公爵(こうしゃく)の次にランクが高い「侯爵(こうしゃく)」には、藩主が多いのが特徴。ちなみに、侯爵も侯爵も読み方が同じなので、いかに日本語が西洋のことばを無理やり漢字に当てはめてきたかが、わかるだろう。
少し前に、公爵のリストを公開したが、
「日本の旧華族(貴族)階級の頂点「公爵」リスト TOP19」
今回公開する侯爵のリストは、人数としてはその二倍以上なので、全部見るのは結構大変かもしれない。けれども、この1ページにまとめることに決めた。
侯爵リストのほうでも書いたけれども、華族の階級の中でトップである公爵と、その次にあたる侯爵の人物をある程度抑えておくことで、現在の日本がどのようにして作られてきたのか。ということがわかる。
ちなみに、世界基準(主にイギリス)と日本の爵位の階級は全く同じである。
「世界の王室(皇室)と、貴族における階級(爵位)と、天皇、国王(女王)、王子(皇太子)、大公、公爵、侯爵、 伯爵、子爵、男爵の違い」
また、侯爵には藩主が多いということは上にも書いたけれども、公家などの朝廷に仕えていた人物以外にも、全国各地の藩主なども、注目するべきである。
また皇族だった人物が、臣籍降下して侯爵になるケースも結構目立った。
それになんといっても、これから公開するリストの出身地も、さまざまで、またこれが面白い。それでは、長いこのリストを軽ーく、ゆるーく読んでくださいな。
①浅野長勲
生年月日 1842年8月28日
没年月日 1937年2月1日
出生地 広島藩主
称号 従五位下、紀伊守、従四位下、侍従、左近衛少将、安芸守、従二位、権中納言、従一位
浅野 長勲(あさの ながこと)は、安芸広島新田藩第6代藩主、のち広島藩第12代(最後の)藩主。
写真を見る限り、なんだかロスチャイルドファミリーにいそうな感じにも見えたのは、気のせい?ファッションセンスが良すぎる!( ´艸`)
「ロスチャイルドの五家(フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリ)と、その末裔たちの現在」
②粟田彰常
生年月日 1920年5月13日
没年月日 2006年8月30日(86歳没)
出生地 東京市
出身校 陸軍士官学校
称号 侯爵、陸軍大尉、勲一等旭日桐花大綬章、王(皇族)→侯爵
明治天皇の娘、東久邇 聡子(ひがしくに としこ)の息子である。また父親の東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)も、元皇族である。つまり、明治天皇はお爺さんにあたる。
華族制度が廃止されたあとは、東京農業大学を卒業して、東京都建設局に勤務し、飼育係として上野動物園で、ニワトリやヤギなど多くの生き物の飼育を担当したとされている。
以下のアメブロの記事に、写真が載っていた。
③池田章政
生年月日 1836年6月16日
没年月日 1903年6月5日
出生地 備中鴨方藩
称号 備中鴨方藩主→備前岡山藩主、従一位、勲一等、侯爵、麝香間祗候
池田章政は、現在の岡山県西部である備中(びっちゅう)鴨方藩の第9代藩主。のちに現在の岡山県東南部にあった備前(びぜん)の岡山藩主になった。
つまり、現在の岡山県で知られてる人物である。
④池田輝知
生年月日 1861年1月31日
没年月日 1890年4月30日
出生地 鳥取
称号 侯爵
旧因幡国鳥取藩主家である池田氏第13代当主。最後の藩主池田慶徳の次男であり、因幡国(いなばのくに)というのは現在の鳥取市のある場所にあったということを、ここでは学んでおこう。
⑤井上馨
生年月日 1836年1月16日
没年月日 1915年9月1日(79歳没)
出生地 周防国吉敷郡湯田村
出身校 明倫館
称号 従一位、大勲位菊花章頸飾、侯爵
井上馨といえば、帝国ホテルである。井上馨が渋沢栄一や大倉喜八郎などを説得してできたのホテルが帝国ホテルである。
ちなみに、出身校の明倫館は、長州藩の藩校であり、当時、水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称されたとされている。
つまり今でいう、東大、京大、大阪大のような、イメージであろう。
⑥大炊御門幾麿
生年月日 1875年4月8日
没年月日 1919年8月11日
出生地 京都
称号 公爵
おおいのみかど いくまろと読む。なぜ、侯爵の地位を得られたか?というのは、大炊御門幾麿の父、大炊御門 家信(おおいのみかど いえこと)の影響である。
家信は、
・仁孝天皇(120代)
・孝明天皇(121代)
・明治天皇(122代)
の三朝にわたり公卿として仕えた。そして、その家信が、隠居してしまったので、子の幾麿に、侯爵の称号が与えられたということになる。
⑦大久保利和
生年月日 1859年8月5日
没年月日 1945年1月20日
出生地 薩摩国鹿児島郡
出身校 フィラデルフィアの中学校、開成学校
称号 侯爵
大久保利通の長男。岩倉使節団に随行し、渡米している。侯爵の地位を得られたのは、父である大久保利通のお陰。
⑧音羽正彦
生年月日 1914年1月5日
没年月日 1944年2月6日
出生地 東京府東京市
出身校 学習院中等科、海軍兵学校、海軍砲術学校
称号 侯爵
⑨花山院忠遠
1876年 - 1895年(そのほかウィキペディアに情報なし)
⑩華頂博信
生年月日 1905年5月22日
没年月日 1970年10月23日
出生地 東京府東京市
出身校 海軍兵学校
称号 侯爵
伏見宮家の出身であるが、後に臣籍降下し華族(侯爵)となる。ウィキペディアには写真がなく、個人ブログにあったので、以下気になる方は参照してみてね。
https://omugio.exblog.jp/20029983/
⑪菊亭脩季
生年月日 1857年5月28日
没年月日 1905年10月8日
出生地
出身校
称号 貴族院侯爵議員、従一位
実父→関白鷹司輔熙。
現在の札幌市白石区菊水に、その名が残っている。これは菊亭の「菊」という字と豊平川の水を結びつけたことが由来である。
⑫木戸正二郎
木戸孝允(桂 小五郎)の養子である木戸正二郎が、侯爵の爵位を授けられている。
ウィキペディアの言葉を借りると以下のように書かれていた。
明治17年(1884年)7月に華族制度が創設されると、木戸孝允の功績により、養子木戸正二郎は大久保利通の長男の大久保利和と並んで侯爵を授けられる。
⑬久邇邦久
生年月日 1902年3月10日
没年月日 1935年月4日
出生地 日本、東京府東京市
出身校 陸軍士官学校
称号 侯爵
久邇宮邦彦王の第二王子であり、香淳皇后の次兄。つまり第125代今上天皇(平成天皇)の伯父に当たる。香淳皇后の存在、忘れている人が多いので、もう一度以下で確認してみてね。
「明治維新以降、天皇や日本国民を支え続けている「日本の母、女王」皇后、皇太后 TOP5」
理由はわからないけれども、臣籍降下(皇籍離脱)しているので、皇族(王)→ 華族(侯爵)と身分が変わっている。
⑭黒田長成
生年月日 1867年6月7日
没年月日 1939年8月14日
出生地 日本 筑前国福岡(現福岡県福岡市)
出身校 慶應義塾、ケンブリッジ大学キングス・カレッジ
称号 従一位、勲一等旭日桐花大綬章、侯爵
父は筑前福岡藩の最後の藩主黒田長知。妻は公爵島津忠義の娘、清子。学歴が結構豊富なのが印象的。
⑮久我通久
生年月日 1842年1月9日
没年月日 1925年1月10日
出生地 京都
称号 公卿、政治家、侯爵
和歌や書道、謡曲、歌詞などといったものに堪能な趣味人としても知られたという側面もあるようだ。
⑯小松輝久
生年月日 1888年8月12日
没年月日 1970年11月5日
出生地 日本、東京府東京市
出身校 海軍兵学校
称号 従二位、勲一等侯爵
北白川宮家(皇族)出身の華族。臣籍降下している。
⑰小村壽太郎
生年月日 1855年10月26日
没年月日 1911年11月26日(56歳没)
出生地 日本 日向国飫肥(現:宮崎県日南市)
出身校 大学南校(現:東京大学) ハーバード大学ロー・スクール
称号 従二位、勲一等旭日桐花大綬章、侯爵
目元が、日本人にしては珍しい感じであると思ったのは私だけ?勉強家であり、ウィキペディアの記述によると、
ロシアに駐在していた時には薄暗い室内で膨大な量の書物を読み漁っため視力が大幅に衰え、医者からはこれ以上目を使い続けると失明するとまで警告されたが、それでも小村の学習意欲は衰えず、読書を止めることは終生なかった。
というくらい、勉強をしていたそうだ。また父親が事業に失敗した借金を肩代わりしていたという…。
⑱西郷従道
生年月日 1843年6月1日
没年月日 1902年7月18日(59歳没)
出生地 薩摩国鹿児島城下加治屋町
称号 元帥海軍大将、従一位、大勲位菊花大綬章、功二級金鵄勲章、侯爵
顔に渋さを感じたのは私だけだろうか。西郷隆盛の弟である。西郷寅太郎からみると、西郷従道は叔父である。
⑲西郷寅太郎
生年月日 1866年8月21日
没年月日 1919年1月1日
出生地 薩摩国鹿児島城下上之園通町
出身校 ポツダム陸軍士官学校留学
称号 陸軍大佐、侯爵
13年もドイツで学び、その後、その間プロイセン陸軍少尉となっている。で、西郷という名前からも分かるように、西郷寅太郎は、西郷隆盛の息子であり、その中でも、嫡男(ちゃくなん)である。
嫡男とは、正室(当時は、妻が一人だけとは限らなかった)の中でも長男を意味する。
つまり、西郷隆盛は爵位をもらっていない。ウィキペディアには、以下のようにも書かれていた。
西郷隆盛の功により西郷家も華族(侯爵)になっているが、西南戦争の影響で大幅に遅れた。
西郷隆盛といえば、実際に爵位をもらっていたとすれば、侯爵ではなく公爵だったのではないか?と個人的には思ったりもするが、その基準は私には知らない…。
いずれにしても西郷隆盛の肖像画は偽物だと言われているので、息子である西郷寅太郎の顔を見れば、少しは西郷隆盛の本当の顔を探し当てるヒントになるのかもしれない…。
⑳嵯峨公勝
生年月日 1863年7月24日
没年月日 1941年)8月1日
称号 侯爵
父、正親町三条 実愛(おおぎまちさんじょう さねなる)の実愛の維新の功績により侯爵となったとされている。それにしても、お父様の名前が長すぎる…。
㉑佐々木高行
生年月日 1830年11月26日)
没年月日 1910年)3月2日
出生地 土佐藩士
称号 従一位、勲一等旭日桐花大綬章、侯爵
後ろの背景と、髭、帽子、もうすべてが印象的である。( ´艸`)この人物、一体何者なのか?というと、土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)である。
土佐(現在の高知県)では、武士の中でも、藩士と郷士の身分に分けられていたが、その郷士とは、藩士よりもランクが低く、農業の仕事をしたりすることもあるという。そんな郷士に対しても、佐々木高行は、板垣退助や、谷干城と同じく、寛容であったと言われている。
また、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。ということでよく知られている人物ということからもわかるように、
明治天皇に近い人物であった。
㉒佐竹義堯
生年月日 1825年9月9日
没年月日 1884年)10月23日
出生地 陸奥相馬中村藩主(現在の福島周辺)
称号 侯爵
出羽岩崎藩の第7代藩主。後に出羽久保田藩第12代(最後)の藩主となった。
㉓四条隆謌
生年月日 1828年10月17日
没年月日 1898年)11月24日
出生地 京都
称号 左近衛権少将、正四位、侯爵、贈正二位
髭が特徴的な四条隆謌。醍醐輝久の孫であることが、侯爵の地位を授けられた理由となっている気がする。
醍醐輝久といえば、後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の二帝にわたって仕え、官位は正二位・権大納言まで昇ったとされている。
㉔尚泰王
生年月日 1843年8月3日
没年月日 1901年8月19日(58歳没)
出生地 琉球王国・首里
称号 侯爵
いかつい顔…。と思ったのは私だけ?写真の写り方なのかな?なんか上品な感じには見えないのが特徴なのだけれども、尚泰王の父はなんと、父は、第18代国王尚育王。である。
つまり琉球王国が琉球藩になり、その王族が華族に組み込まれたということだろう。それにしても、琉球王国の末裔なら、もう一つ上のランクである公爵に行きそうな気もしたのだけれども…。
これは朝鮮の王族も同様に侯爵の地位に留まっている現象と似ているのかもしれない。
㉕醍醐忠順
生年月日 1830年4月9日)
没年月日 1900年)7月4日
出生地 京都
称号 公卿、廷臣、侯爵
名前からして私は一瞬、後醍醐天皇が頭によぎってしまった…。もしかして私のような感覚になった人も多いのでは?( ´艸`)
醍醐 忠順(だいご ただおさ)とは、仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)・明治天皇(122代)の三帝にわたり仕え、官位は正二位権大納言まで昇った人物とされている。
醍醐忠順のほかにも、この侯爵の地位には、このように公卿がおおいのも特徴。
㉖伊達宗徳
生年月日 1830年5月19日)
没年月日 1906年)11月29日)
出生地 伊予国宇和島藩
称号 侯爵
伊予国宇和島藩の第9代(最後)の藩主。→現在の愛媛県松山市がある場所。
㉗筑波藤麿
生年月日 1905年2月25日
没年月日 1978年3月20日
出生地 日本、東京府東京市
称号 皇族→侯爵
日本の元皇族。1946年1月25日から死去するまで、靖国神社第五代宮司だった。
㉘東郷平八郎
生年月日 1848年1月27日
没年月日 1934年5月30日(満86歳没)
出生地 薩摩国鹿児島郡加治屋町
出身校 イギリス(留学)
称号 侯爵
薩摩藩士から侯爵になったものは結構多い。東郷平八郎は、そのうちの一人だ。特に、
日露戦争の功績より、アドミラル・トーゴーとか、東洋のネルソンと呼ばれた男。
個人的には、東条英機と名字が似ているので、私のように実は混同してしまっている人も多いかもしれない。
㉙徳川茂承
生年月日 1844年3月1日
没年月日 1906年8月20日
出生地 伊予国西条藩
称号 侯爵
幕末の大名で、紀州藩第14代(最後)の藩主。徳義中学校を開設し、窮乏する士族の援助育成に尽力したとされる。
㉚徳川義礼
生年月日 1863年10月31日
没年月日 1908年5月17日
出生地 イギリス(留学)
出身校 尾張国
称号 侯爵
もともとは徳川家ではない。讃岐高松藩主、松平頼聰の次男である。そして、最後の尾張藩主徳川慶勝の養子となる。そして、イギリスに留学。
イギリス帰国後、キリスト教にかなり関心を持つようになったことが有名。ちなみに、現在の大磯町立大磯中学校が、徳川義礼の別荘の跡地である。
また、芸妓に入れ込むようになり、その不品行をめぐり、旧尾張藩士らから養子縁組解消を要求されたが、徳川家達ら徳川一門の仲裁によって取り静められたともいわれている。
このように、養子縁組をしたが、不品行をめぐり養子縁組解消というのは、日本の歴史にかなり多い。
㉛中御門経明
生年月日 1850年11月17日
没年月日 1898年12月14日
出生地 京都
称号 裁判官、侯爵、貴族院侯爵議員
公家出身。父、中御門 経之(なかのみかど つねゆき)の勲功(くんこう)により侯爵の地位を得ている。
明治以降、いくつものポストを歴任している。
・中宮大進
・司法省出仕
・豊岡県権大属
・東京裁判所判事補
・弘前裁判所長
・弘前始審裁判所長
・広島控訴院評定官
・同判事
相当勉強されたのだろう。裁判官と言うだけあって、色々なところを渡り歩いているのが、この経歴を見ると分かる。
㉜中山忠能
生年月日 1809年12月17日
没年月日 1888年6月12日
出生地 京都
称号 侯爵、公家、政治家
忠能は明治天皇の外祖父に当たる。とされている。というのも娘の中山慶子が孝明天皇の典侍であり、明治天皇を産んだので。以下の写真をどこかで見たことのある人も多いかもしれない。
そう。明治天皇の実の母である。明治天皇に関しては、すり替え疑惑もあるので、史実がどうなのかは定かではないが、歴史の教科書では、明治天皇の母親として、登場する。
㉝鍋島直大
生年月日 1846年10月17日
没年月日 1921年6月19日
出生地 肥前国佐賀藩
称号 侯爵
肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主。ウィキペディアには、大人になったときの写真がTOPにつけられていたが、敢えて私の記事では若い頃の写真を載せてみた。どこにでもいそうな感じの顔である。( ´艸`)→時代が変わって日本人の顔が変わるというのは嘘だということがわかる写真…。
大人になったときの顔は、ちょっといかつい感じなので…。でも、顔自体は変わっていない。軍服を着ているため、威圧感があるというか…。
誰もが大人になっても、実はこういう子供の時の心をずっと持っているのだよね。
㉞野津道貫
生年月日 1841年12月17日
没年月日 1908年10月18日(66歳没)
出生地 薩摩国鹿児島城下高麗町
称号 元帥陸軍大将、侯爵
薩摩ということだけあってか、やはり顔が濃い。それも、中東顔だ。( ´艸`)個人的にはかなりインパクトの強い顔なので、すぐに覚えてしまった。それにしても渋い顔だ…。
㉟蜂須賀茂韶
生年月日 1846年9月28日
没年月日 1918年2月10日
出生地 阿波国徳島藩
称号 従四位上、阿波守、侍従、侯爵、勲一等
阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主
㊱広幡忠礼
生年月日 1824年7月24日
没年月日 1897年2月18日
称号 侯爵
江戸時代の公卿としては仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)・明治天皇(122代)の3代にわたって仕えた人物。
㊲細川護久
生年月日 1839年4月14日
没年月日 1893年9月1日
出生地 熊本藩
称号 従四位下、侍従、右京大夫、侯爵
江戸時代以降、熊本藩を統治していた細川家の13代藩主。
㊳前田利嗣
生年月日 1858年5月31日
没年月日 1900年6月14日(42歳没)
出生地 加賀藩
称号 従二位、勲二等、侯爵
加賀前田家第15代当主。岩倉使節団の一員としてイギリスに留学している。その経験を生かしてなのか、北海道の開拓にも参加。
札幌のある石狩平野の西部に農場を作り、これが札幌市前田の起こりとなった。とされている。前田は私にも思い出がある場所だ…。というのも、ここには健康ランドがあって、小学校の時、一年に一度の楽しみだったからだ。
㊴松平茂昭
生年月日 1836年9月17日
没年月日 1890年7月25日
出生地 越後国(現在の新潟市周辺)
称号 侯爵
版籍奉還にともない、福井藩知事となった人物。ということで覚えておくと、この人物の存在はわかりやすいかもしれない。もともと、越後糸魚川藩第7代藩主である。その後、安政の大獄で松平慶永が隠居・謹慎処分となり、越前松平家の家督を相続することになる。
つまり、もともと現在の新潟市周辺である越後でうまれ、そこの藩主であったが、現在の福井市あたりの越前の藩主まですることになる。
㊵山内豊範
生年月日 1846年5月12日
没年月日 1886年7月13日
出生地 土佐藩
称号 従四位下、左近衛権少将
土佐藩の第16代(最後の)藩主である。三条実美(公爵)の従弟にあたる。
㊶山階芳麿
生年月日 1900年7月5日
没年月日 1989年1月28日(88歳没)
出生地 日本、東京府東京市
出身校 東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校
称号 陸軍中尉、正三位勲一等、皇族→侯爵
写真を見る限りだと、軍人には見えないけれども、経歴を見る通り、軍人(陸軍として)もこなしていたことが分かる。元皇族も、軍人として活躍していたことが分かれば、ここで一つ学べたことになる。
Reference Site
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の華族一覧
ざっくりまとめてみたけれども、誤字脱字もありそうなので、次回修正入れますね(^^;
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