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日本史には出てこない、日本人が世界で称賛・尊敬される理由と、現代版のサムライ TOP10

2019年1月6日

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日本史には出てこない、日本人が世界で称賛・尊敬される理由と、現代版のサムライ TOP10

2019年1月6日


どんなに顔が整っていても、どんなにお金をたくさん持っていても、得ることの難しいことがある。それは、まさしく「人望」ではないだろうか。

この人望という言葉は、英語にそっくりそのまま当てはめることはできない。よく Popularity と訳されるこの言葉は、単なる人気ではなく、信頼を集め、人々から慕い仰がれることであり、普通の人が人望を集めようと思ってもなかなかできるものではないし、また時間もかかるものだろう。

この記事ではまさしく、他の国に強い人望を集めているけれども、日本史ではあまりスポットライトが当たらない人物を紹介していきたいと思う。

日本史では、勝ったものや、血筋の良いもの、明治の偉人など、スポットライトが当たりやすい人たちとそうではない人たちがいる。

そんな典型例として、以前日本の牧師の記事を書いたことがある。坂本龍馬や、西郷隆盛などの武士は知っていても、牧師などに注目する人は少ないのではないだろうか。

けれども、この当時、これらの牧師さんたちは非常によく知られている有名な人たちであったということは言うまでもなく、おまけに当時、現代の日本人とさほど顔が変わらないイケメンも多かったということが分かった。

このようにスポットライトが当たらない人たちってたくさんいるのだよね。


で、この記事では本当の意味で、異国の地で称賛されている日本人をピックアップしていきたいと思う。

ちなみに、スポーツ選手、俳優、歌手、作曲家などに今まで送られてきた国民栄誉賞だけれども、一部では、なぜこういう、人のために尽くした人与えられなかったのかという声も聞かれる。こういう日本人が増えれば増えるほど、ますます日本の信頼と、ブランド的価値が上がるのは言うまでもないだろう。

そもそも、現代の日本人が変な意味で欧米化(日本の良さを失う形で欧米の悪いところだけ吸収するパターン)する人が多い中、ニュースを見れば、大富豪だけが称賛されるようになってしまった。

これは資本主義国家の日本では仕方のないことなのだけれども、ただ単に富を持つものだけが成功者というふうに決めつけ、そういうものに群がる twitter のフォロワーや、地位の高いものにすがるように、自分の信念・哲学(フィロソフィー)を持たない者。が、やはり非常に多くなってきている気がする。

で、思い出してほしい。日本にはこれから紹介するように「自分の人生を他国の幸福のために尽くした人」も結構多いのだ。

名誉や、お金などの単なる人気取りのような一部の人たちと違い、自分がしたことを当たり前だと思う心。これが、日本人が守っていくものの一つでもある気がする。

これは日本だけでなくユダヤの教えにも共通していて、「善い行いをした場合、自分から言わないことが良いとされている」。なぜなら、それは自分から言わなくても、必ず何かしらの形で、どこかに伝わるからだというのだそう。


「日本人とは思考が真逆?大富豪を生み出す、ユダヤの教典「タルムード」とは?」

人助けしました~、募金しました~(これは時と場合によっては必要。芸能人などの影響力のある人が自分から言うことで、賛同する人や、それに続く人が増える効果もあるので)、など、昔と違い、もっと発信してもいいとは思うが、やはり、「善い行いはやって当たり前」という精神はできるだけ保つことが重要ではないだろうか。

それが、時間とともに人望に変わるのであり、自分の人格を形成する最も重要的な部分な気もする。

今現在の日本が他国から信用されているのは紛れもなく先人のお陰であり、今一度これらの人物を理解し、今後の行動の参考にしてもらえたら幸いである。

「日本は何位?ロシア、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア、インド、中韓が信用・信頼できる国 TOP5」

って私は偉そうに言ってるけど、何もできていないかも(;^ω^)//

少なくとも、そうすることで中国や韓国とは全く違う国として、日本の評判は今後も変わらなく、続いていくだろう。

と長々となってしまったが、それら本当のサムライを紹介していこう。ちなみに、武士的な意味での本当のサムライを知りたい人は以下の記事も参考になるかもしれない。

「日本のハンサムなサムライが、イタリアで順位付けされていた件【イタリアの反応】」

 

①西岡京治

生年月日 1933年2月14日
没年月日 1992年3月21日

この写真は、眞子さましか映っていないけれども、印象的だったので採用。ダジョー西岡を見たい方は、検索してくだされなぁ~。

さてさて、「ブータン農業の父」といわれている西岡京治(ダショー西岡)。このダジョーという名前は、西岡がブータン人と結婚したからではない。

西岡は、1933年に、日本統治時代の朝鮮(現在のソウル)に、日本人の両親のもと長男として生まれる。戦後、大阪に移住。その後、大阪府立大学で農学を専攻。

1964年、東京オリンピックが開催された年に、ブータンに海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任することになる。

赴任当初は試験農場すらまともに用意されなかったと言われ、そのような中、28年間に渡り日本から導入した野菜の栽培および品種改良・荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力する。

またその振興策は、援助側の一方的な施策の押し付けではなく、「現地の実状に即した漸進的なものであったため」、成果の確実性と定着性において他に例を見ないほどの成功を収めた。結果、農法に留まらず産業・生活の基盤改善に大きく寄与することになる。


1980年(昭和55年) - ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「国の恩人」として、民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」のことであり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となったと言われている。

つまり、日本では戦後、華族などが亡くなったのでわかりにくいが、ブータン版の貴族になったようなイメージなのである。

「日本の旧華族(貴族)階級の頂点「公爵」リスト TOP19」

2017年6月、眞子さまがブータンをご訪問した際にも、西岡京治氏たたえる仏塔ご視察されていて、亡くなった現在においても、西岡はまさに日本とブータンの友好には欠かせない人物となっている。

またブータン人が日本人をイメージするときに一番最初に浮かぶ人物がまさに西岡なのである。

ちなみに、ブータンと言えば、民族構成が、チベット系8割、ネパール系2割となっており、日本人のDNAが近いとされているチベット系なのだということは、あまり知られていない。

なので、ブータン人のイケメンの顔を見ても、やはり日本人に似ている人が多い。

「日本人は黒人?日本人と同じ【ハプログループ D】を持つ、チベット人と、アンダマン諸島のオンガン人(ジャラワ族、オンゲ族)」

 

②杉原千畝

生年月日 1900年1月1日
没年月日 1986年7月31日
出身地 神奈川県鎌倉市
職業 外交官

杉原千畝は、ユダヤ人の間で、「東洋のシンドラー」と呼ばれる人物。1940年7月に、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる。

日本でもかなり盛り上がっているストーリーなので、知っている人も多いのではないだろうか。けれども、杉原よりも先に樋口季一郎が、極東でユダヤ人を救っており、まずは、樋口がユダヤ人にしたことを理解する必要がある。

それについては、以下の記事に書いた。

「杉原千畝と樋口季一郎が、世界ユダヤ人会議の動画チャンネルに掲載され世界から称賛される理由【 ユダヤの反応】 」

 

③樋口季一郎

生年月日 1888年8月20日
没年月日 1970年10月11日
出身地 兵庫県淡路島
職業 陸軍軍人

ロシア極東に、今もなおユダヤ自治州という州がある理由をご存知だろうか。ソ連は当初、国内にいるユダヤ人をシベリアの労働力とするため自治州を作りそこで働かせようとしたが、ヨーロッパに住むアシュケナージ系のユダヤ人は、肉体労働よりは金銭的感覚にすぐれIQも高いため、全く使い物にならなかった。

ちなみに、アシュケナージ系の意味は以下を参照。現在のイスラエルには、ユダヤ人といっても、いくつかの系統があり、これを理解せずにイスラエルやユダヤ人は語れない。

「ノーベル賞の20%、世界の富の分配、産業の独占。日本人はユダヤ人(失われた10支族)説まで、ユダヤに関する知識 TOP10」

で、そんなユダヤ人をソ連は、現在の満州里市(中国)のすぐ国境にあるロシアのオトポール駅(現在のザバイカリスク駅)に放り捨てた。つまり、マイナス30度にもなるこの場所に放置することは、死を意味することであり、実際に凍傷に罹っていたユダヤ人も多かったという。

そんなユダヤ人をビザの発給なしで満州側に連れてきた。のが、樋口季一郎と言われている。それにはいろいろな日本側の思惑(河豚計画など)があることも確かなのだけれども、共通しているのは、人道的な意味で救助したということだろう。

ユダヤ人難民事件(オトポール事件→1938年)

樋口についても、杉原の部分でリンク付けした記事に詳しく書いた。

 

④八田與一

生年月日 1886年2月21日
没年月日 1942年5月8日
出身地 石川県
職業 水利技術者


八田與一は、台湾で最も称えられている日本人。ウィキペディアでも、英語、韓国語、マダガスカル語、中国語などでも紹介されている。

1930年(昭和5年)に竣工した台湾で最大規模の農水施設で、日本統治時代の最重要な水利工事の一つであった嘉南大シュウ(かなんたいしゅう)の建設を指揮した人物。

日本よりも、八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高いと言われている。特に高齢者を中心に彼の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われているという。

以下の動画。真剣にみたけど、かなり感動。こういう人って、会社を興したとしても、自らも一生懸命働き、社員への労働分配率もあげたり、すぐに人望を集めるだろうね。

台湾で最も尊敬される日本人 修復された銅像除幕式(17/05/07)

 

⑤近藤亨

https://blogs.yahoo.co.jp/hikarumitsugirl/14158578.html

生年月日 1921年6月18日
没年月日 2016年6月9日
職業 農学者

近藤亨 (NPO理事長)は、ネパールにおいて世界最高地の稲作に成功したことで知られる人物。ウィキペディアでは日本語版しかないが、現地ネパールでは非常によく知られた人である。

ネパールと言っても、ネパール国内に1450年~2008年まで存在していたムスタン王国
知らない人はいないと言われている。

知っていますか? ネパールで愛され続けている日本人伝説。

ムスタン王国はネパール北部にあり、チベット仏教の古き良き部分がそのまま残されている秘境的な場所と言われている。

そんな世界最高地(標高2750m)の場所で、稲作に成功し、授記栽培の指導や、小学校、病院などを建設し、ネパールから非常に多くの人望を集めている。

宇城憲治師範DVD 『近藤亨先生の偉業をこの目で』 前編 [予告編]

 

⑥クシモト

これは実は人物名ではない。薄っすらとしかこの情報を知らない人は、クシモトさんってどんな人だったけ。と思うかもしれないのだけれども、このクシモトとは地名のことだ。


エルトゥールル号遭難事件は、映画化もされていて有名なので知っている人も多いかもしれない。

ある動画の調査では、日本人にクシモトって聞いても、人の名前と認識するのに対して、トルコ人にクシモトと聞いたほうが、この意味を理解してる人が多い。ということが判明している。

 

⑦工藤俊作

生年月日 1901年1月7日
没年月日 1979年1月12日

工藤俊作は、日本の海軍軍人(海軍中佐)で。1942年3月の駆逐艦「」艦長時に、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として知られる。

ウィキペディアでも、日本語、英語、インドネシア語、中国語など複数の言語で紹介されていた。

身長185cm/体重95kgといったいかにもイカツイ体格ながら、性格はおおらかで温和であったとも言われている。

当時、東南アジアの海域で優勢だった日本軍によって、スラバヤ沖(ジャワ島西部)で、イギリス兵が乗るエンカウンター(駆逐艦)は沈没させられる。

その後、400人以上のイギリス人が重油で目が見えなくなったり、ボートにしがみついて、オランダ軍が救助してくれるのを何日も待っていた。(ボルネオ島南部にオランダ軍の基地があったため)

が、オランダ軍が来ることはなく、数日たった後、当時、知らない人はいないといわれていた日本の駆逐艦「雷→いかずち」が、やってくる。当然、400人以上ボートなどにしがみついて生き残っていたイギリス人は、「今度こそ日本人に殺される」。と覚悟したそうだ。

※以下、日本でも、この雷に対する注目は高い。それはこの動画が、200万回近く再生されていることからもうかがえる。

しかし当時、雷を仕切っていた工藤俊作は、敵国ではあるが、弱っている相手を助けずにフェアな戦いはできない。という武士道で教わったことをそのまま実践し、400人以上を救助したとされている。

このことは、イギリスの元外交官にもなったサムエル・フォールの本にも書かれている。

※アマゾンでも、この当時の本が売られている。

まさに、このサムエル・フォールが、当時、工藤俊作が判断したイギリス人兵救助の恩恵を受けており、人生を救われたのである。

上の著書(スクリーンショット)では、自分の人生の中で感謝する人たち(妻、家族などの後に、命の恩人である工藤俊作という風にも書かれている)

上の動画をみればわかるのだけど、サムエル・フォールは、その後、来日している。

自分が死ぬ前に、どうしても一言お礼が言いたかったのです。この年になっても一度も彼らのことを忘れたことはありません。

と語っていることから、いかにその当時の出来事が彼にとって衝撃的だったのかがよくわかる。

また、このストーリーは、工藤俊作の家族も一度も聞いたことがなく、サムエル・フォールが来日していなければ、知られることはなかった。

彼をよく知る、谷川清澄氏によると、

当たり前のことをしたので、言うほどでもないこと。と思っているので、特に誰にもこのことを言わなかったのだろう。と話していた。

 

⑧杉山龍丸

生年月日 1919年5月26日
没年月日 1987年9月20日
出身地 福岡県福岡市


杉山龍丸は、日本の陸軍軍人。インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる人物である。あの巨大国家インドを変えた人物…。杉山は、インド政府や個人の協力を得て、インドの砂漠地帯や土砂崩壊の地域を緑化したが、日本の政府や企業などからは理解や協力が得られず、日本ではあまり知られていない。とも言われている。

実際に、ウィキペディアは日本語版しか見つからない。(インドでもっと知られているのであれば、英語版があるような気もするが…)

けれども、以下の日本語の動画からも分かるように、確実にインドに貢献している人物である。

インドの砂漠を緑に変えた グリーンファーザー 杉山龍丸

在日インド大使館の twitter でも書かれていたが、実際にはネットで検索すると、「インドの緑の父」という表現は、あまりインド人には浸透していないようだ。

けれども、インドでもっと中間層が増えていくにつれ、知識の拡散が起きてくるので、杉山龍丸の功績は今後も次世代のインド人に伝わっていくだろう。

 

⑨中村哲

生年月日 1946年9月15日 -

www.pref.kyoto.jp/earth-kyoto/en/inductees/8.html

中村哲は、日本の医師。 ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長。ウィキペディアの言語版も、アラビア語、英語、フランス語、インドネシア語。と多く、多くの国で知られている感じがある。

ここでアラビア語があるのは、イスラム教徒の国でもあるアフガニスタンでのこの実情を、アラブ国家の誰かが知っていたからであろう。

まさに彼はアフガニスタン人の間では、日本人と言えばこの人!という人物である。ペシャワール会という、中村哲を支援するために1983年に結成された非政府組織もあるくらいで、アフガニスタンは、彼なしでは成り立たないと言っても過言ではない。

もともと医者なのだけれども、アフガニスタンで色々な患者を見ているうちに、多くの根本原因が、飲料水や、用水路を引くことで多くの作物を実らせることだと悟り、人々の健康のために、用水路を引きまくっている。

また、多くの若者、特に男性は仕事ややりがいを求めており、用水路建設に貢献するようになってからは、治安もよくなったという。

それに彼が進めていることは、用水路建設の工程をマニュアル化し、日本人がそこにいなくても自らの手で新しい用水路を建設しまくりアフガニスタンを実り豊かな土地にすることができるようにすることであり、この部分も称賛されているに違いない。

ちなみに、以下、アフガニスタン人ってあまり日本人に馴染みがないかもしれないけど、ヨーロッパ系の顔や、色のついた瞳を持つ人も多いのだよぉ~。

「なぜ「アフガニスタン人」や「イラン人」「クルド人」の瞳の色はブルーやグリーンなのか?【海外の反応】」

私は以下の動画で、中村哲先生には随分感化された。

武器ではなく命の水を 医師中村哲とアフガニスタン

⑩伊藤敏朗

film-creation-nepal.com/promise/promise_pandd.html

生年月日 1957年7月9日 -
出身地 大分県大分市
職業 映画監督

死者8,964人にも上ったと言われている、ネパール地震 (2015年)は日本ではあまり意識されていない。2006年、教え子の中にいたネパール人との出会いがきっかけに、ネパールで映画業界で活躍するようになった伊藤氏。

あの大地震から四か月後にネパールへ再び渡航した際、集落のおばちゃんに、貧しくても、家が壊れてしまっても、「あなたが今までネパールで作ってきた映画は残っているから。」という声をかけてもらったことをきっかけに、映像の力の偉大さに気付かされる。

その後、大学教授を辞職し、その退職金を全部つぎ込んで、カトマンズの約束を製作する。

STAR WARS の全世界公開日と同じ日だったが、観客はそれよりも若干多かったよう。ネパールで唯一知られているサムライかもしれない。

「映画「カトマンズの約束」 ネパール地震から3年(18/04/24)」

www.rsch.tuis.ac.jp/~ito/

 

最後に

この記事で一貫して伝えたいことは、人は顔でも、お金でもなく、人望ということだろうか。自分の信念に従って迷わず突き進む。それが、社会を変えることに繋がるし、自分が信じた道、想像した道を創造に変え、やり抜くことで、お金も人も自ずとついてくるのではないだろうか。

それは今やっていることを極めることであったり、人それぞれ違うかもしれない。

けれども、私が思うに、現在の日本は多くの情報に惑わされ、不必要な競争(必要な競争もたくさんある)し、自分を見失う人が多い気がする。現在の韓国人となんら変わらない。

自分で考え行動せず、周りからの情報に惑わされ、翻弄される人々が多いこと。重要なことは、自分が生きている上で全うしたいことや、信念を貫き通すことでもあるはずだ。

Reference Site
世界を変える100人の日本人

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