日本人が目をつけないロシアのシベリア・極東エリアには色々な共和国がある。けど、共和国ではなく自治州という名の、ユダヤ人エリアがあると知っている人は少ないかもしれない。北朝鮮の真上には朝鮮族が多く住む朝鮮語が公用語になっている延辺朝鮮族自治州延吉があるように、地理的に北海道に近いこれらのエリアにはたくさんの魅力的な、民族の宝庫とも言える場所がいくつもあるのである。
「中国の【延辺朝鮮族自治州・延吉】で感じた事と、韓国や北朝鮮との関係」
そのうちの一つをこの記事で紹介しよう。というのも私自身今回ハバロフスクに行く予定だからである(ヤクーツクかイルクーツクに行く乗り換えとして1週間ほど)。このユダヤ自治州はハバロフスクから数時間の距離にあるため、私もこの記事で掘り起こした後、じっくりと行ってみたいと思う。
同時に、こんな場所もあるんだ。そして緯度的にも九州の真上にこんな場所があり、そこを知ることによっていくつかの歴史的な瞬間も学べるような構成にしていきたい。
①ユダヤ自治州の概要と、行き方(今後、行く人が増える予感)
まず自治州の人口はたった16万人程度で首府ビロビジャンにその半分の7万人ほどが住んでいる(2020年時点)。とはいってもハバロフスク市(62万人)はお隣にある違う州ながらもほぼユダヤ自治州の中心都市みたいな位置にあるのも面白い。
ちなみに州府の「ビロビジャン」という名前。なんかロシア語では聞かないような音なのでヘブライ語からとったのか?と思ったら、付近を流れるビラ川とビジャン川にちなんでつけらたよう。このアムール川周辺の土地は、ツングース語族の人たちが住んでいた場所だということからもわかるようにこの川の名前もツングース語族からとったものだそう。
で、ユダヤ自治州(36,000km2)の面積は、九州(36,782 km²)に近い。しかも緯度的にも九州や四国のちょうど真上に位置する。おそらく99%の日本人が日本の真上にユダヤ自治州というエリアがあるということを知らないだろうし、興味すらないだろう。何かしらのトリビアとして友達に話してみるのもいいかもしれないね。
さて、行き方といえば、東京からだとウラジオストク経由でハバロフスクというのが一般だが、コロナが収束に向かえばロシアビザ解禁(2020年からの開始予定だったがコロナを理由に延期になっている)ということもあって東京から直行便が再開?すると思う。というのも、2019年あたりに極東エリアが電子ビザで行けるようになって以来、ウラジオストクやハバロフスクに行く日本人が急増したという経緯もあるので、今後はハバロフスクから電車で3時間の距離にあるビロビジャンにはもっと多くの日本人が寄り道するのではないか?と私は予測している。
「日本人も韓国人のようにロシア極東「ウラジオストク」と「ハバロフスク」に行くべき理由 TOP10」
②もともとユダヤ人の国は「クリミア」で、その後「ユダヤ自治州」に移動した?
もともとクリミア半島には古代からユダヤ人が住んでいたと言われている。そしてこのユダヤ人は二つに分けることができるという。まず一つが、クリムチャク人(1世紀に黒海沿岸へ定住したと考えられるユダヤ人)、もう一つがカライ派のユダヤ人。
クリミアはそもそもオスマン帝国だったのだけれども、エカチェリーナ2世が1783年にオスマン帝国から奪い、このクリミアを現在のベラルーシ(ヨーロッパとロシアの緩衝地帯)のように、ロシアとオスマン帝国の緩衝地帯として、さらにユダヤ人を移住させるよう解放したとされている。
それから、100年後、1923年以降、当時の当局はクリミア半島にユダヤ自治州を設立する提案を受け入れたが、数ヶ月後の白紙。当初、クリミアのカリフォルニアという計画で、約96,000人のユダヤ人家族がそこに移住する構想だった。その金は、アメリカで財を成していたアメリカのユダヤ人慈善家(たとえば、ジュリアス・ローゼンウォルド)などからのものだという。
たとえば、「Cremia Julius Rosenwald」と検索すると、イスラエルのドメインで、当時の新聞などをスキャンしたアーカイブなども出てくるのでユダヤ人の間では広く知られた話なのだろう。
このクリミアのカリフォルニアともいえるユダヤ人自治区建設。
その後、多くのユダヤ人による集団農場などができ、ユダヤ人人口も増加。とはいってもクリミアに住んでいた稼ぎを出すユダヤ人に対して、もともとクリミアに住んでいる地元民などに嫉妬されポグロム(虐殺)にあったり、1941年にナチスがソビエトに侵攻してくることなどもあり、クリミアのユダヤ人は、遠く離れた安全な地を求めて東に移動。
そこがカザフスタンやウズベキスタン。
実はその前にも、1928年3月に「ビロビジャン計画」があったようで、今のロシアを見ても分かるように、タタール人であればタタール共和国のように、それぞれの民族に、共和国という名の場所が与えられている。当時のソ連はユダヤ人にもユダヤ人の場所を与えようとした。それで当時日本の満洲からロシアを守るというような場所にある極東のアムール川付近にユダヤ自治州を建設。
「ロシアって国じゃないの?なぜ、ロシア連邦には22もの共和国がある?北朝鮮は、23番目の共和国ですか?」
そして、1934年5月にユダヤ自治州が完成。当初ユダヤ人が多く集まってきたが、気候が合わないことや、そもそもこの地にユダヤ人を集めて、もともと商取引と小規模な工房などが得意なユダヤ人を農民に変えようとしたため、人口がどんどん減っていったという。
https://www.tabletmag.com/sections/news/articles/crimea-as-jewish-homeland
https://jp.rbth.com/history/79235-yudaya-jichishuu
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb712.html
③ロシア人からみたユダヤ自治州
写真よりも最近の高画質な映像をみるほうがこの街がどんな感じなのかイメージはつきやすい。ということで二つの動画を持ってきた。一つ目は個人ユーチューバーが載せている動画。2つ目はどこかのテレビ局が載せている動画。
100万近い再生数からみて、ロシア国内でもこのユダヤ自治州は少しは関心を持たれているということがわかる。動画は長いのであくまでも雰囲気をちょっと確認するくらい視聴してみた。そして重要なのはそこにあるコメント。ロシア語圏ではこの映像をみて、どういうコメントがあるのか簡単にまとめた。
ユダヤ人に対して「かっこいい!」などというコメントがあったり、ユダヤ人はどこが良い場所なのかわかっているため皆離れてしまった。そんな寒い地域に住みはしない。つまりユダヤ自治州計画は失敗した。というコメントに対して、カナダにはたくさんのユダヤ人が住み着いている。などの反論もあった。
コメントをみて感じた多くは、ロシア人自体が自国に対して自虐になっているということ。今の経済状況を反映してなのか、ユダヤ自治州を他のロシアの都市になぞらえ、ロシアはどこに工業都市を作っても失敗する。というような事なのだろう。
そのためか、ビロビジャン市自体の改造、イスラエルとの関係構築による産業発展などが、一部のロシア人の願いと私は思った。ちなみにそのような、イスラエルとユダヤ自治州のビジネス活発予定?的な記事が日本語で書かれたものにもあった。今後の動向が楽しみ。
https://www.erina.or.jp/columns-today/129802/
また、陰謀論好きなロシア人も多いためか、ユダヤ自治州こそ世界の陰謀のヘソ。みたいなものだと語るものも。
④世界で唯一「イディッシュ語」が公用語の場所
ハザール系ユダヤ人の使用言語であるイディッシュ語。戦後イスラエルが建国されヨーロッパに住んでいた多くのユダヤ人がイスラエルの地に住み着きヘブライ語を話すようになったが、そんなヘブライ語は実は現代ヘブライ語と言われ最近作られた言語だという話は他の記事でも書いた。
つまり聖書に書かれていた古典ヘブライ語をイスラエルの公用語として話し言葉にした言語が現代ヘブライ語であり、ユダヤ人がイスラエルに住み着く前まで、ヨーロッパに長い間いたときは、ドイツ語に近いイディッシュ語を話していたということである。
簡単に言えば東欧のユダヤ人の間で話されていたドイツ語に近い言葉である。このヨーロッパのユダヤ人の間で話されていた言語が、今まさに日本のすぐ近くにあるエリアで公用語となっている。とはいっても、ユダヤ自治州には現在ユダヤ人は、人口の1パーセントしかいない(2010年の国勢調査)。しかも、2010年の調査では、たったの97人しか話者がいないそう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_Autonomous_Oblast#Current_demographics
つまりユダヤ人の中でもイディッシュ語を話す人はかなり少ない。ということ。とはいってもユダヤ自治州なので、一部の看板などがロシア語とイディッシュ語で併記されていて面白い。
言語オタクになりつつある私はまさにその現場をこの目で見てみたいわけ。そしてできるなら1ヶ月アパート借りてユダヤの歴史を勉強しながら、イディッシュ語強化する期間にでもあてたいな・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Yiddish
⑤どんなアパートに泊まれる?(狙っている部屋)
人口たった7万人のこの都市にも観光客は訪れる。とはいってもAirbnbで部屋を探していると物件自体は少ない。けれども、月々7万円〜10万円あたりでこのような部屋が見つかったので、時期を見て、ヘブライ語とイディッシュ語強化期間がきたらビロビジャンで1ヶ月くらい過ごしたい。なんていう妄想もある。
私が泊まりたいこれらの部屋は、さまざまなコメントがキリル文字で書かれていて評価もかなり良かった。つまりモスクワの方からもユダヤ自治州みたさにやってくる国内旅行者が多いのではないだろうか?
もし格安の部屋に泊まりたければ、以下のような選択肢もある。ゲストハウスのような形で個室が与えられているタイプのもの。全部込みで4万円(1ヶ月)お友達作りたい人はそういう場所がいいのかもしれない。Airbnbで検索するとユダヤ自治州の部屋は少ないのでこれらの写真の部屋もすぐに探せるはず。
ま、この記事を読んで行こうと思う人はいないだろうけれども、一つのネタとして知っておいても損ではないかもしれない。
私が紹介しているのは旅行者でも現地の人のように暮らせるアパートだけであり、ホテルサイトなどで探してみれば、1泊2000円あたりでたくさん出てくると思う。物価は非常に安いのでもの好きにはおすすめかもね・・・
⑥最大の都市「ビロビジャン」で見れるもの(杉原千畝も話題になっている)
杉原千畝といえばユダヤ人に表彰される日本人として有名だけれども、このブロビジャン駅には杉原千畝記念プレートが設置されているという。また、一番の観光ポイントが、シナゴーグ(ユダヤ人協会)とユダヤコミュニティセンター(フレイド)。これは動画にも出ていたけど、イディッシュ語で書かれた本や、ユダヤに関すること、ビロビジャンのユダヤの歴史が知れる中心的な存在になっているのだろう。
https://www.city.niigata.lg.jp/smph/shisei/kokusai/toshikan/birobidzan/14_birobidzan.html
また話は戻るが、杉原千畝のプレートがこの地でおかれる理由は、あの有名な「命のビザ」により、ユダヤ人がヨーロッパからロシアを経由して日本に逃れる際に、シベリア鉄道でビロビジャンを通ったからだそう。
ということもあり、このプレートの説明は、ロシア語、英語、日本語、イディッシュ語の4つの言語で書かれているという。これだけでも言語好きの私にとっては興奮するものである(笑)
⑦ユダヤ自治州にユダヤ人が残っていて、独立していたら?
この記事を書いていてふと思ったこと。イスラエルが建国される前にこのようにクリミアをユダヤ人の国にしようとしたり、さらに極東にユダヤ自治州ができたりした。それだけでも驚きだけれども、仮にこの極東のユダヤ自治州が当時かなり発展してうまくいっていて、ソ連崩壊まで残っていたら、ユダヤ自治州が独立して、イスラエルなんかと手を組んだりして、東アジアのパワーバランスが、中国・日本・韓国(北朝鮮)のようなもの+ユダヤ共和国みたいなものがあって、また変わっていたのではないか。という妄想をしてしまった。(笑)
ユダヤパワーは計り知れないのでね・・・