たびたび私のブログでも登場するキルギス。そう。私は2年前にビシュケクに2ヶ月ほどいたけれども、今回は勇気を振り絞ってキルギス南部の街オシュでプチ生活することを決めた。約3ヶ月ほどのノマド生活(ロシア)を終え、モスクワから直行便で早朝にオシュに着いたことは今でも忘れられない。二回目のキルギスのはずなのに、どこかまた違った国に来たかのように思えた瞬間だった。
これは動画でも語った。
シルクロードの街、キルギスのオシュで生活して1ヶ月がすぎた件
そもそも、その前にいたシベリアでは、チュルク語系のサハ共和国や、アルタイ共和国をひとまず保留にしたので、その分オシュでは楽しもうとおもっち田。ということもあり今回は2ヶ月間くらい過ごしたのでそのことについてメインで書きつつ、首都ビシュケクとは何が違うのか語っていきたいと思う。
①都市規模、地理的条件
ビシュケクのほうが都市人口(100万人ほど)が多いはずなのだけど、オシュは州という広域圏で考えれば100万人都市と考えることもできる。ビシュケクの場合、郊外も合わせれば150万人近くにはなるけれども、郊外にある都市は東京における埼玉、千葉、神奈川のようにあまり特色がない。
ビシュケクへの旅行者は、よくイシク=クル湖のカラコル(プルジェバリスク)にも立ち寄るが、ビシュケクからは6時間ほどかかる。これはアルマトイに行くのと変わらない距離。
一方オシュは郊外に1、2時間も車を走らせれば、いくつもの小規模都市があり、それぞれ、ウズベク人、タジク人などの割合が違い、街の特色も違うのが特徴。つまり、オシュの場合は、移動していろんなところに日帰りで楽しむことができる。
なので飽きない。
よく見ると、オシュという街は、ウズベキスタンからも、カザフスタンからも、タジキスタンからも中国からも近い街であり、国境までも数時間程度である。
また、オシュからカザフスタンは遠いように思えるが、13時間ほどかけ一旦オシュからビシュケクにバスで行くよりも、タシュケント経由のほうが、8時間くらいで国境入りできる。つまり本当の意味で中央アジアの中心とも言える場所かもしれない(中国の西部も現在もトルキスタンと考えた場合)。
ちなみに、2週間ほどプチ生活してみたタシュケントまではオシュからバスで7時間くらいで行ける(国境越えも含め)。
「中央アジア最大の都市「タシュケント」で数週間ノマドしてみた件(都市規模、家賃、人種)」
②歴史的、民族的部分
歴史の説明は割愛するが、もともとオシュはキルギスではなかった。そもそもキルギスという国ができたのもロシアがそこに国境を引いたからという歴史がある。オシュがキルギスになるまで、それまでここはコーカンド・ハン国(1709年 - 1876年)という国であった。つまりウズベク系の国なので、ウズベキスタンの領土みたいなものなのである。
そういう理由もあってか、オシュの人口の半分以上はウズベク人。そもそもフェルガナ盆地といえばウズベク人なのだけど、ここにキルギス人が都市を手に入れてしまったものなのだろう。その理由は、遊牧生活が長いキルギス人の少しでも都市を持たせようと言うことでロシア側がオシュをキルギスの領土にしたという話がよくされる。
中央アジアでも最古の部類に入ると言われるこのオシは、キルギス人の割合が増えているものの、やはりウズベク人が半分いるので、お互いが、自らのアイデンテティを守る形で共存しているので、服装や、スタイルなどを観察するのが非常に面白い。
また20パーセントのロシア系住民がいるビシュケクと違い、オシュにはほとんどロシア人がいないのも私が好きになった部分である。
③フライトのアクセスが少し難しい
ビシュケクでさえ、ドバイやモスクワ、イスタンブールという限られた都市からしかいけないが、オシュはさらに狭まり、ほとんどの国際線はロシアにある都市である。とはいっても一つ日本人にとって行きやすいと感じるのは、オシュ自体がロシアでもかなり人気な観光地なので、ロシアの主要都市から直行便がある点だ。毎日ではないが、ウラジオストクーオシュもあり、これはロシアのビザをあらかじめとり、ウラジオストクまで2時間かけていき、数日ウラジオストクを楽しんだ後にオシュに行くという行き方。二つ楽しめて良いのでは?
また、モスクワなどの大都市からは毎日オシュ行きがあり、5時間程度のフライトで到着してしまう。つまりモスクワ人にとって、東京の人たちがホーチミンやマニラに行く感覚なのである。
④ビシュケクよりも若干、宿が高いと感じる理由(Airbnbなど)
まず、ジョージア(40万円)よりも一人当たりのGDPが低いキルギス(15万円)、そしてオシュというキルギス第二の都市において、なぜ外国人がそれなりの部屋を借りようとすると高くつくか?については、それだけ外国人向けの住宅が供給されていないからである。
これはどこの国でも大体同じ。条件の悪い狭い、不便な部屋、つまり地元の人たちと同じ生活をしようと思えばそれなりの安さで生活できる。けど、日本と同じような住居環境を求めるなら、そこに暮らす裕福な人たちが借りるようなアパートを借りなければならない。
この山からの写真のように、2021年10月時点で、10階〜15階のタワマン(この街は平家が多いので、これでもタワマンと呼べる)は、20棟あるか、ないかではないだろうか。それ以外は、高くても2階建て〜3階建て。とにかく中心部は低層の建物が多い。
私は低層の部屋だと外の景色がみれないので借りたくはない。それでもそういう部屋であればロシア語で検索すれば1ヶ月4万円などはでてきた。もちろん内装もいい感じで、部屋も広い。
とはいっても、私のようにタワマンっぽい眺めのいい部屋で1ヶ月暮らしたいのなら、8万円〜という覚悟が必要。
ビシュケクとは違い、オシュはまだまだこれからの街なので、競争が全然始まっていない。つまり部屋を貸す側は法外な価格を提示してくることがある。なぜならそこしか借りれないからである。私が借りた部屋はせいぜい4万円くらいだったと思うけれども、7万6千円くらいした。
それでも現在、オシュは建設ラッシュである。私が思うに、2年〜3年後は、Airbnbでも、いい部屋が今のビシュケクくらいの値段で借りれるのではないだろうか。とはいっても、現在私がインスタグラムなど、友達、色々聞いてみて不動産から紹介してもらった景色が眺められる日本人でも快適に暮らせそうな物件のほとんどの平均価格は、1日2000ソム(2700円)なので、1ヶ月8万円である。
ミャンマーでも同じような現象があるが、やはり物価が安い土地では、それなりにいい部屋を借りるにはかなり高くつくのである。なのでこの知識がないと、最初は戸惑うことになると思う。
⑤私が借りた部屋
私は中心部のバザールの近くにある13階建てのマンションに部屋を借りた。この街は低層の建物しかないので、ロシア語の先生に、レッスン中の定番質問で、どこに住んでいますか?何階に住んでいますか?という質問に、9階と答えた時に、瞳孔が開いたのが印象的だった。
そう。この街では9階=東京中心部における30階くらいのイメージなのである。なのでこのようにずっと遠くの山まで見ることができる。
部屋の全体図は、このブログの上の方に貼った動画で公開しているのでみてみてね。
⑥ロシア語が格安で学べる
キルギスは一人当たりのGDPが15万円程度。つまり、普通の人は毎月2万円も稼いでいない。けれどもキルギスという国はほかの旧ソ連圏の中でもロシア語のレベルは非常に高く、ロシア語に慣れていない田舎のキルギス人を教育するロシア語学校も非常に発達。
私はそこでロシア語を1ヶ月学んできたが、非常に格安だったのでロシア語を学ぶ名目でここにプチ生活してみるのも良いと思う。
「キルギスのオシュでロシア語学校。1ヶ月7500円で体験してみた話(英語学校情報もあり)」
⑦地区によって民族が変わる
オシュ州全体では、キルギス人(75%)ウズベク人(30%)なのだけど、オシュ市では、キルギス人(43%)とウズベク人(48%)が同じくらいの人口いる。つまり都会にウズベク人が多いという感じ。このオシュ市の比率に関しては、2015年のもので、2009年のキルギス人(34%)とウズベク人(57%) とかなり逆転の方に向かっていっている。
つまり数年もしないうちに、キルギス人の割合が多くなってきて、ウズベク人が少数派になる可能性も否定できない。そのため、現地ではウズベク人が普通五人くらい子供を産むよ。と言われる。キルギス人の方が子供を産まなくなっているのだとか。とはいっても、郊外の田舎にはキルギス人がたくさんいるので、オシュが更に都市化した場合、更にキルギス人人口が増える可能性もある。
そしてオシュは地区によってウズベク人が集まる場所とキルギス人が集まる場所に分かれる。タワマンのようなマンション系にはキルギス人が住み、ウズベク人は一軒家に、高い塀があるような、文化的な家を好む。
またウズベク人の家の前にはたいてい葡萄がなっていたりする。
いずれにしてもオシュは二つの民族が感じられる場所として非常に貴重な体験ができる。
続きは随時足しておきます(^-^)