日本でも新型コロナで多大な影響を受けた飲食業界と今後の支援について、メディアでの活発な報道がなされてきたが、英国のパブ危機に関するそれとは比べ物にならない。夜間外出禁止令や営業短縮などの影響をもろに受け、英国内ニュースの見出しはパブ関連のもので埋め尽くされている。
偉大なるイギリスのパブ
パブのない英国は想像がつかないといってもいいほど、イギリス人の社交文化に欠かせないパブ。パブは、イギリス人にとって典型的な娯楽であり、社会的および文化的アイデンティティの中心をなしてきた。英国でのパブは、海外からの旅行者にとっても魅力のひとつとなった。
英国のパブは、イタリア・ローマのワインバー「タベルナ」にそのルーツを持つ約2000年の歴史を経て現在に至る。ローマ街道とともにローマ軍によってもたらされたタベルナは、たちまち地元で醸造されたエールを提供するエールハウスや居酒屋として発展した。その後、ヘンリー7世の統治時代に、エールハウス、旅館、居酒屋を総じてパブと呼ぶようになった。
16世紀には、イングランドとウェールズ全域でエールハウスの数は約17,000件にのぼり、加えて、2,000件の旅館と400件の居酒屋があったと推定されている。この数を当時の人口で換算してみると、人口200人あたり1軒の居酒屋があったことになる。
パブとギャンブルへの愛着
英国のパブの歴史と切り離せないのがギャンブルの存在だ。パブは単に地元で醸造されたエールを飲むだけの場所にとどまらず、日常生活の単調さをまぎらわすギャンブルはパブ文化に不可欠な要素となった。
18世紀と19世紀の英国のパブは、血みどろで残酷な闘鶏のような庶民のブラッド・スポーツで溢れており、現在も店の名前に当時の名残りがある。例えば、英国最古のパブ ”Ye Olde Fighting Cocks”はその典型例で、店の名前は闘鶏を意味している。東イングランドのハートフォードシャー州にあるこのパブは、エールを飲む常連客で賑わう闘鶏の猛烈な競技場となった。現在でもなお、地元住民の間で ”TheFighters”や”TheCocks”と呼ばれ親しまれている。
19世紀半ばに入ると、”Ratting”(鼠いじめ)が大流行した。ラッティングはブラッドスポーツの一種で、ネズミを地下室の観客を囲んだ小さなステージや穴に入れ、1分間に犬が食い殺すネズミの数や、競争相手よりどれだけ早くネズミが食い殺されるかに賭けるものだった。ビクトリア朝のギャンブルはイギリスの色濃い文化遺産であると同時に、パブのぞっとするような野蛮な側面を持ち合わせていた。
ピーキー・ブラインダーズに見るイギリスの文化
ネットフリックスで人気の ”ピーキー・ブラインダーズ”は、1890年代から20世紀初頭のバーミンガムを舞台に、当時実在した最も悪名高いギャンググループを題材にしたドラマシリーズ。このドラマでは、ピーキー・ブラインダーことシェルビー一家がブックメーカーから徐々に成り上がっていく様子がカラフルに描かれているが、パブとギャンブルの場面があちこちに登場する。
ギャリソンレーンとウィットンストリートの角にある、貧困の暗闇と戦うために建てられた華やかなパブ ”The Garrison Pub”(ギャリソンパブ)は、ドラマの最初のエピソードから主要な構成要素をなしている。このパブはシェルビー一家を取り囲む庶民の集う場であり、当時の文化を鮮明に象徴している。
1845年の賭博法により、当時、英国で唯一ギャンブルが許可された場所は競馬場だった。この時期に競馬は大流行し、違法ブックメーカーやみかじめ料を得るギャングの様子もピーキー・ブラインダーズに巧妙に描写されている。
コロナ禍でのパブ文化論争
歴史的視点で見ると、パブとギャンブルは、イギリスの文化に長く深く根ざしている。日本でも有名なウィリアムヒルなどの大手ブックメーカーは全世界に顧客を有するが、すべてイギリスを拠点としているのも納得がいく。現在、コロナ禍でイギリスが直面しているのは、政府と産業界の関係、さらには公衆衛生と経済のバランスをいかにとるかという問題だ。この問題はパブ文化論争の象徴となり、コロナ対策における国民の議論の分裂を最も顕著に表面化させている。