ロスチャイルド家。と言えば、名門の家系の中でも、その頂点とも言われているファミリーである。現在の銀行のシステムを作った人物としても知られる。
薄っすらとしか知識のない人にとっては、ロックフェラー家 VS ロスチャイルド家みたいな話で盛りあがり、陰謀論!や、都市伝説。で終わったりしていないだろうか?
けれども、ロスチャイルド家はテレビやメディアではほとんどでてこないものの、確実に実在するファミリーであり、与えられたメディア(新聞や、テレビのニュース)ではなく、自分から情報を探そうと思えば、すぐにアクセスできる人物でもある。
この記事では、そんなロスチャイルド家の元祖から現在に至る人物(末裔)までを番号付きで、できるだけ視覚化して分かりやすく紹介したいと思う。
①マイアー・アムシェル・ロートシルト
生年月日 1744年2月23日
没年月日 1812年9月19日(68歳没)
ロスチャイルド家の祖
マイアー・アムシェル・ロートシルトとは、現在のロスチャイルド家(ロンドン家、パリ家)の祖。彼の父親はアムシェル・モーゼス・ロートシルトで、マイアーは8人兄妹の中の4番目の子だった。そして、この8人の中で、ロスチャイルド財閥を築いたのがマイアーというわけだ。
つまり、現在のロスチャイルド家の礎を築いた人物である。
名前の通り、ローシルト(ドイツ語読み)となっており、ロスチャイルド家がドイツ発祥(フランクフルト)だということが名前からもわかる。
ロスチャイルド家は、現在のフランクフルト・アム・マインが発祥の地であり、なぜ現在、欧州中央銀行がフランクフルトという場所にあるのかも、これでなんとなくわかるのではないだろうか?
現在の銀行などのシステムを作ったのは、ロスチャイルド家と言われている。
ちなみに、マイアーはフランクフルトで古銭商人としてスタートし、ヘッセン=カッセル方伯(ヘッセン選帝侯)のヴィルヘルム9世(後のヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世)の御用商人の銀行家となったことで成功のきっかけを掴んだとされ、その後、ナポレオン戦争で大きな財を成した。と言われている。
ちなみに選帝侯(Prince-elector)とは、神聖ローマ帝国において、君主に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことである。
彼の5人の息子たち(マイアーの子どもは、合計10人、そのうちの5人の息子)、
・フランクフルト(長男アムシェル)
・ウィーン(次男ザロモン)
・ロンドン(三男ネイサン)
・ナポリ(四男カール)
・パリ(五男ジェームス)
がヨーロッパの5か所(現在でいえば五ヶ国)に分かれて事業を行うことになる。つまり、マイアーは、これら5家の祖であり、ロスチャイルド家は、マイアーから始まったと言える。
しかし、
・フランクフルト(1901年)
・ウィーン(1938年)
・ナポリ(1901年)
のロスチャイルド家は、それぞれの年に、閉鎖している。一方、
・ロンドン家
・パリ家
は、現在でも続いている。ちなみに、このロンドン家とパリ家が、日露戦争のころ日本政府へ巨額を貸し付けた歴史をもつとされている。(ナサニエル・ロスチャイルド)
けれども、その額は、普仏戦争の賠償シンジケートに比べると小さい方であったとも言われている。
②アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト(フランクフルト・ロスチャイルド家の祖)
生年月日 1773年6月12日
没年月日 1855年12月6日
フランクフルト・ロスチャイルド家の祖
長男ということもあってか、父のマイアー・アムシェル・ロートシルトに名前がそっくりだ。
上にも書いた通り、このフランクフルト家は、1901年に閉鎖している。また、アムシェルは、子どもに恵まれなかったようだ。なので、フランクフルト家は、ナポリから養子を受け入れている。また、フランクフルト家はすぐに閉鎖されてしまっている。
アムシェル以降は、日本語のウィキペディアにも載っていなく、英語版で探したところ、以下のように、続いたようである。
マイアー・カール
生年月日 1820年8月5日
没年月日 1886年10月16日(66歳)
ちなみに、このマイアー・カールは、フランクフルト家の祖、アムシェルの息子ではなく、ナポリから養子に来ている。つまり、彼の父親は、ナポリ家の祖、カール・マイアー・フォン・ロートシルトなのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mayer_Carl_von_Rothschild
ヴィルヘルム
生年月日 1828年5月16日
没年月日 1901年1月25日(72歳)
https://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_Carl_von_Rothschild
③ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(ウィーン・ロスチャイルド家の祖)
生年月日 1774年9月9日
没年月日 1855年7月28日
ウィーン・ロスチャイルド家の祖
アンゼルム・フォン・ロートシルト
生年月日 1803年1月29日
没年月日 1874年7月27日
ウィーン・ロートシルト家の第2代当主。
現在のオーストリア銀行のもとになるクレディトアンシュタルト銀行を創設したことで有名。
アルベルト・フォン・ロートシルト
生年月日 1844年10月29日
没年月日 1911年2月11日
ウィーン・ロートシルト家の第3代当主
ハプスブルク家の宮殿には高位貴族となってから4代を経なければ参内できない習わしがあり、貴族となってまだ3代目のアルベルトは参内できる立場にないはずだったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の計らいにより、1887年にロートシルト家は特例で参内してよいこととなった。
という記述がウィキペディアにあったとおり、当時のロスチャイルド家がものすごい力を持っていたことが分かる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Salomon_Anselm_von_Rothschild
ハプスブルク帝国は1918年に崩壊した。のと、ウィーン・ロスチャイルド家が第3代で途絶えてしまったのは、何か関係があるのかもしれない。
④ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(ロンドン・ロスチャイルド家の祖)
生年月日 1777年9月16日
没年月日 1836年7月28日
ロンドン・ロスチャイルド家の祖
現在、世界中に57の事業所が存在するN・M・ロスチャイルド&サンズ(非公開会社)の創業者である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nathan_Mayer_Rothschild
⑤カール・マイアー・フォン・ロートシルト(ナポリ・ロチルド家の祖)
生年月日 1788年4月24日
没年月日 1855年3月10日
ナポリ・ロスチャイルド家の祖
特に目立った業績はなさそうだ。フランクフルトとともに、1901年に閉鎖している。
⑥ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド(パリ・ロチルド家の祖)
生年月日 1792年5月15日
没年月日 1868年11月15日
パリ・ロチルド家の祖
ロチルド銀行を作ったジャコブ・マイエール・ド・ロチルド(1792年5月15日 - 1868年11月15日)というのは、パリ・ロチルド家の祖にあたる人物である。
ちなみに、ヤーコプ・マイアー(Jakob Mayer)、フランス移住後にジェームス(James)と改名した。とされている。
・フランス革命によりブルボン朝の国王ルイ16世が廃位・処刑(1789年–1799年)
・ナポレオン戦争(1803年~1815年)
・フランス復古王政(1814年~1830年)
このとき、王政の復古によって、国外に追放されたフランスの貴族が続々とフランスに戻ってきた。
そして、これらの貴族の中には新しい時代の財産管理の方法が分かっていない者が多く、それらを対象にした銀行を作ったのが、ジャコブ氏で、それがロチルド銀行の始まりだったとされている。
ここより、現在も続いているロンドン家、とパリ家(フランクフルト家、ウィーン家、ナポリ家以外)を中心に、紹介していきたいと思う。
⑦ライオネル・ド・ロスチャイルド
生年月日 1808年11月22日
没年月日 1879年6月3日
称号 男爵(オーストリア)
イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第2代当主
1838年6月にオーストリアから授与されている男爵の称号を帯びる勅許を得る。とされている。しかし、オーストリア帝国は、1804年の成立から1867年のわずか数十年だけ、オーストリア=ハンガリー帝国への改組まで、オーストリアのハプスブルク=ロートリンゲン家がオーストリア皇帝として支配した多民族国家。であったので、
オーストリアから授与された男爵の称号はここで終わる。
1875年にエジプトのスエズ運河の株がフランスに買い取られそうになった際には当時首相になっていたディズレーリの求めに応じて緊急に400万ポンドの借款を英国政府に与え、ディズレーリはその金でイスマーイール・パシャの所持しているスエズ運河の株を買収している。これについてディズレーリはヴィクトリア女王への報告書の中で「英貨400万ポンド、それを彼らは瞬く間に用意したのです。そんなことをやってのける会社はロスチャイルド家以外にはありません。
という記述がウィキペディアにもあったとおり、当時のイギリス・ロスチャイルド家の資産の規模が突出していたことが分かるのだと思う。
⑧ナサニエル・ロスチャイルド(初代ロスチャイルド男爵)
生年月日 1840年11月8日
没年月日 1915年3月31日(74歳没)
・イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第3代当主
・初代ロスチャイルド男爵(ここからイギリス貴族の爵位、男爵を得る)
ナサニエルが、一番日本と関りが深い出来事と言えば、
1904年の日露戦争では、ニューヨークのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフから「日本の勝利がユダヤ人同胞を迫害するツァーリ体制打倒のきっかけとなる」との誘いを受けて日本を財政的に支援した。とはいえ日本に関心があったわけではなく、親日家の次男チャールズがN・M・ロスチャイルド&サンズの支店を日本に作ることを提案してきた際にはにべもなく却下している。
というように、日本が日露戦争で勝つために支援したと言われているということではないだろうか?
⑨ウォルター・ロスチャイルド(第2代ロスチャイルド男爵)
生年月日 1868年2月8日
没年月日 1937年8月27日
・イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第3代当主
・第2代ロスチャイルド男爵
英国ロスチャイルド家の嫡流であるが、銀行業には関心を持たず、動物学研究に傾倒したという珍しい人物である。
ロスチャイルド家といえば、5家すべてで銀行業をやっているので、それを継がずに動物学の研究に没頭したというのは、珍しいとも言えよう。(嫡流の第3代当主としては)
彼に関しては、嫡流であり男爵でもあるので、父ナサニエルからは銀行を継がせようとされたけれども、結局彼は自分の動物研究の道を選ぶことになり、このストーリーは日本語版のウィキペディアでも読むことができる。非常に興味深い。
またウォルターは、日本の鳥類学者蜂須賀正氏(徳川慶喜の親戚)との交流も知られている。
⑩ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)
生年月日 1910年10月31日
没年月日 1990年3月20日
・イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第4代当主
・第3代ロスチャイルド男爵
ロスチャイルド家の嫡流でありながらヴィクターは諜報活動や政治家の仕事の方を好み、銀行業をやりたがらなかった。
とされ、これもまた変わり者であり、ソ連のスパイであるガイ・バーゲス、アンソニー・ブルント、キム・フィルビーらと交友関係を持っていた。という話しもある。
ちなみに、ヴィクター・ロスチャイルドの孫にあたるジェームス・ロスチャイルドは、あのヒルトンホテルで有名なヒルトン姉妹の姉の、ニッキー・ヒルトンと結婚している。なので、ニッキー・ヒルトンは現在ロスチャイルド・ファミリーの一員になっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nicky_Hilton_Rothschild
これは、聞いたことはあったけれども、実際に自分で調べてみると、やはりビックリである…。
⑪ジェイコブ・ロスチャイルド (第4代ロスチャイルド男爵)
生年月日 1936年4月29日
・イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第5代当主
・第4代ロスチャイルド男爵
現在、ロンドン家で一番偉い人ということになる。
この記事では男爵についてあまり深く説明してこなかったけれども、この第4代男爵という言葉。気になったりしないだろうか?
イギリスの王室(王族)の下には貴族階級があり、その貴族階級には5つの爵位がある。その爵位の中でも男爵というのは、第5位である。
「世界の王室(皇室)と、貴族における階級(爵位)と、天皇、国王(女王)、王子(皇太子)、大公、公爵、侯爵、 伯爵、子爵、男爵の違い」
ちなみに、ジェイコブ・ロスチャイルドは、イギリスの爵位だけでなく、オーストリアの爵位(第6代ロートシルト男爵)まで持っている。
エリザベス女王とは、階級そのものが違うのに、私からすると、エリザベス女王よりも上か、同等に思えてしまう…。
Are the Rothschild’s More Powerful Than the Monarchy? Are They Really Worth $500 Trillion?
このように、王室よりも上の存在?という動画まであったりする。
また、以下のURLのように、テレビなどでも出てはいるものの、それほど注目を浴びない。(本当の支配階級は、目立たない存在であることが良しとされているから?)
Lord Nathaniel de Rothschild - Full Interview ((2017))
おそらく、欧米でもインターネットを観ない世代の人たちは、ロスチャイルドと聞いても、あまりピンとこないのかもしれない。
ジェイコブに関しては、おそらく、この記事の中で一番覚えておく人物かもしれない。
⑫ナサニエル・フィリップ・ロスチャイルド(次期第5代ロスチャイルド男爵)
生年月日 1971年7月12日
・イギリス・ロスチャイルド家嫡流の第6代当主(次期)
・第5代ロスチャイルド男爵(次期)
この名前の()にある嫡流(ちゃくりゅう)とは日本語的な表現であり、英語に直すと、いくつかの言い方があるので、意味だけおさらいしておこう。
ロスチャイルド家といえば、イギリスにも、ドイツにも、スイスにもいる。そして、それぞれの国に、その子孫たちが結構いるので、その国において本家と言われている家系を嫡流というふうに考えると分かりやすい。
ちなみに、嫡流に対して、庶家(しょけ)という言葉もある。
なので現在のイギリス・ロスチャイルド家を代表する人が、①のジェイコブ・ロスチャイルドであり、その息子である、ナサニエル・フィリップ・ロスチャイルドが、将来その地位を次いで、第5代ロスチャイルド男爵になるということである。
ちなみに上の動画。おそらくロンドンの中心部で撮影されたものだと思うけれども、今でも階級を強く意識するイギリスで、こんなお偉いさんが出てきたら、みんなびっくりするだろうなぁ…。
以下には、いつ消えるかわからない動画だけれども、二つくらい、ナサニエル氏のイギリス英語で話している動画をつけておく。
Lord Natanien Rotšild mlađi, intervju za Atlas TV
Nat Rothschild May Be Difficult for Us to Win
ちなみに、この二つ目の動画を見て気になったのは、顔の種類がフェイスブックのCEO、マーク・ザッカーバーグに似すぎ!!ということ。(また、イケメンというか、中性的で、ちょっと女装したら女にも見えるかもしれない…。)
同じユダヤ人だから?マークザッカーバーグの曾祖父はドイツ、オーストリア、ポーランドから移民したユダヤ系であったという記述をウィキペディアから発見したが、ロスチャイルド家の発祥地も、ドイツのフランクフルト周辺なので、同じアシュケナージ系のユダヤ人なのかもしれない。
ちなみに、アシュケナージとは、ヘブライ語でドイツの意味。(世界の散らばるユダヤ人の中でこのアシュケナージだけ IQ が高いと言われている)
Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/Nathaniel_Philip_Rothschild
ここで、ロンドン家は終わる。次に、パリ家に移ろう。
⑬アルフォンス・ド・ロチルド
生年月日 1827年2月2日
没年月日 1905年5月26日(78歳没)
パリ・ロチルド家の第2代当主
1868年に父ジェームスが死去するとコンコルド広場にある邸宅とラフィット通りにあるロチルド銀行(フランス語版)を継承した。とされる。
その銀行は、彼の死後、エドゥアールに継がれる。
⑭エドゥアール・ド・ロチルド
生年月日 1868年2月24日
没年月日 1949年6月30日
パリ・ロチルド家嫡流の第3代当主。
彼はロスチャイルド家第5世代によく見られる財産を食い潰す遊び人タイプであり、事業より趣味に走りがちだったといわれている(彼の場合はとくに競馬)
彼は、フランス銀行の理事を30年間務める傍ら、馬主でもあった。
第二次世界大戦中にドイツ軍がフランスに侵攻した際、妻とともにフランスを脱出し、ニューヨークで暮らす娘ジャクリーンのもとに身を寄せた。と言われている。
つまり、アメリカでは半ば隠遁した生活を送ったけれども、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト夫妻とは親密な付き合いを続けた。ともされている。
また、エドゥアールは、アメリカで暮らし続けるのは嫌がっており、なるべく早期にフランスに帰国したがっていた。ようだ。
⑮ギー・ド・ロチルド
生年月日 1909年5月21日
没年月日 2007年6月12日
パリ・ロチルド家嫡流の第4代当主。
フランスのロスチャイルドは、ロチルドという名前になっているが、これはフランスのロスチャイルドという意味で、わかりやすくしているのだと思う。
ギー・ド・ロチルド(1909年5月21日 - 2007年6月12日)は、パリ・ロチルド家の嫡流の第4代当主。第二次世界大戦でナチス・ドイツにより崩壊させられたロチルド家の戦後復興を主導したとされている。
また興味深いのは、
1981年にフランソワ・ミッテラン社会党政権の国有化政策でロチルド銀行(Banque Rothschild)は再び崩壊させられるも、社会主義政策の破綻後、再び銀行を復活させた。
というように、ロチルド銀行が一度、崩壊させられている。その後、ロチルド銀行は、バークレイズという名前になっている。
⑯ダヴィド・ド・ロチルド
生年月日 1942年12月15日
パリ・ロチルド家嫡流の第5代当主。
現在パリ家で一番偉い人ということになる。
フランスの貴族はないけれども、肩書として、Baron(男爵)となっている。→神聖ローマ帝国時に与えられたものだと思われる。
2013年には世界ユダヤ人会議の理事長に選出されている。ユダヤ人会議とは、あの杉原千畝さんのことも称賛している会議である。
「杉原千畝さんが、世界ユダヤ人会議の動画チャンネルに掲載され世界から称賛される理由【 ユダヤの反応】」
ここまで、ロンドン家、パリ家の嫡流を順番に紹介してきた。以下は、嫡流ではなく、庶流のロスチャイルドの末裔を紹介。
⑰デビッド・メイヤー・ド・ロスチャイルド
生年月日 1978年8月25日
父 エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルド
以前日本の番組で、デビッドは太平洋をペットボトルを集めて自分で作った船で、航海しているというようなものをやっていた。その時私は、陰謀論でよく登場するロスチャイルドってこういう人たちだったのかぁ…。ってただ何となく思っていた。
これは、上の動画だけでなく、ナショナルジオグラフィック(日本語版)でも紹介されている。
大富豪の子孫は、サラリーマンみたいなことをしないで、冒険心あふれる青年のようだ…。
ところで、彼の情報はウィキペディアの日本語版には現時点ではないけれども、彼のことを知るためにはまず彼の父親がどういう人なのか?を知る必要があると思う。
彼の父親エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルドは、2003年までイギリス、ロンドンの名門投資銀行、N・M・ロスチャイルド&サンズ(非公開会社)の経営にあたっていたようである。
で、彼の映像はまだ残っている。(ロスチャイルドとしては珍しい)
Evelyn De Rothschild Warning Masses - Too Late (Holding Bonds, Oil, Gold)
ロバートの父親は、アンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドである。
いずれにしても、ロスチャイルド家の中でも、デビッドというのは、一般庶民が近づきやすい空気を持った人物なのではないだろうか?
とりわけ環境問題などに関して、自分で行動している姿も、貴族階級のイメージを変えるというか、凄いなぁ。と思ってしまう。
ちなみに身長が、193cm くらいあり、やはりドイツ系の血が入っていると、背が高くなるんだなぁ…。って思ってしまったわ…。
それにしても、この上の動画で、アメリカ英語を話す白人女子の目つきが、もうデビッドを狙っている感じがすると思ったのは私だけだろうか!?
また、デビッドの英語はイギリス英語とアメリカ英語が少し混ざったかのような感じにも聞こえた。
Reference Site
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Mayer_de_Rothschild
最後に
金融の仕組みを作ったと言われているロスチャイルド家。以外にもこの一族にはいろんな人たちがいて、金融業につきたくなかったものもいれば、趣味に没頭してしまうような人もいたというのは面白かった。
私は今までロスチャイルド家という、ぼんやりとしたイメージしかなかったので、ロスチャイルド家の元祖から一つ一つ歴史をたどっていくことで、少しは頭の中がスッキリしたような気もする。
この記事は、現在のロスチャイルド家がどのように続いてきたのを、ざっくり見るのにはいいかもしれません。
いずれにしても、誤字脱字が多そうなので、また時間をおいて修正しようと思います(^^♪