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大嫌いだったアルマトイが好きになれた理由と、その1週間の中身

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大嫌いだったアルマトイが好きになれた理由と、その1週間の中身

私は今までカザフスタンが苦手だった。その理由は1度目のカザフスタン(アルマトイ)で財布が無くなった事や、接客態度などがキルギスなどと比べても少し高圧的なところが全体的にあったからだ。とはいっても私はその時点でアルマトイというカザフスタンしか知らなく、つまり言い換えればアルマトイが苦手だったということになる。

1回目の滞在は2週間ちょっとだったが夜外を歩くのにも少し抵抗があったり。それは現地の人からも夜は出歩かない方がいいよ。と言われていたからである。

ちなみにこのアルマトイが苦手という感覚は地理的にすぐ近くにビシュケク(キルギス)という快適な都市と比較する事で持ち始めた感覚である。

さて私が今回アルマトイに来るのは3回目だ。

1回目=2019年夏(初中央アジア)

2回目=2022年夏(キルギス4ヶ月滞在中に旅行)

3回目=2023年春(アスタナ、アクタウ、シムケント、アルマトイ)

そして私はアルマトイに何度も来るにつれて、この街が好きになってきた。一度や数日間や数週間では見えない感覚が分かってきたというか、そういう感じである。この記事では今回の3回目のアルマトイを語るとともに、良かったことや、まだ好きになれない部分なども書けていけたらいいと思う。

 

①シムケント3週間生活が終わり、キルギスへ

アルマトイに来る前は、シムケントに3週間ほどアパートを借りてシムケントという街をじっくり堪能していた。私はシムケントの後にモンゴルに行くと決めていたがカザフスタンにいられる滞在日数も残り2日となる。

アルマトイからモンゴル行きの便は1週間後でありそれまでカザフスタンにいるには一度カザフスタンから出てまた入国するといういわゆるビザランをしなければならない。

今回外国に一度も行ったことのないキルギス人の友達(2022年の夏色々とサポートしてくれた)が迎えにきてくれるというので私がお金を支払いアルマトイに来てくれることに。

で、私はシムケントからアルマトイに飛んだ。電車だと10時間くらいかかる距離が飛行機だとたったの1時間。そして前回アルマトイに行った時に宿泊したホステル(カプセル型のドミトリー)に行く。彼にも自力で来てもらった。

 

②1日の観光案内

なぜか日本人の私の方がアルマトイに詳しいので、大型ショッピングセンターを中心に案内することに。よくキルギス人の間ではアルマトイはビシュケクの15年後とも言われている。やはり貧乏なキルギスとは資金力が違うためかショッピングモールの多さも、道路、地下鉄、人々の都会度も全部ビシュケクを凌いでいる。

ビシュケクとアルマトイはこれほど近いのに実はお互いの国々の人たちはあまり行き来をしていないのも面白い。ビシュケクの人たちは都会に行くなら直行便のあるモスクワに行ってしまうのかもしれない。

またそのキルギス人曰くアルマトイの人たちは冷たい感じ、個人主義的な感じ、ビシュケクよりもイスラム教徒じゃない感じなど、私が思っていることをほとんど口にしていた。

アルマトイはまさに人々の感覚が完全に西洋に向いていて英語のできる人の割合も多く、ビシュケクに比べ中国人嫌いも多い。

ビシュケクにはこれといった大型書店がないがアルマトイ南部の高級住宅街には大きい書店があり私たちはそこでかなり興奮していた。ロシア語で書かれた最新の本がなんでも売っている。3つのショッピングセンターと地下鉄に乗せてあげた後、この観光も終了。

 

③ビシュケクに戻り、一泊。国境検問所でトラブル?

で次の日にそのキルギス人とビシュケクへ。ビシュケク行きのバスは、二人で5000テンゲ(1600円ほど)だった。とにかくバスが空いていて一番後ろを占領。

さてキルギスに戻る時はいつも国境検問所(キルギス側)の人はいい顔をしている。歓迎されているような感じ。そしてビシュケクに数ヶ月ぶり(2022年10月頃に離れたので)に戻りものすごくホッとした。やはりアルマトイよりも何ヶ月も知り尽くしているビシュケクの方がホッとするものだ。

私は適当にドミトリーをとったのでそこで一泊。3ヶ月借りていたアパートからも割と近かったのでその近くでピザ(滅多に外食しないけど)を頬張った。

次の日、アルマトイに戻ることに。で、カザフスタンに再入国する際に、なぜまた入国するの?みたいなことを聞かれた。「英語できないの?ロシア語だからわかんねーよ」ってアメリカ英語のRを強く言った口調で言い返した。

かなり人が並んでいて、私も後ろに並んでいる人と、両手を上げる、I  don't know ジェスチャーをして後ろの人たちも仲間に引き入れつつ、何?再入国ダメなの?みたいに当然入国できるわよね?という感じで接した。→一部のカザフ人はデフォルトで上から目線的な部分があるので強く対応しないと解決しない場合がある。

また私は前もって再入国可能だということも知っている。

それはカザフスタンは6ヶ月内で3ヶ月の滞在が可能であり、1ヶ月過ぎたら国を出なければならないが再入国を繰り返すことで最長3ヶ月いられるというふうにホームページにも書いてある。

そしてこの国境検問所を通過していた人の多くがロシア人だったがおそらく彼らはキルギスとカザフを往復してビザランしながら生活しているものだろう。彼らはすんなり通過できているのに、日本人のこのアタクシがなぜこんなに質問されなければ?という気持ちだった。

私はアルマトイに戻りすぐにモンゴルに行く予定だったので、アルマトイ→ウランバートルとだけ言った。細かく説明しなかったのは国境検問所の人がどういう対応をするのかみてみたかったからというのもある。

で、あとはもういいよ。って感じで通過。いずれにしても私のようにパスポートに異常なほどスタンプが多いとなんか不審に思われるのかもしれない。

二度といかなないわ💢ふーん。みたいに思ってしまう。

ただでさえカザフスタンは1ヶ月しかいられないのに。こういう一部の高圧的なカザフ人(この検問所のスタッフは割とソフトな感じだったが)はいつもRと鼻音をきかせたアメリカ英語で対処(笑)→日本語だと優しい発音になってしまうのでどうしても声が大きくいやらしく聞こえるアメリカ英語の頼らざるを得ない。。

 

④アルマトイに3泊したアパート

少し高くてもいい。だからアルマトイで一番景色が良い部屋を借りたい。ということでbooking.com や、Airbnbなどで徹底して探したのがこの部屋だった。アルマトイはダウンタウンには高層建築がないので高層ビル群を見れるような夜景はないし、南部の天山山脈はアパートばかり。私はアルマトイといえば天山山脈なのでそれが見える部屋を借りたかった。

このコントラスト。今まで海が見えるシービューや高層ビル群が見える部屋は借りてきたが、低層の平家っぽいエリア→高層マンション→山脈→雲のように4つが重なった景色が見れる部屋を借りたことはなかった。これが初めて。

一泊7000円ちょっとだったが3泊してみた。夕方になると常に写真を撮りたくなるほど綺麗で、この地区の治安という人の層も、最初にアルマトイで借りた西部のちょっと怪しいエリアの層とは全く違い、そういう意味でもアルマトイが気に入った。

でも私が気に入ったのはアルマトイの南部の割と新しく開発された収入が高い人たちが集うエリアである。いずれにしてもお金をかけることでカザフのことがもっと好きになったという感じかもしれない。

 

⑤結論

今回の40日間にわたるアスタナ(2泊)、アクタウ(6泊)、シムケント(3週間)、アルマトイ(1週間)によってカザフスタン嫌いはかなり消えた。そして一番気に入ったのはアスタナとシムケントである。アスタナは今回まだ真冬だったので時期をずらして1ヶ月アパートを借りてみることにすることとして、アクタウは特に何もなかったので正直つまらなかった。

そして外国人の間ではほとんど話題にも上らないシムケントが一番気に入った。私にとってあそこが本当のカザフではないか?と思えるような場所だった。アルマトイに関しては以前よりももっと多くのことを知ったので割と好きになったがそれでも利便性を考えるとビシュケクには敵わない。今後もおそらく数日間立ち寄るだけの場所になると思う。

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