日本から遠く離れた中央アジア。ここは中国からすれば西にある広大な庭でもあるが、日本人にとってはかなり未知でロマンあふれる場所。それは地理的に日本と近いのにもかかわらず、日本とあまり関わりのない土地であるからということもあるが、北東アジア系の日本人によく似た人たちが、日本から遠いキルギスやカザフスタンにいるからでもあるだろう。
「カザフスタン人と日本人って似てる?「日本人 VS 韓国人 VS モンゴル人 VS カザフスタン人」という奇妙なスレッドを発見してしまった件」
実際にカザフスタンやキルギスを旅行したことのある日本人の間では、どちらも日本人に似ている。とよく耳にするが、人種観察好きの私が観察した中で感じたのは、私が行った場所がカザフスタンの中ではアルマトイだけだったからかもわからないが、カザフ人はキルギス人に比べ、濃い(どういう意味で濃いのかは具体的には説明できない)イメージがある。
それはウイグルに行くと、さらに濃い感じがあるのだけれども、うまく説明はできない。キルギスは中国からみればウイグルより離れているにもかかわらず、割とモンゴル人っぽい顔立ちというか、あっさりした顔立ちの人が多い印象を受ける。
そういう中で私は、彼らは民族として長い間、どういう移動をしてきたのだろう?とものすごい興味津々だった。
普通であればキルギスよりも北方に位置するカザフ人の方が全体的に薄い顔立ちなのかと思えば、私が感じたのはキルギス南部の人たちの方がモンゴル人により近い顔立ちだったからである。例えるのなら、モンゴル人とウズベク人をミックスさせて、ちょっとだけタジク人の要素を入れた感じ。
ながながと書いてしまったが、キルギス人とカザフ人はお互いのことを民族面でも、言語面でも兄弟と呼び合っている。けれどもウズベク人はその仲間には入れてもらえない。今回はこういう部分を少しでも整理、また歴史的な背景を交えつつ、語っていきたいと思う。
①人口と、名称の違い
キルギス人は、590万人ほど。カザフ人は、1869万人ほど。カザフ人の方が圧倒的に多い。この数字は、キルギスの人口とカザフスタンの人口から出したものではない。というのもカザフスタンもキルギスも、どちらもロシア人やウズベク人など他の民族も共存する形で成り立っている国だからである。
さて、カザフという言葉はそもそもがロシア語におけるカザーク(コサック)と同一語源である。コサックといえば、ロシアの歴史を語る上では外せない単語。そこは割愛するとして、テュルク諸語では、「独立不羈の者」「放浪者」を指すの言葉で、ロシア語のコサックとも重複するからなのか、20世紀前半のソビエト連邦においてカザフは誤ってキルギスと呼ばれていた時代もある。
一方キルギスという言葉は、マナスの40氏族と訳されることがある。Kyrgyz と、кырк「キルギス語で40の意味」からもわかるように、40の氏族をまとめあげて成り立つ民族。なのかはわからないが、キルギスの語源は40だということだけは覚えておいて損はないかもしれない。
②言語系統の一致
中央アジアの言語 | 言語系統 | 下層グループ | |||
カザフ語 | テュルク諸語 | 北西語群(キプチャク語群) | |||
キルギス語 | テュルク諸語 | 北西語群(キプチャク語群) | |||
ウズベク語 | テュルク諸語 | カルルク語群(南東語群) | |||
トルクメン語 | テュルク諸語 | オグズ語群 | |||
タジク語 | インド・ヨーロッパ語族 | インド・イラン語派 |
この図を見てもわかるように、カザフ語とキルギス語は下層グループまで同じである。つまりカザフ語でキルギス人に話しかけても、またその反対でも通じる。私が一番驚いたのは、キルギス人の友達を連れてウズベキスタンのタシュケントに行ったときに、キルギス人の友達がウズベク人に対して、キルギス語で話しかけていてもほとんど通じたということだった。
キルギス語とウズベク語は下層グループは違っても、それでも通じるのである。つまりキルギス語とカザフ語はさらに伝わりやすくなる。そのためか、キルギスの音楽をYouTubeで聴いていると、コメント欄にカザフ語で、カザフ人からの応援コメントが結構多い。
おそらく、キルギス人とカザフ人が一緒になると、ウズベク人の悪口を言うのではないだろうか。これは中国人と韓国人がくっつくと日本人の悪口を言うように。
③キルギスの方が古い
キルギス人の友達曰く、「カザフ人はキルギス人から出て行った人たちだよ。」という事である。でも私になりに、それは本当かな?と疑問に思ったので、それをウィキペディアで調べてみると以下のような記述を発見。
カザフは、ジョチ・ウルスの祖であるジョチの5男シバンの子孫シャイバーニー朝に率いられ、15世紀に南シベリアからカザフ草原あたりに遊牧していたムスリム(イスラム教徒)の遊牧民集団ウズベクから離脱した人々が新たに形成した集団と考えられている。
つまりカザフという名称は、カザフ・ハン国(1469年 - 1847年)あたりから成り立ったと考えられる。一方、キルギスという言葉はさらに古くから存在する。それは紀元前からである。
中国が「前漢」(前206年 - 8年)だった時代、つまり当時日本は弥生時代、古墳時代だったとき、イェニセイ・キルギス=堅昆(けんこん)として地図に載っているのである。この場所には現在ハカス共和国という、キルギス語と同じ言語系統の言葉を話す国があり、イェニセイ・キルギスは、まさに現在のハカス人の祖先にあたるとも言われている。
※イェニセイ・キルギスの碑文は有名。
Енисейские письменные памятники
ちなみにイェニセイ・キルギス人はコーカソイド色が強かったと言われており、今のモンゴル人に近い容貌になったのは、モンゴル帝国が拡大して以来とも言われ、あまりその辺がはっきりしていない。とはいっても、現在のキルギス人はどう考えても、中国系というよりはモンゴル系の顔立ちなので、そうなのだろう。
「住んでみて分かった「キルギス人」の外見(ハプロ)と、性格・気質 TOP5」
つまりもともと現在のキルギス人は、イェニセイ・キルギス人がエニセイ川あたりから南下して今のキルギスにいるという説と、もともとキルギス人は天山山脈の麓にいたという天山キルギス人説があるが、キルギスという名称は、カザフなんかよりも歴史が深く、チュルク語系の言語ができる人からすれば、やはりキルギスという名称のほうがカザフよりも権威があるように思えるのではないだろうか。
カザフ=放浪者(野蛮なイメージ)
キルギス=40の氏族(他国から侵略を受けないように40の氏族を集めて一致団結した勇敢なイメージ)
全然その意味が違うので、私はこういうことを知ってから、キルギス語をやっていてよかったなと感じるのである。→カザフをディスっているわけではありません。(汗)
以下、キルギス語の体験談。
「 メリットなし!なのに「キルギス語」に惹かれ、勉強し始めた理由」
④カザフにキルギスがあった理由
キルギス人の友達に囲まれてキルギスで数ヶ月生活して感じたのは、キルギス人は自国の文化に誇りを持っている点である。特に、ビシュケク時代には若者の多くがモスクワを向いていたが、オシュ時代の時は、共存する形で存在するウズベク人がいるという影響もあってか、キルギス人としてのアイデンティティをしっかり確認し合っているかのような人が多かった。
つまり、自分はウズベク人とは違う。モンゴロイドのキルギス人なのである。というような自覚である。
で、この地図は、1925年までの数年間使われていた地図。現在のカザフスタンにあたる土地が、KIRGIZISTAN A.S.S.Rとなっている。これは、ここのキルギス人が住んでいるという意味ではなく、カザフ自治ソビエト社会主義共和国(1925年 - 1936年)が、キルギスタンと呼ばれていた時代があったという事であり、その当時、キルギスは、この地図の南にあるTURKISTAN A.S.S.R=トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国(1918年 - 1924年)の中に入っている。
この当時、ロシアが中央アジアの盟主となる段階で、うまく民族を整理できていなかったからこういう地図になったのだろうと思う。今は民族ごとに、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンに別れている。
ちなみに、この地図をキルギス人に見せると、「ほら。キルギスのほうが偉大でしょ?」ということだった・・(笑)
⑤モンゴルも含め、同じ文化
モンゴルは言語系統が全く異なってくるが、カザフとキルギス、モンゴルは同じ遊牧文化を持っている。これはトルクメニスタン人が、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンは中東の要素も入っているが、カザフスタンとキルギスは、どちらかというと東アジアです。と書き込みする人がいることからもわかるように、やはりキルギスとカザフスタンはモンゴル寄りなのである。
⑥お互いどう思っている?
最後に。キルギス人と話していると、カザフ人は兄弟だけど、傲慢だ。という。そしてキルギス人を馬鹿にしている。とも。一方、アルマトイでカザフ人の家に泊まったとき聞いたのは、キルギスなんて興味がない。ということだった。
これは一人当たりのGDPにも影響しているが、キルギス(10万円〜20万円程度)、カザフスタン(70万円〜100万円程度)と、一人当たりのGDPにかなりの差がある。というのもカザフスタンにはカスピ海にある天然資源があるので、そのおかげで収入が高い。キルギスは経済の50%以上をゴールドに頼っているが、それ以外は農業なので、経済的には貧困国。
よくビシュケクの10年後がアルマトイと言われるように、カザフスタンに対して自分たちより上の国という認識がある一方、キルギスはカザフスタンを文化的には自分たちより下と見ている感じもある。
とはいっても、これが対ウズベク人とか、タジク人とかとなると、キルギス人とカザフ人は一致団結するのだろう。(笑)