日本でも多く学ばれている中国語。私も若い頃中国語にどっぷりハマっていた。あれから15年。私の言語学習歴もかなり増えてきた。かじった言語、学んだ言語、アクティブ化した言語、それぞれの言語にばらつきはあるものの、レッスンを継続してくれるまで教えられている言語は現在10言語ほど。
日本の中国語学習者は本当に多い。それは地政学的なものもあれば、経済的なものもある。ある人は中国が好きだから中国語を学び、ある人は実は必要がないのかもしれないと思いつつも、時代の流れに乗って、英語も中途半端なまま中国語も中途半端に勉強している人さえいる。
「受験者数を比較。英語、フランス語、中国語、韓国語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、アラビア語」
そんな人には良い記事かもしれない。
というのも私自身中国語を学び、アクティブ言語にしたことでかなり多くのことを得たが、そうではない人もたくさんいるからである。この記事では、いかに私の言語学習が中国語から始まり、ロシア語に終わっていくか?というタイトルで、いくつかの見出しを書いていきたいと思う。
①中国語から始まった私の多言語
私が外国語と最初出会ったのは中国語。上京後、横浜で中国人とわざわざ暮らすという行動に出たほど、中国への憧れが強かった。それから年に4回中国に行き、持っていたお金は全て中国に費やしたほど。
当時の上海は東京を超えるとも言われ、将来は中国で就職したい。なんて思い、高校卒業後は24歳くらいまでずっと中国だけを見てきた。それくらい当時、中国に対する憧れは強かった。けれども、24歳くらいに中国で現地採用として働くか、その時持っていた英語力をさらに1年間、韓国で留学するという形で集中して英語を使った仕事を生業にするか?で迷い、私は韓国で1年間英語を勉強する道を選んだ。
話はそもそも中国にハマった理由は、物価が安く、いくつもの大都市があり、日本から数時間でアクセス可能など多くの日本人が思っていることと同じである。その当時、私の頭の辞書に中央アジアやキルギスなんていう言葉はなかった。
③英語に傾倒した時期
※写真はアルアラチャ国立公園
韓国に留学するまでのTOEICの点数はギリギリ650点くらい。それで韓国の国立大学に正規留学生として入学することができた。でも高校生の時まったく勉強ができなかった私にとって、またIQが驚くほど低かった私にとって、このTOEIC650に行くまでの道のりはかなりのものだった。
中国語より英語を言い聞かせつつも、どうしても中国語の漢字をみると簡単に見えるので、そっちのほうに目がいってしまう。若い時はとにかく英語学習を中国語が邪魔していた。それでも東京で出会う人(オンラインで外国人を探したりしていた)と英語を喋る環境を東京で作ったり、若い時はとにかく英語を話す人を周りにたくさん置くようにした。
そこまで環境を作ってでないと、英語が好きになれなかったからである。
本来は多くの日本人と同様、みんなが勉強している、しかもやらなければならない。みたいな感覚のある英語。は私の性格的に見ても絶対にやりたくない。という言語。それでも、日記、映画、音楽、全てを英語に変えていくうちに英語が自分の言語のように慣れてきた。
でも、これって中国語という優しい言語で18歳、19歳の時から慣れ親しんでいたお陰だったりすると思う。
19歳の上海で、中国人と大声で言い合ったり、外国語を話すというのはこんなに楽しいのか。ということを知ったことで、それが英語でもできる。という自信に変わった。
④多言語学習時期に突入
マルチリンガールと名乗り始めた2014年秋、日本語・英語・中国語・韓国語の4言語を話す動画を撮って、とある多言語学習者に自分の動画を見せたのを思い出す。その頃まだ多言語で動画を上げる人なんていなく、唯一その男性だけだったと記憶。
今でこそ軽くこれらの4言語を話せる人は多くなっているものの、自分がブランディング化していく中で、さらに多くの言語を学んだほうがいいのでは?という方向になった。フランス語、アラビア語、ロシア語なんてまったく興味のない領域。
けれども決めたからには、それらをやり通す。という決意をするのに数ヶ月はかかった。
新しい言語を勉強することで、私の記事ネタは増えた。
その国で話されている言語を学ぶということは、自ずとその国のことにも興味を持つようになるからである。2016年後半からか?2017年くらいにはブログの繁栄期を迎え、好奇心のもと、学ぶ言語も増えてきた。
⑤アラビア語時期
ここは軽く書こうと思う。TOEICの点数をもとに英語を使って仕事を転々とし始め、仕事で使えるという意味での英語力に問題がなくなって以降、長らく私はアラビア語に傾倒していた。極めるのに時間がかかる言語であることと、どっぷりアラビア語の面白さにハマってしまったからである。
⑥ロシア語が一番苦手だった
※写真はキルギスの山
フランス語、スペイン語、ドイツ語などは簡単に覚えていけるのに、ロシア語は読むところからやる気がなくなる。自分の中での優先順位はロシア語に関してはかなり低かった。別に覚えなくてもいいや。という位置に置いていた時もある。
またノマドを始めた頃、キルギスやカザフ、ロシアに行くのにはかなりの勇気というか、東アジアや東南アジアから抜け出して違う世界に行く、今まで自分がやっていないことをやるということにかなりの労力を使ったと思う。
ウラジオストクから始まり、アルマトイ、ビシュケクと、この3都市と回った時点では、まだ私のロシア語力は全然であり、その後、コーカサスのジョージアや、ロシアの6都市を二ヶ月間出回ることや、2回目のキルギス、ウズベキスタン3都市視察などを経て、ロシア語が自分の中での優先順位として、かなり上位に来ると確信。
⑦中国語とロシア語の違うところ
GDPでみれば中国はアメリカまで行かないものの、かなりの規模となり、ロシア語圏は全ての国を合わせても日本のGDPにも見たない。ましてや日本よりも多い人口を抱えるロシアのGDPは5000万人程度の韓国よりもGDPが低い。
けれども、そんな話者数、それらの経済力を見たって、何の役にも立たない。
中国人とビジネスしたいという目標があったり、観光業に携わる、など、中国語を覚えるメリットは多いのだけど、私がずっと言い続けていることは、中国語をメイン言語にするつもりがないのであれば、新HSK4級に出てくる文章構成や単語をアクティブで操れるレベルか(テストに受かることは簡単だがアクティブにすることはもっと時間がかかる)、新HSK5級に受かるくらいで終わりにして、英語力をさらに強化したり、自分の楽しみとして自分だけが知っていそうな、または好きな言語を勉強するということである。
話は脱線してしまったが、中国は昔と違って簡単にいける国ではなくなってしまった。私がウルムチからアルマトイに飛行機で向かうとき、税関の人にパソコンの中を見られたこと。これはもう中国が変わってしまった証拠のように思えた。
旅行や留学に行ってもネットの規制もあれば、スパイ疑惑で捕まってしまう可能性すらある。ましてや中国国内か台湾でしか使えない中国語。世界中の華僑と中国語で話せることでたとえばアメリカならアメリカの中国語コミュニティに入ることも可能、マレーシアやシンガポールでも中国語だけで交流可能であるが、彼らは英語ができないとたとえ中国語ができても見下してくる。なので、中国語の学習というのは英語がわかっての上での話である。と私は思っている。
一方、ロシア語圏は以下にも書いたように広く、中国と違い3つの人種を巻き込んでいる。白人よりのスラブ人、我々とも区別がつかない中央アジア人、コーカサス(中東+スラブ人)。そしていける国も多く、それぞれが違う統治をおこなっているため、いろいろな国を楽しむことができ、またノマドの身としては、とても解放感のある言語だと思っている。
彼らは英語が話せない人がほとんどであり、こちらがロシア語を話すだけでも、有名人扱い。になる場合もある。現在ロシア語圏ではロシア語離れが加速している国と、逆にロシア語の権威が戻ってきているような国もあり、少々複雑だが。
ウクライナのオデッサにいた時も、ウラジオストクという果てのことを考えていた。そう。西の果てはオデッサ、東の果てはウラジオストクなのである。この時思ったのは、中国語を勉強している時は中国しかイメージしないのに対して、ロシア語はまさに端から端まで移動できるようなロマン?そんな感覚がある言語なのである。
「ノマドの生活目線で見たウクライナ第2の都市「オデッサ」。高層マンションでも格安生活?」
⑧多言語学習は、中国語に始まり、ロシア語で終わる話
最後の締めに行こうと思う。
私の言語学習はまさに中国語という、漢字がわかる日本人なら文章で書いたときにすぐに理解でき、文法も非常に易しい言語。から、いろいろな言語学習を経て、発音は割と簡単だけど、文法が非常に難しく、単語が連想できない音が多いので覚えづらいロシア語に代わった。
この間、私自身の境遇、つまり職を得るのに必死だった若い頃、英語と中国語ができるからこそITの翻訳で働けたのだけど、そういう立場から、フリーランスになり世界中をノマドする生活になったことで、ロシア語を学ぶ面白さや、必要性、深さを知る。というところに変わったのである。
文章がちょっとおかしいかもしれないが、今日はこの辺までにしておく(笑)。