名前からつけられているという記述だった。

これは多くのブログでそのように断言したように書かれていたので、私もさっそく大好きなウィキペディアで調べてみた。

けれども、そのように言われているけれども根拠はない。というふうに英語版では書かれている。また日本語版のウィキペディアでも、日本では多くの人が、この香水の名前は、クーデンホーフ光子からきていると信じているが、その根拠はない。と書いている。

実際、このことについてはハッキリもしていないのに、多くの日本人がこの香水の名前を勝手にクーデンホーフ光子だと信じているか、信じたいのかわからないけれども、断言してしまっているのだ…。

ま、信じたいよね。私だって信じたいわよ。けど、キッパリは言えない。

けど、やっぱり気になった。そして、ゲラン社公式ホームページの商品紹介に、その名前の由来が書いてあった。

20世紀初頭のベストセラー小説『ラ・バタイユ』。その舞台は、日露戦争が激化する1905年。英国将校と秘密の恋に落ちる、日本の美しい人妻・・・・・。ジャック・ゲランは、物語の中の慎ましやかでありながら、強い意志を秘めた女性をイメージして、ヒロインの名を冠した「ミツコ」を生み出しました。シプレーとフルーティなピーチの香りを合わせるという、大胆な発想によって完成したモダンな香調。

つまり、クーデンホーフ光子とは完全に違い、この香水の MITSUKO は、実在しない空想の中の、MITSUKOである。

一方で、当時(1919年)ジャック・ゲラン(エメ・ゲランの甥)が MITSUKO を発表したとき、クーデンホーフ光子の存在を知らなかったということはないと思うので、何かしらのインスピレーションを受けた可能性はある。

Reference Site
https://www.guerlain.com/jp/ja/fragrance/womens-fragrances/mitsouko/mitsouko-extract-bottle

 

⑤日本語、英語、ドイツ語のウィキペディアの文字数を調べてみた

クーデンホーフ光子(青山みつ)と言えば、明治時代に、オーストリア貴族ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと結婚した日本女性だ。たしかにこの時代、日本人女性がオーストリアの貴族(王族ではないよ?)と結婚すること自体が、あり得ない時代であったし、今でも日本人女性がヨーロッパの貴族階級と結婚する、または結婚できるなんていうチャンスはそうそう巡ってこない。

つまりこれはある意味、シンデレラストーリーであり、この点で言えばやはり彼女は凄い人なのである。

で、私が思うのは、クーデンホーフ光子がいたオーストリア(ドイツ語圏)では、本当にクーデンホーフ光子という人自体が有名なのか?とうことを知りたくて、

・日本語
・英語
・ドイツ語

のウィキペディアを調べてみたのだ。

クーデンホーフ光子(日本語)
Mitsuko Aoyama (英語)
Mitsuko Coudenhove-Kalergi(ドイツ語)

これらを比較してみると、日本語の部分だけ長文であることが印象的だった。また光子には、7人の子どもがいたが、それらの情報は、英語版、ドイツ語版には書かれていなかった。(結構重要な情報なのに…)

また、クーデンホーフ光子について、ウィキペディアでは現在8言語でしか書かれていない。つまり、クーデンホーフ光子の知名度はそれほど高くないと言える。(リヒャルトの45言語とは対照的だ)

その証拠に、クーデンホーフ光子を英語やドイツ語で検索しても、

[JAPAN] Tribute to Mitsuko, Countess of Coudenhove-Kalergi

この動画が一番再生回数が多く、4000再生くらいしかない。

けれども、これが息子のリヒャルトとなると話は違う。上記にも書いたけれども。つまり、クーデンホーフ光子はヨーロッパでほとんど知られていないけれども、リヒャルトのことを知っている人はいるといった具合ではないだろうか?

最後に。

光子は、皇后陛下の「日本人の誇りを忘れないように」というお言葉をずっと大切にしてきたと言われている。この言葉を聞く海外在住の日本人は、きっと心にグっとくる言葉だろう。

いずれにしても、このクーデンホーフ光子から現代の日本人が学べることは多い。あの時代に今ではあり得ないような結婚をし、しかも7人の子どもに恵まれ、夫が逝ってしまった後に、財産問題などで母国語ではないドイツ語で法律を学び、子どもたちの教育にも日本式を取り入れたなど、母としての姿や、また夫が死んでしまった後のウィーンでの生活(いわゆるウィーンの社交界での黒い瞳の女性で話題になる時期)に自らが育て上げたイケメンのリヒャルトなどが次々に母から離れていくストーリー性も面白く、また特に女としては彼女の人生から学べる点が、多いと思った。

ある意味、結婚もしていなく、子どももいなく、外国で日本語禁止状態の生活をしたこともなく、財産問題で争ったこともなく、戦時中を生きたこともないような私にとっては衝撃の人生である。

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