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なぜ昔、中国では女性が足を変形させる「纏足」という奇習が根付いていたの?

2018年3月8日

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なぜ昔、中国では女性が足を変形させる「纏足」という奇習が根付いていたの?

2018年3月8日


何やら私はまた見てはいけないものを発見してしまった。これから紹介する写真を見たときは、あまりの衝撃でブログに投稿する気にはなれなかったけれども、知らないことを一つ一つクリアにしていくのも、私の仕事だ。と思いながら、この記事では、むかし中国の女性の間で当たり前のように行われていた奇習、纏足(てんそく)についてご紹介したいと思う。

また最初に言っておくけれども、中国といっても現在も多民族国家であることからもわかるように、当時の中国も漢民族だけではなかった。ということは覚えておいていただきたい。

現在は、中華人民共和国の人口の約92%以上は漢民族なものの、これから紹介する纏足が行われていた時期は、清国であり、つまり国王が漢民族ではなく満州族であったこと。

「中国の少数民族の人口順位 TOP55(イケメン、美女写真付き)」

つまり、分かりやすく言うと、日本人口全体で考えると、少数派の在日朝鮮人・韓国人などの100万人が、大多数の日本人よりも頂点にいる。というような感覚だろうか。
少し喩えが悪いものの、それだけ大多数派の漢民族からは屈辱的な部分もあったということは覚えておきたい。

①纏足の意味とは

まず、纏足(てんそく)とは文字通り、足を纏める(まとめる)ということである。つまり、足を縛ることであり、英語では、Foot Binding と呼ばれている。

以下、わかりやすいようにウィキペディアの言葉を引用する。

纏足(てんそく)は、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。より具体的には、足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、布で強く縛ることで足の整形(変形)を行うことを指す。 
纏足の習慣はの末期に始まったの時代には不健康かつ不衛生でもあることから皇帝がたびたび禁止令を発したが、既に浸透した文化であったために効果はなかった。辛亥革命以降急速に行われなくなった。 
中国大陸からの移住者が多く住んでいた台湾でも纏足は行われていたが、日本統治時代初期に台湾総督府辮髪アヘンとならぶ台湾の悪習であると位置づけ、追放運動を行ったため廃れた。なお、客家人の女性は働くことが奨励されていたため纏足をせず、「大足女」と揶揄されていた。

このように、まずは現代風に言うと、

(618年 - 907年)の末期以降、現在の中国では、漢民族の間では足の整形である纏足が当たり前だった。
(1616年 - 1912年)になると、皇帝(満州族)が不衛生なため禁止していたが、その風習は消えなかった。

ということになる。

もう一度言うけれども、唐の時代は現在の中華人民共和国と同じ、漢民族が支配者側であった一方、清国の時代(296年の間)は、中国大陸では当時少数派だった満州族が日本における天皇家のような役割を果たしていたことから、唐の時代まで続いていた奇習を清の皇帝が禁止しようとしたのだ。

けれども歴史を勉強したり、現在のことを考えても分かるけれど、人の風習というものは禁止したところですぐに消えるものではないのだ。

どれだけ中国が発展しても、中国人の声が大きいのはすぐには治らないように、一度その国で普通とされている習慣ができてしまうと、消えるのもまた難しい。ということも覚えておきたい。

②纏足が行われていた理由

なぜ、纏足が行われたのか?については、諸説はあるが以下のことが考えられるそうだ。

・セクシャリティーの象徴として高められていた
・小さい足の女性の方が美しいと考えられれていた
・纏足は男性の性欲を駆り立てる
・女性は夫や恋人以外の男性には纏足を見せはしなかった
・蒙昧な時代であったため、纏足を施していない女性には嫁の貰い手がなかった

など、色々な理由があるそうだ。けれども、簡単に言ってしまえば、すべてセクシャリティーの象徴である。

当時の中国は、現在の上海人女性がそうであるかのようなキャリアウーマン的なイメージはなく、女性は家。男性は外。というような感じだったと言われている。

無論、文化大革命により現在の中国は、かなり変わってしまったと言われているが…。(;^_^A

それでは、写真を見ていこう…。

一つ目の写真の女性の足は、横から見ると、まるでブーツの形にも見える。それだけ小さい頃から、むりやり形を作った結果、このような形になったのだろう。

なんだろう。2000年以降、日本でも男性の間で先がとんがった靴が流行ったけれども、なんか、そんな感じで足がシャープになると、ファッショナブルなイメージになるのだろうか。

人の目って意外とおかしくて、つまりこの女性二人がもし障がいとして足が曲がっていたとしたら美しいとは思わないかもしれないけれども、そのとき皆が美しいと声をそろえて言い、実践していたとすると、これが美しく見えるようになるのだろう。

分かりやすく言えば、ガングロメイク何回も、当時若い人の間では超カッコイイ!という感じであったけれども、現在の韓国人メイクを崇拝する若者からすれば、美しくは映らないように。

「なぜ日本の若い女性たちは韓国人顔(オルチャン)になりたいの?【韓国の反応】」

二つ目の写真は、とても有名なのでみたことがある人も多いのではないだろうか。

まるで、私はもう何もできません。と言ったような感じにも見える。つまり足に障碍があるイメージに近いというか、当時、女性は家の中、男性は外。というような考えが中国にあったことを考えると、女性は遠くまで歩けなくていいので、家の中で男性が帰宅するのを待つ。という感じで、男のような足は穢れていると思われていたのかもしれない。とも思わせる。

つまり、足が不自由のほうが、男性からすると支配できる。というふうに見えるので、男性も寄ってきやすく、女性が外で稼ぐことが当たり前ではない当時の時代背景を考えると、女性にとっては纏足をして、支配されやすい女を演じることが、生きていく上での手段、うまく言えば、逆に男を転がすための手段だったのかもしれないともとれる。

これはある意味、現代の日本人女性に似ているのかもしれない。

というのも、女性の所得が高い北欧などでは、女性が男性のような可愛い子ぶらないファッション、短髪のヘアースタイルの一般化、間違ったと思ったらすぐさま主張する態度、家庭においても男性と同等の役割を発揮することなどからもわかるように、女性の所得が高い国では男っぽい女性が結構多い。

ちなみに、この男っぽいというのは、日本基準で考えて男っぽい女性という意味である。

一方、現在でも女性の地位が男性よりも低い日本では、そこまで短い?というくらいのミニスカートをはいたり、かわいい子ぶったりして、男性よりも上に立とうと考えている日本人女性は結構多い。そういう部分からカワイイ文化がうまれ、AKBのようなアイドルが生まれるのではないか。と私は考えることがある。

ある意味、女性の中には気づいていない人も多いかもしれないけれど、かわいいでいられることは、時と場合により男性より優位に立つことでもあるということを知らず知らずのうちに知っているのかもしれない。

この文化は、またそれで美しいのではないだろうか。一方、それに依存してしまって年を取ったときに誰にも相手にされなくなって悩んでしまう女性も結構多いとは思う。

で、長々と現代の日本人と似ているのではないか?と書いたけれども、清の時代における纏足は、もちろんしたくない人もいただろう。

これは幼児期に身体的な苦痛が伴うのだから。このときの女性の気持ちを知るには、現代アフリカで行われている女性に対する奇習を参考にするといいと思う。

胸を小さくしたり、初めての相手に見知らぬオジサンが使われたりなど…。やはり英語圏のドキュメンタリーをみていても、彼女たちは嫌がっている。

なので当時の纏足も、嫌がっている人が多かったのは間違いないと思うのだ。


「アフリカ・中東の奇習、迷信、不思議な民族 TOP5」

 

③纏足の仕組みを簡単に図で見てみる

このように、わかりやすく描いた図のようなものもあった。骨が随分変形されているのがわかる。

また中国語のサイトで、なぜ纏足が一般化されたのか?という問いに対して、纏足をすることによって女性を歩きづらくする。とか、ある部分に力が入り、男性との行為の際、男性には喜ばしいこととか、色々書き込みされていた。

そう考えると、やはり纏足は女性の魅力を高める武器だったとも言えそうだ。

一方、女性側からすると、ハイヒールと同じ感覚で、当時は、これが美しいとされており、普通の足だと男性と同じでゴツイと思われるし、周りの人たちが皆やっているから、もしやらなければ、男性の足と思われて、結婚もできなかったのだという事情もあったそうだ。

また中国のサイトで調べてみたところ、すべての女性がこの纏足をしたわけではないという意見もあった。

いずれにしても、写真に出てくる纏足女性たちは、着飾っていて、ものすごく貧乏な家庭の女性には見えないのも面白いところ。

ちなみに、上の老女の足とも思われる写真は、雲南省で2010年に撮影されたもののようで、今現在でも、この奇習を続けている老人がいるのだとか。

これだけ小さい靴が履けるということは、当時の女性にとって美のステータスであったことは、この老女の身なりを見てもなんとなく想像がつくね。

確かに靴を履くと美しく見える。

 

④中国の歴史史上、長期にわたって中国を誘導していた「西太后」も纏足をしていた?

西太后(1835年11月29日~1908年11月15日)といえば、女が政治に関わってはいけない中国の歴史上でも、この地位を独占してきた女として有名、かつ悪女として描かれている人物である。

中国で西太后を知らない人はいない。ぜひ覚えておいてほしい人物でもある。

この記事の上にも書いているのだけれど、清の時代に入ってから皇帝は、唐の時代から続いている纏足について、衛生上悪いので、やめるように言った。

というのも、清の皇帝は満州族であり、満州族には漢民族の女性のような纏足という風習はなかったためである。

もちろん、西太后も満州族であり、纏足はしていない。その理由に、満州族にはそのような風習はないし、また清の皇帝が漢民族の纏足について、やめるように言っているくらいだからだ。

もう一つ、根拠となるのは、西太后の靴だ。もし西太后が、纏足をしていたのなら、あれだけ西太后が、政治に関与し、権力を握ることはできなかっただろう。

というのも西太后は当時の写真からもわかるように、中国の王室としては珍しく、女性が民衆の前に何度も出るという異例の人物であったからだ。

毎日着飾り、なるべく民衆の前にでるようにした西太后は民衆の間からは慕われていたという。

上の靴を見ても分かるように、もし纏足をしていたのなら、こんな現在の厚底ブーツ的な靴をはいて、民衆の前を堂々と歩けないだろう。普通の足じゃないと、この厚底ブーツは到底無理だ…。

マルチリンガールのコメント

中国のサイトをみてみたところ、やはり、纏足をすることで男性の性的欲求を満足させたというようなコメントが多かったのが印象的だった。また、この纏足を現在の整形と同じようなものだろう。と表現する人も多かった。

いずれにしても、時代によって、これが美しいんだ!ってされることは変わっていくのだと私自身実感した。

なので現在の美的感覚も、時代の流れとともにまた少し変わっていくのだということを、知っていただけたらと思う。

10年後はどんなものが美のスタンダードになっているのかね…。

現在の中国はこんな感じらしいけど。

「あなたの顔。実は中国ではブサイク扱いされるかもしれません!中国での美のスタンダードとは?【中国の反応】」

中国と韓国の美のスタンダードは明らかに違う。ちなみに私はどっちも好きかな。

Reference Site
https://ja.wikipedia.org/wiki/纏足
https://www.zhihu.com/question/20438215
https://www.zhihu.com/question/41195314
https://zhidao.baidu.com/question/445263110.html

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