2021年8月、ロシア6都市(2ヶ月半)のノマドアパート生活の体験を終え、かなり疲れていた私は2回目のキルギスに。ロシア滞在中ギリギリまで考えたが、キルギス第二の都市オシュを選んだ。その理由はキルギス語を少しでも覚えるという名目のもとだった。→なにか理由をつけないとなかなか足も動かないもの。
ビシュケクには2019年の夏に2ヶ月間ほどアパートを借りたことはあったけれども、それでも色々警戒しながらの生活だったし、今回はビシュケクよりも規模の小さいロシア語もあまり通じないオシュを選んだので色々不安が大きかった。
この記事では2ヶ月間いたオシュ生活のうち1ヶ月目に借りたホステルのお部屋(個室)や、どんな苦労があったのか、発見点などをまとめて書いていきたいと思う。
①オシュ空港に着いた時に感じた事
モスクワ→オシュ。まで数時間たらず。私は8時間くらいかかるものだと思っていたが、4時間30分〜5時間くらいの距離。アルマトイからウランバートルだったり、札幌ー那覇の3時間50分程度ともあまり変わらないような気もする。つまりそれだけキルギスは思ったよりも距離的にロシアに近いということになる。これは非常に新しい発見だった。どうりでキルギスからモスクワに出稼ぎに行く人は絶えないわけだ。
ちなみに機内にはロシア人はあまりいなかったが、一番後ろの席(私と反対側)に若いロシア人男性が一人でオシュに向かっていた。→ビシュケクに行くロシア人は多いがオシュに行くロシア人は割と変わり者かも。
で、空の旅は中央アジア独特の拍手で着陸。上の写真は、たまたま上空からオシュの中心部を撮影することができたもの。結構都会かも・・。と思った。
さて空港に着いたのは朝4時くらいだった。まず空港に降り立つと、日本人に容姿の似た人がわんさか。ロシアというユーラシア系白人をずっと見てきたからとかではなく、明らかにベトナム人、タイ人、南中国人などよりも、日本にいそうな顔の人が多いのである。
そしてカザフスタンにはモンゴル系、韓国系の人たちもたまにいるが、このキルギスの日本人に似た人たちはうまく説明できないレベルでの何かしらの近さを感じるものがある。もうこの時点で私は天国に来たと思った。
誰も知らない自分だけの場所というそんな感覚。
で、4時なのでまだバスも走っていなく、色々なタクシーに勧誘されたが少し高かったのと、市内に到着してもホステルのオーナーが起きてるのかもわからなかったので2時間くらいベンチに座って人間観察をしていた。
で、空港にいるタクシーは、Yandexのアプリよりも少し高かったが、割と安めのタクシーに乗り7時頃にはホステルに着いたと思う。そのタクシーの運転手が焼きたてのパンを買ってきてくれたのは、タクシーが少し高かったけれども唯一感動した事だった。
モスクワ(2021年8月後半)は、夏から一気に冬になった時だったが、この時オシュはまだ真夏の後半であり日中は30度を超える日も多く夜は涼しく10月まで普通に夏だった。なのでロシアで夏を少しでも伸ばしたい人がここにくるのかな?と思ったり。
②借りたホステルの部屋
34泊で、5.5万円=1泊あたり1629円。これは安い。当時は高く感じたが(ロシアも割と安く、キルギスの田舎なのになんでこんなに高いの?と錯覚していたのかもしれない)、これは安い。。。→とはいっても当時、ジョージアやロシアなどで1ヶ月5万円でキッチンつきのアパートもあったので、2023年において10万円の家賃を払う事が多くなった今と比べたら安いのかもしれない。
この部屋にはプライベートシャワートイレもついている。現在(2023年5月)に確認してみるとこの部屋は30日で16万円となっていた。。→それは高すぎだろ・・
ウズベク人家族が経営するホステルで、泊まりに来る人の多くは欧米人だった。たまにラブホ?代わりに現地のキルギス人もきてた気がする。
③ホステルでのトラブル
まずAirbnbなどではオシュではアパートはあまりなく、あっても非常に質の悪いところで平気で10万円台だったりする。その中、格安で部屋も広かったのでこのお部屋を選んだ。とはいっても今の私なら大丈夫だけれども当時の私にとっては不快なこともいくつかあった。
冷蔵庫がない。→お部屋に冷蔵庫くらい設置してあるのは当たり前という考えが先行し、冷蔵庫を要求した。→結果、冷蔵庫を折半ということになり半分支払った。
洗濯物を勝手に干される→洗濯機の場所を教えてもらい自分で洗濯したが、オーナーの母に洗濯物を干される。→アパート暮らしが長い私は苦手。けどホステル生活長めの人はあまり気にしないのだろう。今後はこういう場合は下着系は自分で洗うとか工夫することで改善できる。
インターネットが遮断→ホステルの最後の数日間はホステルのインターネットが使えなくなり、レッスンができないとまずいのでオーナーにSIMカードを買ってもらった。
まだまだある。思い出したら付け足していきたい。
④カンピロバクター胃腸炎
今日も600円くらいでランチ。食べきれなくてパンは半分持ち帰った🥯
肉多すぎ。減らしてって言ったんだけど
おばちゃんが経営してるけど、そのおばちゃんがなんと
英語流暢で見た目とのギャップに驚く
キルギス語、ロシア語、アラビア語、ヒンディ語、日本語少しと、
どんな人生歩んできたの?🤣 pic.twitter.com/LWA5dJ0b2D
— MULTILINGIRL♬ / 海外ノマド6年目 / 英語メンター9年目 (@_multilingirl_) September 3, 2021
ホステルの近くでレストランを探していた。
そして、たまたま入ってみたレストランに多言語オバハン(実際は私よりも少し年上なくらいだった)がいて、そのレストランでご飯を食べることに。結果、上のツイートにも載っている鶏肉があまり焼けてなくて?カンピロバクター胃腸炎にかかった。これは、インドネシアのスラバヤ(2019年)以来。
今回は一時的に手の痺れみたいなのも一瞬起きて、今まで起きたことのない症状だったので非常に驚いた。外務省のページでキルギスの部分をみると、ギランバレー症候群。というのもキルギスで稀に起こるらしく非常に不安になってしまった。
そんな中、ずっと私のオシュ生活を手伝ってくれたキルギス人男子には感謝。一緒に薬局にいってくれて、ロシア系の薬剤師が、カンピロバクター胃腸炎でも痺れみたいなことが一時的に起きる事があり、またそういう相談も受けている。と言っていたので安心。→なかなかネットではカンピロでこの症状が起きると書かれていなかったので現地の人たちの情報って非常に重要だなと実感。
⑤タクシートラブル
ヤンデックスなどの配車アプリはビシュケクではすぐに捕まるがオシュでは地元のタクシー会社に電話しないと来ない。ヤンデックスもあるが依頼してもアプリで依頼しても全然こないのが現状だった。
なのでお友達と中心部で遊んだ後は2kmくらい離れているホステルに行くのにタクシーを使うこともしばしば。その際、ちょっとの額だけどぼったくられているのがわかった。ほんの100円くらいいいじゃん。と思える今と、とにかくちょっとの金額の差でも勉強だと思って、経験だと思って、交渉することに意味があると思ってという感じで当時の私はとにかく聞いてみることに。
こんな小さな街でこんなこと起きちゃいけないよね。という空気の中のぼったくりだったこともあり、ホステルのオーナーに電話をしてタクシーの運転手に代わってもらうことに。明らかにぼったくりだったので正規料金で払うことになった。とはいっても相手側はお釣りがなく、少し多めのお金を渡した後、その運転手は両替して戻ってくると言ったが戻ってこなかった。
20代の若い運転手で割と年齢も近かったのでこちら側も余計に感情的になった部分もある。
中国の田舎ではよくぼったくられる際に、中国語を使ってちゃんと普通の料金に戻してもらえるのだけど当時の私のロシア語の力は全然そこにも及ばず、こういう一つ一つの出来事がロシア語の力を伸ばしているところがある。
はぁ!?
ありえない!
とか、
1000くらいまでの数字が、ポンと出て、近くにいる人にロシア語でこの状況を説明できるレベルにあれば、相手もぼったくったりはしてこないはず。
⑥たくさんの疲れを癒すために行なった事
数ヶ月間のロシア滞在。そして日本人に外見が近いとはいえ、食、人の感覚などもロシアよりも注意深く見ていないといけないキルギス南部。そういう疲れや、カンピロバクターなどでやられていた私は、とにかくブログを書いたり(新しい記事を書くのって非常に大変)するのはやめ、レッスン以外は昔見てた日本のドラマなどをボケーっとみる。などゆっくり過ごすことにした。
週末は公園で仲良くなった日本語が話せる男子達を連れて郊外へ旅行。そしてこのホステルにいる間集中するキルギス語のテキストをどのページに何の項目があるか?の理解を徹底しながら、文法の疑問点を洗い出していく。ということにほぼ集中。
⑦ 外食三昧、カフェなど
家のキッチンが共同なので、毎日外食生活が続いてる😅
来月からアパート暮らしがいいな😅
美味しいレストランとカフェを発見したので最近そこにいること多め pic.twitter.com/JmyeH93KUK
— MULTILINGIRL♬ / 海外ノマド6年目 / 英語メンター9年目 (@_multilingirl_) September 14, 2021
共同キッチンは一階にあったが、オーナーのお母さんと顔を合わせるのが嫌だったので、外でご飯を食べていた。自分のフライパンや鍋を2回から一回のキッチンまで持っていくのも大変なので・・。その分、いろんなカフェやレストランに行く事ができたので、キルギス語をたくさん聞いたし、自分から積極的にお友達も作れた。
⑧キルギス語学習を開始
上にも書いたが、私が触りだけでもキルギス語を始めようと思ったのがサンクトペテルブルクに行った時。そしてモスクワにいた2週間の間で、キルギス語を学ぶという決心がしっかりとついた。そのためオシュでは絶対にキルギス語の基本を抑える作業をしたかったので、公園で作った友達と私がネット上から入手したキルギス語の文法書を印刷屋さんで本のような状態にしてもらうことに。
いくらかかったかは忘れたが、本当にほんのような状態になった。
最初の1ヶ月なので無理して勉強というよりは慣れる程度にたくさんの文章や単語に触れた。
⑨オシュが、一番好きかも
ロシアから出て、完全に白人生活は終了した
そこまでジロジロ見られることも無くなったけど、
ウランウデ以上の田舎なので、ここで1ヶ月生活できるかはまだ不明だが、
ちょっと移動疲れしてるので、長く借りれる部屋を探そうと思う
モスクワのような大都会は当分こりごり笑 pic.twitter.com/bKrre9dcQx
— MULTILINGIRL♬ / 海外ノマド6年目 / 英語メンター9年目 (@_multilingirl_) August 28, 2021
今までブログや動画で何となくオシュって危なさそう、野生的なキルギス人が多そう(実際多かった)、とか、行きたいけれども、食の問題とか治安の問題とかでなかなか行こうとまでは思っていなかった。
とはいっても私も色々な国々で生活する事で経験や知恵もできたので、この段階でオシュに行ったのはタイミングがよかったのかもしれない。色々な理由があるが、オシュが一番好きな都市かも。とも思えるほどに。その理由は別の記事でじっくり書きたいとも思う。
2ヶ月目のオシュ生活は以下。