今回この記事では韓国でタブーとされているような奇習や、黒歴史的なものをピックアップしていきたいと思う。
韓国の奇習を検索しても意外と、なかなか探すことができなかった。これは案外、意外であった。なので韓国語のサイトで検索してみることにして、少し時間を置きながらこの記事を作った。
日本では朝鮮の歴史について、ものすごく見下したり、いい加減なことを書いていることも多い。書いている本人が、その朝鮮の歴史の真髄を知らないでコピペをしたり、そのまま自分で解釈している場合も多い。
というのも、インターネットが普及してからまだ10年ちょっとであり、現在のインターネットの情報は、ウソか本当かわからないものも多いからだ。また歴史学者が言っていたことが最近違った見方で訂正されたりするなど、歴史を簡単に語るのも難しいかもしれない。
現在の韓国も同じで、人々はイメージで色々書いていて、それをイメージで多くの人が理解しているという状況である。
私は韓国に留学していた時、英語の詩の授業を取っていたのだけど、そのとき韓国人の教授が、冗談っぽく、生徒みんなの前で、日本は近親婚が多いんだよね?のようなことを言われたことがある。私は結構言い返しちゃうほうなので、私も瞬時に、日本では韓国が近親婚多いって聞いたことがありますけど…?って言ったものだ。
日本も天皇家は親戚同士で結構していることが多いし、また日本の歴史にあまり登場しないような山で暮らしていた人たちにそういう歴史がなかったとも言い切れないと思う。
というように、どちらの歴史にもそういう部分はありながらも、イメージで過大に思い込んでいる場合も多いのではないかと思う。
もしかしると、私もこの記事を作るにあたりその類に当該するかもしれない。けれどもできるだけソースを引っ張るようにしたのと、私なりにもわかりやすく関連性を探し出して、少しでも信ぴょう性のある記事に近づけていけたらと思う。
10位 高麗葬
Source: 중국판 고려장, 야외에 버려진 노모 사망
東洋学者であるウィリアム・グリフィスの『隠者の国・朝鮮』によって、初めて広く世界に紹介されるようになったのが高麗葬。これは、高麗時代まで続いていた風習で、簡単にいうと、高齢者になり働けなくなった老人を山に捨てる風習であり、また墓に生きたまま閉じ込めて葬ることであるともされている。(ちなみに、グリフィスは、日本でも17世紀くらいまでこの風習があったと言っているようである)
ソース→ウィキペディア
ちなみに、ウィリアム・グリフィスを知らないのであれば、ぜひ知っておくことをお勧めする。彼以外にも、日本の歴史にかなり影響を与えている外国人は、ものすごくいて、それらを知ることで、どのように今の日本が作られたかのヒントになるだろう。
そもそも、老人を山に捨てる。というのは普通に考えれば、おかしな話なのだけど、今の日本でも、高齢になって認知症の親を面倒見るのが嫌で自殺してしまった。とか、そういう話を聞くと、日本でも全くなかったとは言えないのではないだろうか?なんて思ったりもする。
事実、この高麗葬は、老いて働けなくなった親や、認知症の親などを山に運んだりしたようで、それが、一定期間の食料とともに置いてくる慣習に変わり、高麗葬と呼ばれるようになったというのだそうだ。
つまり、山に置いていくけど、一定期間の食料は置いて、あとは自然に皮と骨になるのを待つというようなことなのかもしれない…。
以下、真実かどうかわからないサイトではあるが、写真付きで、この高麗葬の歴史と、現代社会にもある、高麗葬に似た現象を記事にしているものを発見。
で、上のURLに出てくる布団の中で眠っているおばあちゃんは、どうやら中国で発見された、中国版の高麗葬として韓国で話題になったおばあちゃんのようだ。
また、この奇習に関して、韓国のユーチューブでは以下のようなタイトルの動画が作成されていた。
일본이 만들어낸 한국의 역사 "고려장"의 충격적인 진실
↓
日本が作った韓国の歴史「高麗葬」の衝撃的な真実
つまり、韓国ではこの高麗葬に関して、日本人が韓国を卑しめるために作った捏造の歴史だと考える人も多いということである。
9位 一夫多妻制
今の韓国には存在しないが、李氏朝鮮時代は事実上、一夫多妻制であったとされている。日本語のウィキペディア版(李氏朝鮮の家族制度)には書かれていたが、この韓国語版は存在しなかった。
なので韓国語で調べてみると、go.kr(政府機関のドメイン)によるホームページに同じようなことが書いてあった。
https://www.hamel.go.kr/code/menu1/menu09_6_1.html
8位 豚便所
豚便所とは、沖縄(琉球王国)も含めた、いわゆる中国の属国であった国で行われていた豚小屋の上にトイレを置き、そこから糞を落とすようなシステムである。
韓国語のウィキペディアではこの豚便所がでてこないが、韓国語で色々調べていると、普通に、慶南道民日報という、韓国南東部のニュース記事で発見できた。
上のページをみれば、写真付きで、その実態がわかる。また、この豚便所は、その建物は残っているけれども現在は、そのような飼育はしていないそうだ。
私もこの記事を書いていて、まさか、この豚便所の建物がまだ韓国に残っているとは思ってもいなかったので、ちょっと驚いている。
7位 トンサンネ(新郎扱い)
日本語のサイトでは、新郎扱い(신랑다루기)という名前で紹介されているが、東床礼(トンサンネ)という言い方もする。
以下、韓国のブログで現代版のドンサンリェが見れる。こういう文化、本当に面白いなって思う。
この風習は、新郎を集団でいじめる伝統的な風習と言われている。
結婚式の後、新郎が新婦の家に初めて行った時に、新婦の親戚や近所の人達が集団で新郎を取り囲み、肉体的精神的ないじめを行うようだ。またそれは地方によっていじめ方が違うのだとか。
主に新郎の足首を縛って、逆さ吊りにして、棒で足の裏を殴り続ける(バッドなどで)また、ひどい場合には、殴られた新郎は歩くのが難しくなることもあるようで、新郎に漢詩を作れと強要したり、下手だとケチをつけて馬鹿にするのだとか。
新婚夫婦の性的な事を根掘り葉掘り問い詰めたり、あれこれと質問責めにするということもあるようで、宴会の金を持ってこい!などと言ってくる。で、そうするうちに、新婦の家で料理や酒を持ってくると、いじめをやめて宴会となるのだとか。
最近の現代版では、それを誇張して新郎がものすごくいじめられるケースもあるという。度が過ぎないようにしてもらいたいものだ…。
以下にカラオケボックスで集団で、男性の足を縛り、ベルトでパンパン叩いている動画を発見してしまった・・・。痛そう!
6位 出産に関する風習
tvN(韓国のテレビチャンネル)のある番組によると、昔、韓国では妊婦が出産するときに、旦那の髪の毛を引っ張りながらお互いに痛みを分かち合いながら出産したのだとか。
この動画はあまり再生されてもいなく、韓国で知られている奇習なのかも不明。
5位 童便軍
童便軍(どうべんぐん)とは、漢字からも推察できるように、童(男の子)の便(ここでは尿の意味)の軍団である。
李氏朝鮮時代、奴婢の階級であった少年で、特に容姿端麗の12歳未満の少年の尿を漢方医学として薬用されていたという話しである。
私はこの内容をウィキペディアの日本語版でみたけれども、なぜかこの情報に限っては、日本語版しかなかった。
なので韓国語でこれらのキーワードを調べていると、韓国の歴史を扱った百科事典サイトでも紹介されていた。
けれども、それほど詳しくは書かれていない。私からすると、これはあってもおかしくないと思っている。その理由の一つに、上にも漢方医学と書いたけど、中国の浙江省では今もなお、童子蛋という、少年の尿で似た卵が販売されていて、それが地元政府の無形文化遺産に登録されているくらいだからだ。
それについては以下の記事に書いてある。
また、李氏朝鮮の文化は、中国からきているものが多いので、考え方として若い男子の尿にエネルギーや、栄養があると考えるという考え方は、共通している可能性がある。(ちなみに浙江省以外で、同じような文化があるかはまだ定かではないので、なんとも言えないけれども…)
中国全体としては恥ずかしい文化であっても、浙江省の人からすればずっと続いてきたものなので、そういう感じはないのかもしれない。けれども、おそらくこの童便軍に関しては、韓国で本当にタブーとなっているもののうちのひとつかもしれないと個人的には思う。
4位 奴婢や、白丁
それらしき写真をみたことはあっても、奴婢(ぬひ)や白丁(ペッチョン)という言葉を聞いたことがある人は少ないと思う。日本人って案外、日本語を目で読んでいるだけで、多くの漢字の読み方が分からない場合が多いのでね…。( ´艸`)
「李氏朝鮮時代の「奴婢」の写真が衝撃的だった件と、日本や欧米もなんら変わらないと思った理由」
で、奴婢というと、日本で言えば、えた・非人というようなポジションにあった人。といえばわかりやすいだろうか。江戸時代の日本と当時の李氏朝鮮の、この底辺ともされる人たちを比べることは決してできないけれども、その国の中で下位にあった人といえばわかりやすいだろう。
これは、その扱いの程度が違うと言えども、アメリカにおける黒人やインディアン、そして、インドにおける不可触民のような位置づけに近い感じである。
「当然の知識(教養)として知っておきたい、インドのカースト制度【ヴァルナ】の序列 TOP5(不可触民、シュードラ、ヴァイシャ、クシャトリヤ、バラモン)と【ジャーディ】」
つまり、奴隷に近かった人。といえばわかりやすいだろう。私の故郷、北海道でも、多くの若いアイヌ民族のこどもたちが、函館(松前藩)で働かされていたということをアイヌを愛した探検家、松浦武四郎の本に書かれてあると聞いたことがある。
実際、世の中にお金が回るということは、底辺の人の存在がないと成り立たない部分もあるだろうから、これは作り話でも何でもないだろう。
また、奴婢とか、白丁とか、妓生とか、いろんな言葉があって、こんがらがっている人も多いのではないだろうか。
「李氏朝鮮時代まで存在した韓国の高級娼婦、妓生 (きしょう)の写真が物語るその実態とは」
3位 チマチョゴリ
申 潤福(しん じゅんふく→1758年 - 没年不明)という李氏朝鮮時代の風俗画家によって書かれたとされるこの一枚の絵。
この絵は結構有名なもので、彼の絵の中には、このように胸を露わにしたチマチョゴリ姿の女性は結構出てくる。
現在の西洋的価値観である世界からすると笑ってしまう人も多いかもしれないが、この李氏朝鮮時代ではそれなりに理由があったのだろう。この絵からもわかるように、胸を露わにしたチマチョゴリは史実であるが、それを見下しの対象とするべきではないし、韓国人自身も、このスタイルを恥じる必要はないと思う。
逆に、数十年後、おそらく韓国はこういった自国の歴史をもっと海外にアピールするようになるのではないだろうか?
というのも時代が変わることに価値観も変わり、なぜ胸を出すことが悪いの?という風潮に変わっている可能性もあるからだ。例えば欧米では、人前で授乳する運動が高まりつつある。
BreastFeeding in Public (Social Experiment)
これは、なぜ女性だからといって、赤ちゃんに栄養を与えることに対して周りの迷惑とか考えなければならないの?という価値観に変わっているからだ。上のURLは、人前で授乳することでの周りの反応を実験したアメリカの動画である。
そういうふうに、考え方を少し変えるだけで、この李氏朝鮮の胸を露わにしたチマチョゴリのスタイルは、逆に西洋的価値観で今後、当たり前のようになる可能性すらある。
2位 韓国の発展の裏にあるもの
この話題は以前も書いたことがある。以下参照。
「外国人によって撮影された、日本統治時代の韓国ソウルの光景が凄まじい件【韓国の反応】」
1948年に現在の大韓民国が成立し、いわゆる韓国と呼ばれるようになったが、その前までは、日本の統治下にあった。日本が、1910年に大韓帝国を併合。これは、イギリス人がインドを植民地にしたようなものではなく、日本の一部として、日本という国に併合、つまり統合したということになる。
その韓国が併合される前までは、大韓帝国(1897-1910)という、13年くらいしか続かなかった国家が存在していた。つまり、ここから韓国人。という概念が生まれるようになっている。
この大韓帝国は、事実上、日本の傀儡国家であり、大韓帝国の前の李氏朝鮮(1392年 - 1897年)が、中国の傀儡国家のようなものだったので、日本が中国から朝鮮を自分のものにした。というふうに考えるとイメージしやすいかもしれない。
もちろんそこにはロシアや西洋諸国からの防衛線という考え方が日本にはあった。で、その李氏朝鮮時代のソウルと、その後、日本に統治されてからのソウルは、まったくといっていいほど、近代化してしまった。というような話を聞いたことがあると思う。
これは本当である。一方、この当時、日本の統治を喜んだ人もいれば、喜ばない人もいたという事実もある。
実際に、大韓帝国の13年間に、大韓帝国初代皇帝に選ばれた高宗(李氏朝鮮第26代国王だったので、そのまま、李氏朝鮮時代→大韓帝国時代に王から皇帝へと引き継がれた)が、その高宗が、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に3人の密使を送り、第二次日韓協約によって日本に奪われていた自国の外交権回復を訴えようとした事件が起こり、伊藤博文によって追及され退位している。
その後、高宗の純宗が国王になるが、3年ほどで、日韓併合となったので、つまり、日本に組み込まれたので、大韓帝国という国はなくなり、それに伴い国王もいなくなったわけだ。
このような歴史が韓国では強調される一方で、
「外国人によって撮影された、日本統治時代の韓国ソウルの光景が凄まじい件【韓国の反応】」
にも書いたように、現在の韓国の近代化の基盤を日本は作っているということが言えるだろう。また現在の韓国人の中には、人前では言えないものの、明治以降のに日本の歴史が好きな人も多い。それは韓国に行って、実際に話してみると、瞳孔を開きながら話してくれるので、すぐにわかることだ。
1位 親日名簿
韓国では大韓帝国時代や、日本の統治下時代に日本側についた韓国人は、とにかく親日派リスト、親日派708人名簿とか、とにかくいろんな名前の付いたリストに入れられてしまう。それは、大韓民国という国が、日本の統治から解放されたという名目でできているからである。つまり今の韓国というのは、そういう名目でできた国なのだ。また、その背後には、西洋国家がいるということも忘れてはいけない。
事実、韓国で英雄とされている人たちの多くはクリスチャンであり、西洋の宣教師から影響をかなり受けている。
「歴史を動かした朝鮮(韓国)の偉人・英雄・リーダー(近代版) TOP13」
これは日本が明治維新になった構図と少し似ているのかもしれない。日本も長州や薩摩が外国の勢力のバックによって強力な力を持つようになり、今に至っているので…(;^_^A
上のリストには、日本からの独立運動に関わった人たちが多い。一方、大韓帝国→日本の統治下に入った後、朝鮮貴族というものができた。これらは、日本の華族と同じように、爵位が与えられた。これらの朝鮮貴族は、韓国では悪者扱いされることが多い。
特に朝鮮貴族の存在は、日本ではあまり知られていない気がする。普通に考えたらわかるのだけど、日本の華族で、侯爵を与えられた人たちと同じ地位にあったのだということを考えれば、かなりすごいことなのである。
「日本の旧華族(貴族)階級の「公爵」の次に地位が高い「侯爵」リスト TOP40」
ちなみに、日本側に立っていた親日派の人たちは当時、独立派の刺客(暗殺者)から、殺されそうになることも結構あった。
それだけ当時は、平和な部分もあれば、日本統治派もいれば、独立派もいたということになる。また、長い間多くの国から属国的な扱いを受けてきた韓国人からすると、同じアジア人の日本の統治されたということは、そのプライドが許さない気持ちも理解しないといけないかもしれない。
これは現代のアジア人にも共通するところだけれども、やはり、日本人も韓国人も中国人も、白人に対する態度と同じアジア人に対する態度は違うのだから。
つまりどの国も、アジアで一番なのは俺なんだよぉ!!って思っているのである。( *´艸`)
こんな記事もオススメです。
「日本史ではフォーカスされない、タブーな日本の黒歴史、奇習 TOP10」